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AI時代のレンマ的知性の発見

『憲法九条の「損」と「得」』(太田光、中沢新一)を読んでいて、AIについて書かれていることがとても印象的だったので、今日はそのことについて書きたいと思います。

本書の中で、ベルクソンの「純粋持続」の話が出てくるのですが、そこからAIの話が出てきます。

中沢: AIがここまで発達してきたっていうのも、このギリギリのところで別のことを考えましょうという時期に差し掛かっていることの証しだと思う。AI自体は、脳で行われているロゴス(論理)的な働きを外にコピーして取り出して発達させたものです。膨大な計算をしていると人間は疲れちゃいますけども、AIは疲れない。AIは高速度で作業を続けられる大変便利な道具だから、今後ますます発達してきます。だけど、人間の身体と心の中で動いていることは、AIが外にコピーして取り出せる機能だけじゃないでしょう。そのことがAIの発達によって逆にだんだんよく見えるようになってきています。それを勘違いして、AIが発達したから人間はホモ・デウス(神のヒト)になると考える人たちもいるけど、それは逆じゃないかと思う。ぼくはAIの発達をけっこう楽観的に見ています。AIが発達してくると、ベルクソンが言っていた「純粋持続」というものがよく見えてくるにちがいない、というふうに考えています。

ベルクソンや「純粋持続」についてはここでは細かくは触れないですが、ベルクソンの言う「純粋持続」と言うのはレンマ的知性(全体を直感で把握する)というのにも通じているのではないでしょうか。

AIの発達、つまりはロゴスが極限まで達した時、僕たちはロゴスの限界にぶち当たることでしょう。人間以上の知性を持ったAIが現れた時に人はどのように感じるでしょうか。もうAIの言っていることがわからないから人間にはもう価値がないのだと感じてしまうのでしょうか。その時にこそ、AI(ロゴス)にはない何かを、はっきりと見つけることができるのかもしれません。僕たちはロゴスだけで生きているわけではないということに気がつくのです。

本来は地球がこんなになる前に、もっと早くに気がつくべきだったのかもしれませんが、これもまた人間の性なのかもしれません。ただ気がつく日は刻々と近づいているのではないでしょうか。

〈ベルクソンの純粋持続〉
ベルクソンの純粋持続(ほんしょう)というのは、時間がどのように感じられるか、そして私たちの経験がどのように流れるかについての考え方です。中学生にもわかるように説明すると、純粋持続は、時計で測る時間(数分や数時間など)とは異なる、もっと個人的で内側から感じる時間の流れのことを指します。

例えば、楽しいことをしている時は時間があっという間に過ぎてしまい、退屈な授業を受けている時は時間がとても遅く感じられることがありますよね。このように、私たちがどのように時間を感じるかは、その時々の経験や感情によって変わります。ベルクソンは、このように感じる時間、つまり「純粋持続」をとても大切なものと考えました。

彼は、実際の経験は連続していて、ひとつひとつが独立した断片ではなく、前の瞬間から次の瞬間へと自然に流れていくと考えました。この流れは、時計の針が刻む時間とは異なり、私たちの内側にあるもので、私たちが本当に生きている感じを与えてくれるものです。

純粋持続は、私たちが過去の経験を記憶して、それを現在の経験と結びつけ、未来へと続く一連の流れとして感じることを可能にします。それはまるで、一つの曲を聴いている時に、音符が一つ一つ別々に聞こえるのではなく、全体としての曲の流れを感じるようなものです。

要するに、ベルクソンの純粋持続とは、私たちが内側から感じる、連続的で流れるような時間の経験のことを言います。これは私たちの生活や感情、記憶に密接に関わっていて、私たちが世界をどのように経験するかに大きな影響を与えるとベルクソンは考えました。
(ChatGPT-4より)

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