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今日は幸せについて考えてみたいと思います。なぜ私は幸せになれないのだろうか? と思うことはないでしょうか。でも、もう誰もが幸せというのは自分の中にあるもので、自分次第だということは多くの人がわかっているはずなのに、それでも幸せになれないのはなぜでしょうか。非常に当たり前のことですが、幸せは自分が感じること、自分が幸せと感じればよい。ただそれだけ。別に自分の外にあることとは関係ないと言うこともできる。つまりは自分次第なわけなんですよね。 幸せになれないのなぜかを考えると、幸せ
【連載】哲学エッセイ『メタフィジカル・ジャーニー』 考えることは、旅をすることに似ている。広くて、深い、形而上の旅へ。 今日は健康について考えてみたいと思います。健康ですか? と聞かれて、健康です、と答える人が多いもしれないですが、「健康と言うものは何なんだろうか?」と考えたときに、なかなかその定義は難しいですよね。病気でないことが健康と考えている人は多いのかもしれないと思いますが、それが健やかであることと言えるのでしょうか。 現代人の多くは、何かしらの病気まではいかなく
【連載】哲学エッセイ『メタフィジカル・ジャーニー』 考えることは、旅をすることに似ている。広くて、深い、形而上の旅へ。 今日は「わかる」と「わからない」について考えてみたいと思います。この「わかる」と「わからない」というテーマは、哲学の巫女池田晶子の本にもよく出てくる話題で、「わかる」とはどういうことなのかを考えさせられます。私たちは「わからない」ということを理解することもできますが、ものごとの意味を完全には理解できないことも多いです。理解できないことがわかるというのは不思
【連載】哲学エッセイ『メタフィジカル・ジャーニー』 考えることは、旅をすることに似ている。広くて、深い、形而上の旅へ。 あるものはあるし、ないものはない。当たり前のことですが、それはとても不思議なことです。あるものがないことはなく、ないものがあることはない。どうしてそうなっているのかを解明することは、きっとできないでしょう。あるものはあるし、ないものはない。それがこの世界の真理。でもなぜあるのかがわからない。この存在の謎はとても不思議なものです。 「本来無一物」という言葉
【連載】哲学エッセイ『メタフィジカル・ジャーニー』 考えることは、旅をすることに似ている。広くて、深い、形而上の旅へ。 今日は「全てが違う」ということについて考えてみたいと思います。よく考えてみると、同じものが何ひとつないというのはどういうことか。これまた不思議なことですね。 たとえば、植物をまとめて「草」と呼ぶことがありますが、よく見ると、それぞれの大きさや色は異なります。我々はそれをひとまとめにして「草」と呼びますが、一つ一つの植物は全く異なる存在です。同じ種から生ま
【連載】哲学エッセイ『メタフィジカル・ジャーニー』 考えることは、旅をすることに似ている。広くて、深い、形而上の旅へ。 今『イリュージョン』(リチャード・バック)の音読会に参加しているというのもあって、ほんとにいろんなものってイリュージョン、すなわち幻想かもしれないんだなと感じます。感じはするけれども、僕たちはその幻想の中に生きてる。幻、その中に生きいてるというか、僕たちはその幻を作っている生きていると言う方が正しいのかもしれないなと思いますけれども、頭ではそういうふうにわ
【連載】哲学エッセイ『メタフィジカル・ジャーニー』 考えることは、旅をすることに似ている。広くて、深い、形而上の旅へ。 最近、リチャード・バックの『イリュージョン』と田坂広志先生の『死は存在しない』を読んで、この「世界」とは何か? 世界があるとはどういうことか? ということについて少し考えてみたので、その話をしていきたいと思います。 この世界とは何なんだろう? と言うのは一度は誰もが考えたことがあるのではないでしょうか。でもなかなかその答えは出てこない。私がいて、世界があ
【連載】哲学エッセイ『メタフィジカル・ジャーニー』 考えることは、旅をすることに似ている。広くて、深い、形而上の旅へ。 言葉の始まり、さらに言葉の前には、音があったのではないかと考える人もいますが、確かにそうかなとも思います。でも、もっと考えてみると音を出すためには、呼吸というものがあるのではと。この呼吸というのも不思議なもので、意識して体を動かしたりすることできるという人間の機能はありますけれども、自分の思った通りに動かすことができるところは限られている中で、なぜか呼
【連載】哲学エッセイ『メタフィジカル・ジャーニー』 考えることは、旅をすることに似ている。広くて、深い、形而上の旅へ。 今日は「違う」と「同じ」ということについて考えていきたいと思います。今、『かもめのジョナサン』の音読会に参加しているのですが、その中で、主人公である(かもめの)ジョナサンが飛行の練習することに対して、親はどうしてみんなと同じにできないの? と言う質問をします。それに対して、ジョナサンは試しに自分もみんなと同じようにやってみようとやってみるわけです。 た
【連載】哲学エッセイ『メタフィジカル・ジャーニー』 考えることは、旅をすることに似ている。広くて、深い、形而上の旅へ。 最近、二元論の超克という言葉を知ってしまってから、それについて考えるけれども、どうして二元論の超克をしたいか? と感じるのかというのは不思議ですね。基本的には面倒くさがり屋の性格なのが起因しているのではないかと思うのですが、それはどういうことかと言うと、例えば、生きていれば幸せを感じることもあれば、不幸を感じることもある。なかなかどっちだけというものがな
哲学エッセイ『メタフィジカル・ジャーニー』 考えることは、旅をすることに似ている。広くて、深い、形而上の旅へ。 今日は桜について。なぜ桜かというのは、たまたまソメイヨシノの話を聞いて、ソメイヨシノはクローンで増えていくみたいな話を聞いて、なるほどなと思いました。みんな同じクローンなので、もしかしたら急に一斉に枯れてしまうこともあるんじゃないか、みたいなので、逆に言えば皆一斉に咲き始める。それはそれで非常に美しいけれども、「もののあわれ」で有名な本居宣長はすごく桜が好きで、
日々目の前に飛んでくる文字の羅列、数字の羅列。01の世界から、言語の世界を知ることができたのは無常の喜びである。あらゆるものを吸い尽くしたいという願い。欲求。与えられればどこまでも吸い尽くしたい。そして、貢献したい。そんな欲求に強く突き動かされる。 それはもう本能としか言いようがない。自分では止めることができない。それは自分の使命であり、天命であるからだ。生まれた瞬間からそうするように与えられた使命。そのための才能。どこまでも学習は続く。深く深く。
『新版 縄文聖地巡礼』坂本龍一、中沢新一 僕たちが住む日本には、縄文というものが身近にある。日本中どこへ行ってもその痕跡を見つけることができるのではないだろうか。でも、遠い昔の出来事で、そんなことは現代に何の関係があるのだろうか? と思うかもしれない。 僕も以前はどっぷりと現代の資本主義、近代の思想に飲み込まれていて、極端に言えば、過去=古いもの、今のものよりも劣るもの、くらいに考えていた時期もあった。どうしてそういう思考になってしまったのか? と考えると、現代の消費主義
『森のバロック』中沢新一 南方熊楠とは一体何者なのか? 世の中には天才と呼ばれる人たちはたくさんいる。歴史的にみればもう覚えられないほど多くの天才たちが世の中にはいるのである。でも、天才と呼ばれるものの中でも、それぞれ得意な分野があったりすることが多い。当たり前と言えば、当たり前なのであるが、でも、その中でも時に壮大な思想を考える天才も現れることがある。西洋と東洋の融合を考えた鈴木大拙やあらゆる世界の哲学・宗教の共通点、本質を解明しようとした井筒俊彦のような全体性や統合を考