命綱と誓い

昨年の今ころから夏にかけて、地元の友人と曲を作った。アコースティックギターと歌だけの、とてもシンプルな曲だ。ふと「誰かと何かを一緒に作りたい」という衝動が爆発して、頭に浮かんだ歌の上手い友人に声をかけたところ快く受け入れてくれたのだ。筆者が作曲をし、友人が詞を書いた。

その曲が、ここ最近頭を巡る。残念ながら、メロディーが素晴らしいからではない。詞が素晴らしいからだ。特に、サビの詞が。


広がる想像止まらないから
知らない自分溢れてくるから
不安に似てるけど
きっとこれは良いことなんだろう
最初で最後だって構わない
最後の何か解けていくよ
今この時を優しい気持ちで抱きしめたい


筆者は特に「最後の何か解けていく」という表現に甚く感動した。

誰もが、最後の何かというものがそれぞれの体内のどこかに存在しているのを知っていて、解こうとも何をどうすれば良いのか皆目見当がつかないという経験をしたことがあるのではないだろうか。

最後の何かが解ける瞬間というのは、往々にして地味である。従って、解けていることに自分自身が気づかないことも多々ある。
しかし気づいた時の安心感たるや、「早くしろー!」と膀胱が我慢の限界を超えた状態でやっとこさ公衆トイレを見つけてTOTO又はINAXの便器にお小水を注ぎ込む時のそれに勝るとも劣らない。

いずれにせよ、固く結ぶものは命綱と誓いくらいで十分だということなのだろう。

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