話せない、話さない、ということ

話せない、話さない悩みということが、人には少なからずある。
恥ずかしながら、私はこの類の悩みを二十歳あたりまで感じることなく生きてきた気がする。しかし、幼少期から抱える人もいるんだろうと思う。

人生に悩みは尽きないが、話せない、話さない悩みというものは、悩みの中でもとりわけ重いものなような気がする。酷く痛む疵なのだと思う。

言葉にすることができないことを無理に言葉にしたり、または誰かに無理に言葉にさせたりすると、あまりいい結果を生まない。

例えればそれは、裸で風呂に入っている人に「十秒後におしゃれな格好をして出てこい」と命令し、十秒後まだびしょ濡れのその人を風呂場から引っぱりだすようなことなのだろう。バスタオルで体を拭き、お気に入りの服をクローゼットからゆっくり吟味してもらって初めて、うまくいくというのに。

無理に話させてこなかったか。無理に話させられてこなかったか。

話せない、話さないという防御を、尊重して生きていく。

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