クラシックなボディに最先端のシステムを搭載

iPhone6のカメラの画質は、玄人の人が見ても目を見張るほど綺麗らしい。

今や、電話やメールだけではなくインターネットにも自由にアクセスできる魔法の板は、場合によってはピカチュウやニャースをレンズ越しに映し出すほどのものすごい高品質カメラを内蔵している。

軽いし、簡単。様々なアプリケーションをダウンロードすれば、一眼レフをも凌ぐ写真を吐き出すこともあるそうだ。

しかし、それを理由に「今の時代カメラを持つのはナンセンスだ」と言うのは間違っている。スマートフォンができても固定電話や公衆電話が依然存在するように、メールができてもポストカードや便箋が売られているように、古いタイプのカメラはたとえポケモンを映し出すことができなくても無くならない。

この手の現象は他にも色々なところで見られる。例えば、ロンドンの街を歩いているとちょくちょく見かける中古CD、レコード店。すべて配信の時代に、過去のメディアが改めて注目される。こういった店は、世界中のある程度大きな街にはどこにでも存在するだろう。

そういえば小学六年生の頃、筆者が所属していた「宇宙少年団」というボーイスカウトの行事で仙台にバスで向かう途中、兄から借りて使っていたPanasonicのポータブルカセットレコーダー「SHOCKWAVE」を、MDウォークマンを持っていた二個上の色白の男にめったくそにバカにされた。当時筆者の目にとんでもなく近未来的に映ったカラフルで半透明のMDも、バカにされたSHOCKWAVEやカセットテープも、未だにAmazonで購入可能だ。

利便性においては最新機器の方が優れている。しかし、過去のものは往々にして「物としての魅力」に溢れている。これは最新機器に感じる魅力とはちょっと種類が違うように思う。

物としての魅力が実力を凌駕している時、人は利便性を差し置いて古い物を選ぶのかもしれない。

新しいものと古いもの、どちらの魅力も素晴らしい。「クラシックなボディに最先端のシステムを搭載」的なものを見ると、なんだかほっこり、同時に背筋が伸びるようなワクワク感に襲われるのは、筆者だけだろうか。

古きを訪ね、新しきを知る。何をするにしてもとっても大切な態度だ。

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