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人生最大最恐の決断

時は遡ること2023年11月11日。

Iリーグ関西決勝の前半5分。時刻は17:35分頃。関西学院大学第4フィールドで悲劇は起こる。

私は全く記憶が無いが、関西の頂点を決める戦いに私は前半すらも戦い切ることはできなかった。

相手との頭部の接触で脳挫傷を受傷し、数回の痙攣を起こし救急搬送。10日間の入院を余儀なくされ、その後に開催されたIリーグの全国大会への出場も断念。1年間を通してやってきた集大成の場に出られなかった悔しさは今でも晴れない。

神がそうしたのか、運命なのかはわからないが、関西の代表として全国大会に出場した大阪体育大学と関西学院大学は全国の「日本一を懸けた戦い」で再び直接対決となる。

チームは0-2で敗れ日本一を獲ることはできなかった。人生で一番悔しかった。

1年間共に戦ってきたチームは、始動してからずっとこの舞台で戦うこと、日本一を獲ることを目標にやってきた。

その目標を達成するための大一番に出場できないもどかしさ。無力さったら無かった。

試合終了のホイッスルが決勝戦の会場であるAGFフィールド中に響き渡るとたちまち私は目から涙が溢れ出た。

このかりは来年以降、学生リーグで返すと心の中で誓ったことを鮮明に覚えている。





神は試練を与え続ける。

2023年12月4日。
私はサッカー専門の脳神経外科を受診し、診察を受けた。

正直どうなるか全く予想がつかなかった。どの程度の怪我なのか、自分でもこの時点ではイマイチ理解していない状態で行ったからである。

「少しの間リハビリすればすぐ復帰できるだろう。」

と、軽い気持ちで診察へむかう。

しかし次第に心は不安で満たされる。

「もしもうサッカーができなかったらどうしよう。」「まだサッカーできるかな。」

サッカーでこんなに不安になったことはなかった。

そんな不安を多く抱えながら受付を済ませ、自分の番号が書かれた紙を持ち、自分の番を待つ。

15分程度待って私の番号が呼ばれた。

まずは担当の医師の前に今の私の心理状況などをカウンセリングするものだった。

ここから私の不安は最高潮へ。

どういった経緯で怪我したか、今の状況など様々なことを聞かれた。
ひと通り話して部屋を退出寸前、カウンセラーはこう話す。
「自分の思い通りにならないこととか前向きじゃ無いような話もあると思うから落ち着いて先生の話を整理して聞いてね。」

この時点で不安が恐怖へと変わった。

カウンセリングを行った部屋を退出後、その場にいた家族とも会話を交わさずに、5分程度待って担当の医師の診察を受ける。

軽い認知機能のテスト、事故状況などを話し、いよいよ本題へ。

医師からは衝撃的な言葉を受ける。

プロを目指すような高強度でのプレーは続けることはオススメしない。

プロサッカー選手を目指す私にとって、その言葉は受け入れ難いものだった。

オススメしない。というのは医師は病院の中でしか制限をできないため、外で勝手にやるのは自由ということだ。

この言葉を受けて私は数時間言葉を失った。

泣いた。泣きまくった。

辛すぎて何も考えたくなかった。

しかし、この診察で使用したMRIの写真などは不明瞭な部分が多いからもう一度再検査をしよう。というかすかな希望を残したままであった。

複数ある検査は精密なものであり、薬を投与するものもあるため、月に一種類しかできず、1月から3月までかかるものだった。

その検査が終わるまで、サッカーのプレーは中断。

年明けくらいからサッカーできるだろうと安易な考えを持っていた診察前と感情の落差が激しかった。

そして3月まで部活動は怪我人としてリハビリメニューをこなすこととなる。

毎日死ぬ気でトレーニングした。

早く復帰したい、学生リーグに出て活躍したい、プロになりたい。その思いでトレーニングし続けた。

学校がない日は自分のカテゴリーの時間プラス他カテゴリーの時間もボールを触ったり走ったりして自分のできることを最大限、全てやったつもりだ。

1日中グラウンドに居た。ボールを蹴りまくった。走りまくった。今まで以上にサッカーと向き合った。

当たり前のように毎日メニューをくれたり、一緒にボールを蹴ってくれる環境。

当たり前のようで全く当たり前じゃない。
リハビリメニューを一緒に行ってくれるトレーナー、グラウンドを最後まで使わせてくれるスタッフ。最高の環境でこの期間を過ごせた。本当に感謝してもしきれない。

自分のできることを毎日毎日考え行動して気づけばあっという間に検査を経ての最終診察へ。



診察当日

3月4日月曜日午前7時15分起床。

「おはよう。起きてるかい?」

前日は緊張?であまり寝れず7時に起きる予定だったが、起きれず母親の声で目が覚める。

8時。朝食を食べ、病院へと向かう。
両親の気遣いかわからないが、いつもは会話しながら電車に乗り込むが、今回は静まった雰囲気で最寄駅へと重い足を上げ、歩いて向かう。

私は1ヶ月ごとに音楽のプレイリストを作るのだが、今月の作りたてのプレイリストを爆音で聞きながら病院へと向かう。

私の緊張をほぐしてくれるかのようにプレイリストの曲が流れていく。少しずつ、リラックスできているような気がしていた。

そしていよいよ病院へ。

10時、診察。
怪我をしてからこれまで苦しい日々を過ごした。
少しでも前向きな結果を期待し、診察室へ入室する。

結果としては曖昧なものしか告げられることはなかった。
脳に傷を負っている以上医者の立場としてGOサインを出すことはできないからである。

ダメと言われても外でやっていることを止めることはできないのが事実だし、隠れてプレーしてもう一度受傷して古傷から出血なんてことも経験している事も事実。かといってサッカーをしてはいけない訳でもなく否定も肯定もできないような状況。と医師は話す。

わかりやすく例えるならば赤信号理論。
誰しもが赤信号を渡ったことがあるだろう。
でもそれは右左右と車が来ないことを確認して安全を確認できるから渡れるもの。今回私がサッカーを続ける続けないという問題は赤信号を目隠しして渡るようなものであって危険が伴うというもの。

曖昧で複雑で説明することが難しい。
だが、これだけは言える。

まだ夢を諦めない。

その危険を犯してまでサッカーがやりたいと思う自分は本当にサッカーが大好きなんだと感じた。

完全に復帰するまではまだまだかなりの時間を要する。

コンディションを戻して対人してヘディングをして身体を慣らしてから復帰しないといけない。

正直耐えられる自信はないっちゃない。けどやるしかない。サッカー好きだから。辞めたくないから。

これは多分

人生最大最恐の決断

なんだと思う。

支えてくれる両親、監督、コーチ、学生スタッフ、同期、先輩。全ての方々に感謝を忘れずにこれからも自分らしく頑張っていこうと決心した。

まだまだ夢を追いかける。

いつまでそんな夢見てんだと思う人も居ると思う。

いくらバカにされたって自分の道を突き進む。

「この先も色々あんだろう それならその度にがんばろう 転けそうになっても踏ん張ろう そうやって俺は強くなろう」EXPRESS もぐらの唄

負けんな自分に!もっと強くなれる。成長の大チャンス。



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