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法律の話~刑法の刑罰の種類~
こんにちは。takuです。
今回は刑法、刑罰の種類についてお話します。
死刑、無期懲役、有期懲役、罰金などありますが、刑罰の詳しい話を詳しく理解していない方もいらっしゃるかと思います。
今回はこれについて(自分も思い出しつつ)、皆さんが感じるであろう違和感について指摘していきます。きっと解消されるはず。
※最後にも書きますが西田典之さん著の「刑法総論第二版」を参考にしております。難しい教科書ですが興味があれば是非。
刑罰の種類について
現在の日本の刑法では主に3種類の刑罰があります。(教科書はp..9以降に記載)
1.生命刑
これは死刑のことです。命で罪をつぐなう刑のことです。
2.自由刑
これは犯罪者の身柄を拘束して自由を奪う刑の事です。懲役、禁錮、拘留がこれにあたります。
それぞれの違いですが、まず懲役と禁錮は刑務所内で何かしらの作業をさせるところが違います。
また、拘留については期間が他二つよりも短くなっている点が特徴です。(1日以上30日未満)
3.財産刑
犯罪者の持っている財産を没収する刑です。罰金と科料の二つがあります。違いは1万円以上か以下かです。
また、このほかにも犯罪に関係するような物を没収することもあります。
財産刑の疑問―交通違反は罰金か―
よくある交通違反。例えばスピード超過とか標識違反とか。これで警察に捕まってしまった…なんてことありますよね?(私は経験がないですが)
あの時に罰金としてお金を徴収されることがあると思います。
あれは刑法に定められている罰金だと思う方。それは全く違います。あれは行政処分というものです。
まず、通常の刑罰は必ず裁判をしたうえで課されるものです。その意味で交通違反の罰金は裁判を経ておらず通常の刑罰とは異なります。
では行政処分とは何なのかと言うと、示談金みたいなものです。
確かに交通違反は違法で道路交通法にも罰則がちゃんと書かれております。
ということは通常であれば違反した場合は最終的に裁判所で裁判され判決が下され罰則に従った刑を科されることになるはずです。
でもそれでは裁判所がパンクするわ、めちゃめちゃ大量の人が前科が付くわで大変です。そもそもそこまでする必要性はないでしょう。たかが標識見えなかっただけで。
※自動車を運転する人なら絶対理解していただけるかと思いますが、標識とかに目を凝らして運転するなんて気が疲れるし、世の中うまく回らなさそうでしょ。
なので、そこまでせずにとりあえずちゃっちゃとお金収めてくれたら穏便に済ませるということにしているのです。
そもそも、交通違反を100%捕まえることもしません。たった1km/hオーバーで捕まえるなんて警察の速度計測もそこまで正確じゃないし。
場合によっては安全のためにスピードを一瞬出す必要もなくはないじゃないですか。(もちろん安全運転、道交法は守ろうね)
死刑の話
もう一つ問題なのが死刑です。
近年では廃止論が少しずつ浸透しつつあります。
死刑のメリット
まず、死刑のメリットは、犯罪の抑止と被害者遺族の応報感情へのケアにあると主に言われております。
しかし、犯罪の抑止効果は本当はないのではという意見も出ておりますし、例え死刑になったとしても被害者遺族の気持ちは晴れることはないでしょう。
ただ、さすがにアウトな犯罪のケースがいくつかあるんですよね。例えば、子どもを誘拐して殺し、生きているように見せかけて家族に身代金を要求するとか。
もうやってることがクズすぎて殺した方がいいんじゃないかな笑って思ってしまうこともあります。
死刑のデメリット
主なデメリットは、冤罪と犯罪者家族の感情です。
まず、犯罪者家族については被害者遺族と同じ論理が言えることでしょう。
もちろん、罪を犯しているのだから当たり前だと言う人もいるかと思いますが、どんな罪を犯していたとしても守るべき国民の一人である以上、一定の権利を確保しなければなりません。
また、冤罪という視点は死刑の大きなデメリットとして言えます。死刑執行後に実は冤罪だったなんてシャレになりません。
そうなると本当は絶対に守られるべきだった者の命を奪うことになり犯罪者とされていた遺族からしてみれば最悪です。家庭崩壊も必至。何の罪もないのにこんな仕打ちはひどすぎます。
※テセウスの船を見ていた人はきっと分かるはず
生命とは一体何なのか、どう生きどう死ぬのか
ここで出てくるのが生命についての話です。
もちろん人は必ずいつかは死んでしまいます。
亡くなられた人の遺族は悲しむもの。ましてや命を誰かに奪われてしまったのならたまったものではありません。
人殺しには人殺しでもって償うべきだ、生きる価値などない。それも確かに一理はあります。
しかし、例え殺し返すとしても失った命はもとに戻らないし、それで憂さ晴らしになるのかも疑問があることも否定できません。
死刑にするならするで一度考えていただきたい。殺してしまったのには理由があるかもしれない。本当は嫌だったのかもしれない。今は後悔しているのかもしれない。
もしそうであったら生きて世の中に尽くすことで罪を償うことが少しでも出来るのではないでしょうか。
※個人的には、これは確実にアウトでしょう、というものだけに死刑を限定するのが一番良いと考えておりますが、「確実にアウト」の基準を明確にするのは非常に難しいです。
社会にとって害があるか
死刑や暴行罪、例えば喧嘩に関係する話です。
喧嘩の例で言えば、逮捕、裁判所での処罰のようなことが起こらないことが時々あります。というのは、逮捕しようがしまいが犯罪の誘発に影響が少ないからです。
もちろん、死亡したり傷害を負わせた場合は逮捕されることが多いと思いますが、これはあくまで生命と身体の安全を確保するためです。
ただ、注意しておくことがあります。
そもそも刑法の存在意義として
1.何を保護するために(保護法益)
2.何をしたら(構成要件)
3.どのような処罰がなされるか(法定刑)
4.上記3つを明確な文章で定める(明確性の原則、あるいは罪刑法定主義?)
主にこの4つが挙げられると思います。なぜこれが求められるのかというと簡単で、人を牢屋にぶち込むわけで、ぶち込まれた人間にとっては最悪だからです。
大体、刑罰って言ってしまえば犯罪行為をやり返すことですからね。死刑=殺人、懲役・逮捕=監禁、罰金=金銭の奪取です。
一応犯罪者も一人の人間なのでちゃんと権利を保護する必要はあります。なので基本的に国(警察)は私人には干渉しません。
喧嘩の例に戻すと、2,3,4については問題ありません(暴行罪・傷害罪・殺人罪はちゃんとあります)。
ただ1が問題です。そもそもの趣旨として人の身体を守るというものですが、人の身体を傷つけようとする人の身体を守るってなんかおかしくありませんか?
同じようなことが正当防衛でも言えます。人の身体を傷つけようとする人の身体は保護に値しないとされ、刑罰を与える必要がなくなるというのがおおざっぱなメカニズムです。
※これを違法性阻却と言います。
ケースによって分かれる複雑な話ですが、今回は単に喧嘩というくくりでお話しております。要するに何が言いたいのかと言うと、刑法は「社会にとって害があるのか」という切り口を備えているということです。
終わりに
法律の話の最初の記事「なぜ法律が存在するのか」でも話しましたが、法律≠道徳です。
例えば暴力は道徳に反すると思いますが。そもそも暴力は社会に悪なのかといえばそんなことはないと思います。
酔っ払いの喧嘩で暴力を振るう場合。確かに暴力ダメ、とは思いますが社会に害ではないでしょう、まわりに迷惑をかけるくらいです。
これがもし懲役半年とかになったらどうしますか?誰もお酒飲もうとは思わないでしょう。でもそれって後々になれば社会に害があるのではないでしょうか。
あるいは安楽死。道徳的には許されるかもしれないけれど、果たしてこれは無罪なのかどうか。これも守るべき命の重さをどうとらえるかによって意見が真っ二つに割れます。
このように法学は本当に複雑で難しいです。これでも簡潔に書こうとしたほうですが、長くなってしまいましたし、正確に書けているかも怪しいくらいです。
何か訂正すべきことや質問があればコメントしてください。
※参考文献
「法律学講座双書 刑法総論 第二版」 西田典之著 弘文堂
あと、読んだ本としては森炎さんの「なぜ日本人は世界の中で死刑を是とするのか:変わりゆく死刑基準と国民感情」(幻冬舎新書)や芦部憲法(今回は引用してはいない)などです。
死刑の例で書いた誘拐殺人の例は森炎さんの本を参考にしております(具体的な事例は引用していない)。
前回の法律はなぜ存在するかはこちらです↓↓↓
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