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「子ども理解」に関する研究の研究ノート①

 「子ども理解」に関する研究の一貫に「子ども理解」の歴史性に関して少しずつまとめていこうと思います。一般的な子育て文化とは違い、公の教育的な役割を求められた機能としての保育が誕生するのはわりと近代になってからのことでした。今の「幼稚園教育要領」に「幼児理解」という言葉が使われていますが、この言葉はどのような経緯で注目されるようになってきたのでしょうか。この点についてまとめてみたいと思います

 私は10年間の保育実践を通し、自分の保育思想を形成しているものについて明らかにすべく大学院の門をたたき、現在は保育における「子ども理解」を元にした教育理論を乗り越えられないかと日々模索しています。興味がありましたら読んでいただき、コメントもいただけると幸いです。

 また、このノートをもとに詳細な論文執筆に映るわけなので、内容は参考程度にとどめてもらえると良いかなと思います。

保育において「子ども理解」はどのような役割を果たすのか

 日本の保育研究・実践において「子ども理解」という言葉を多く見聞きすることがある。保育系の出版物にも“子どもの気持ちがわかる”ことが保育実践には欠かせないスキルであるということを前提としたものが多く見られることでしょう

 さて、この「子ども理解」という言葉は多くの場合、保育者が子どもの“内面”を理解することにより、一人ひとりの子どもに合った関わり方を目指すという理論を前提としています。ここにいくつか疑問が生じます。

【疑問1】
子どもの内面を理解することにより一人ひとりに合った関わり方を目指すことができるのか

【疑問2】
そもそも、子どもの内面を理解することとはどういったことなのか、またそのようなことは可能なのか

 【疑問1】について検討してみたいと思います。例えば、AちゃんとBちゃんがおもちゃを取り合っている場面を想像してみましょう。AちゃんはBちゃんの使っていたおもちゃを使おうとしており、Bちゃんはそれに抵抗しています。さて、その場合、「子ども理解」は保育者にどのような行動指針を提供することができるでしょうか。AちゃんとBちゃんの内面をよく理解している状態とよく理解していない状態でできる保育はどのように異なるでしょうか。このことについて検討することは非常に困難と言えるでしょう。なぜならば、「保育者が関わることによってどうしたいのか」という保育者自身の目的が不明確だからです。

 その保育者にとって「一人ひとりに合った関わり」とはどのようなものかという関わる目的が不明確な限り、仮に子どもの内面をすべて理解できたとしてもそれは使いようがないのではないでしょうか。

 では、保育の目的を明確にするとしたらどのようなことが考えられるのでしょうか。主体性を伸ばすのでしょうか、自尊心を高めるでしょうか、より細かく設定してみるのもいいでしょう。しかし、これらを実現させるための条件として保育者がAちゃんとBちゃんの内面を理解できていたとしましょう。さて、保育者は主体性を伸ばすような関わりを提供することができるでしょうか、自尊心を高める関わりを提供することができるでしょうか。

 それは簡単なことではないでしょうか。なぜなら保育で目標にされるようなことについて、物の取り合い場面においてどうすればある目標が達成されるというような科学的な式を導き出されてはおらず、それはケースバイケースであり、目標が達成されたかという評価の困難性も要因の一部可と思います。

「子ども理解」と保育者との関係性

 子どもの内面理解が「良い保育」と結びつくことについて、直感的に同意してしまいそうになりますが、立ち止まって検討すると考えるべき課題が浮かんできます。

 誤解が生じてしまいそうなので付け加えますが、私自身保育実践の上で「子どもの気持ちを理解する」ことの必要性や重要性に関して否定しているわけではありませ。実践を行う上で対象を理解することはどのような形であっても生じることだと思います。だからといって専門職としての保育者が安易に耳障りの良い理論を受け入れることとは話が違います。

 「子ども理解」があまりにも注目されるとどうなるでしょうか。「その子の本心はなにか?」ということに囚われてしまうと、実態を掴むことが困難なことについて貴重な業務時間がなくなっていきます。「子どもの内面を理解する」専門家として保育者を位置づけたらどうなるでしょうか。子どもの気持ちの理解が難しいと考える保育者は職業上劣等感を感じることでしょう。逆に子どもの気持ちをよく理解できると自認している保育者はどうでしょうか。そもそも人間が他者を理解するなどということはどういうことなのでしょうか。

 大人同士を例に考えてみましょう。あなたは身近な子どもの内面を理解しているでしょうか。また、身近な大人の内面を理解しているでしょうか。家族や親しい友だちでさえ理解することは簡単ではありません。また、自分の理解が合っているかどうかもわかりませんし、本人がどのくらい自分を理解しているかということにも注意を払う必要があるのではないでしょうか。

さいごに

 以上今回はこのような考察をしてみました。冒頭でも述べたようにこれはあくまで保育実践経験者が抱いた疑問にすぎず、考察も甘い上に研究の文脈に乗っていないのであくまでノートとして見ていただければ幸いです。

また、触れることのできなかった続きに関しては今後ノートにしていけたらと思います

 最後までお読みいただきありがとうございました


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