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”大人”になるって、理由が多くなることなのかも?

始まりの時。
何か自分がやってみたいことを始める時、どんなことを感じ考えますか?

「やってみたい」と思い立って始めようとする感覚は、高揚感を抑えきれない。
ワクワクした感覚。
希望に満ち溢れた感覚。
何でもやってやれそうな感覚。
アイデアが湧き出る感覚。
様々なエネルギーが湧き出る。

ただ、1時間後や1日後の自分はどうか。
まるで別の世界に住んでいるかのように…。
あれこれ思考の波が押し寄せてくる。
もし上手くいかなかったらどうしよう…。
周りになんて思われるのかな…。
そもそも何でやりたかったんだっけ…。
やって何の意味があるんだ…。

いつだって対照的な自分がいる。
ロマンを追い求める自分もいれば、正しさで納得しようとする自分もいる。
どちらが良いわけでも悪いわけでもない。

ただ、大人になればなるほど、守る存在が増えれば増えるほど、いつしか正しさで納得しようとする自分が大きくなる気がする。
少なくとも自分はその一人。

いつしか、無意味に見えることをやらなくなっていた気がする。
いつしか、結論を分かったふりして挑戦しなくなった気がする。
いつしか、やりたいことよりも出来そうなことを選んでいた気がする。

ある意味、これが”大人”になるということなのかもしれない。
正当な理由があると、喧嘩や対立を生まなくて済む。
納得できると、安心感がある。
安定した職業は、家族に安らぎを提供できる。
相手を尊重した意見は、共感や承認に繋がる。

自分は”大人”になったなって最近感じた。
それと同時に、心の底で泣いている自分がいることも感じた。

心の底の自分が輝いていたのはいつだろう?

大学生の夏休み、持て余した時間を何かに使いたくなって、100キロ離れた兄の家に自転車で行った。笑
ケツが痛すぎた。
ケツが痛すぎたから、兄の家に2.3泊させてもらってから帰ろうと思ってた。
理由は忘れたけど、1泊で帰ることになって、「何でもう1泊させて」って言えなかったんだろうと帰り道に後悔したことは忘れられない。

中学生の頃、毎日5時半に起きて学校で朝練をしていた。
サッカーが上手くなるために、練習する毎日だった。
でも正直、好きな女の子にカッコつけたくて、学校で朝練していたってのは3
割くらい占めてた気がする。

青春時代に出てくる思い出は、どれもアホっぽい。
理由なんてない。
マジレスされると一瞬で儚く消えるものばかり。
だからこそ、唯一無二の思い出であり、かけがえのないものになる。
理由がないからこそ、価値が生まれる。
理由がないからこそ、心が躍る。

今に焦点を当てた時に、理由などなく、心の底からやってみたいことをやっているだろうか?
それだけでは生きていけないかもしれないけど、”大人”として生きていくことも大切かもしれないけど、心の声に耳を澄ませ続けたい。
その声に純粋に従っていきたい。

例え「やる意味あるのか?」という自分の考えがあったとしても。
例えそれが上手くいかなかったとしても。
例え人からバカじゃないかと言われたとしても。

「シンプルであることは、複雑であることよりも難しい」
って、タートルネックばかり着ていたおじさんが言っていた。

誰もが今を生きている。
誰もが自分の人生を生きている。
誰も自分の人生の責任は取ってくれない。

今この瞬間を、心の声に従って生きていこう。


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