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人生の意義とは【死から読み解く】

はじめに

この投稿は、私自身が、自殺未遂の経験から人生の意義とは何か。

生きる意味を見出すための1つの見解であり、

どれが正しいもなければ、どれが間違いというわけではありません。


人生の中で、これが1番大事であると見出し、それに向かって歩んでいくことが、私の中では大事だと感じております。


【死】を考えたときに見えてくる人生の意味とは。

「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 日本縮約版


死ぬことに恐怖に感じるか


みなさんは死ぬことに対して恐怖を感じていますか。

私は、死ぬことを決意した時は、恐怖を感じず、
なおさら、全ての悩まされている事柄から解放されるものだと思っていました。


ですが、実際は、異なったのです。


1度目も2度目も。
これまで味わったことのない恐怖を体験しました。


1度目で体験したことをなぜ2度目も行おうとしたかと言えば、

・それほど悩まされていたこと
・いわば宗教かのように死ぬことで全てから解放される

と思っていたからです。


それが正義だと考えていたからです。


世間一般的には、
安楽死、尊厳死が認められていない。

倫理的な観点からそれは【悪】であると考えられています。

それは我々、死を決意し、死にきれなかった方々が、
恐怖に感じたという言っていたから悪にしているのか。
はたまた、学問上、【死】に対して学んだが、それを身をもって経験したことがない方々が、悪にしているのかは不明です。


なんにせよ。死は生きている中でも最大の恐怖をもたらし、
人生を終着させるポイントの1つであると私は考えます。



死ぬほど何かに努力した経験はあるか


人生の最後を【死】と終着点として仮定した場合、

最後に何を考えるか想像してみていただきたいです。
(自分の死を客観的ではなく、主観的に想像してみていただきたい)


何かの物事をやり残したり、
あの人にああ言っておけば。

と後悔の念が残るのではないでしょうか。



たとえ、有名な方々であったとしても
こうしておけばよかった,,,。

と後悔するはずです。


今、なにかが起こった時に、みなさんは後悔せずに死を迎えることができますか?

私はまだ今、死を迎えたとしたら間違いなく後悔します。
やり残したことが数えきれないほどあります。

人生をやりきった自信がありません。

いつ死を迎えても良いように、
毎日を必死に、無駄の少ないように生きています。




時間は唯一平等に与えられた産物


我々はどの信条でもどの人種でも誰であっても同じものを持っています。

それは

【時間】です。



生まれてから現在まで、地球に存在している限りは、

人であれば誰もが平等であるのです。


私はお金もなければ、地位も、名誉もありません。

誰かと戦えと言われても勝てません。


ですが、絶対に負けないもの(勝てるわけでもない)があります。

それが、時間なわけです。


時間を効率よく使い、自らの夢のためであれば、どんな努力もできるという覚悟。


誰かが達成したものに関しては、
誰かが同じようにやればできる。

時間の使い方。頭の使い方によっては達成できるはずなのです。


今過ごしている時間を。大事に。
何に時間を割くのか。
誰に時間を割くのか。


死に向けて刻一刻と時間が過ぎていく。


ただ過ごす時間も。ダラダラする時間も大事。
その分スイッチを切り替えて時間をつかっていくのも方法。

この一時に意味をもって過ごしていくことが
本当の人の生きていく道なのではないか。


最後に


生きてきて死ぬまでに人その過ごす時間は同じではありません。
密度が濃いかどうかなどはわからない。

他人が決めることではない。

人生の意義とは
その限られた時間の中で、
上手に時間を使い、
自分の望むものを追いかけ。目指すものを目指す。

ということなのではないか。と私は考える。


私の人生はもう終わっていたはずだが、
救われ約3年が経過しています。


無意味に過ごすことなく、
毎日を悩み、楽しく過ごしてきました。


みなさんは毎日をどう過ごし、人生の意義についてどう考えていますか。

また。後悔なく死を迎えることはできていますか。

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