大阪に行く

あと1週間で大阪に引っ越す。
先輩方とともに高松城の旧外堀を辿った。
ドーム広場からテレビ局に抜けていく辺りに橋があって、外堀の中に入ることになる。すると武家屋敷などが広がっている。
そう考えるだけで、見える層が変化する。堀の外には町人の暮らしが、内には役人たちの暮らしがあり、それは南側に商店街が延びていることと一致しているようにも思う。
歴史という文脈で町を捉えることが、実は構造的に町を眺めることなのだと再確認した。

また別の先輩と飲んだ。前職の忙しさを改めて感じた。
話しているうちに、千葉雅也さんの『勉強の哲学』を思い出した。その場のノリに合わすだけでなく、積極的にノリから外れていくこと、または誰もが当たり前だと思っているその前提の部分に切り込んでいくこと。
それもまた、世の中を構造的に見ようとする試みであり、新しい層へと自分を投げ込んでいくことに繋がるのだろうと思う。

大阪に行く。日記のような、感想文のような、批評めいた文章のようなものを書いてみようと思った。近況報告でもあるし、自分の考えの整理でもあるし、できれば多くの人に見てもらって感想をもらいたいと思った。
文章を書くことはあまり得意ではない。筋立てて論理的に書くのが得意ではなくて、どうしても行き当たりばったりになりがちだから。
けれど、あまりにも自分の日常や思いや考えを言葉にすることがこれまで無かったので、日々の出来事はそれぞれがどこかバラバラに存在していて、自分のこれまでの選択にどう結びついてきたのか分からなかった。
多分、今の自分が何を選択するのかは、日々の出来事に導かれている。もう少し言えば、日々の出来事をどう自分が受け止め、どう考えたかに、今の自分の選択は関わっている。
せっかくなら、それを文章にしながら、自分の輪郭が少しでも明瞭になれば良いと思っている。
それにしても、なぜこれまではそのような考えに至らなかったのだろう??
やはり忙しかったからか…。

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