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第二章:小杉拓哉のストーリー(社会人編①)

こんにちは小杉拓哉です。

今回のnoteでは、僕が生まれてから今のキャリアアドバイザーに至るまでのストーリーをお伝えします。

あなたがこのストーリーを読む事で、これからの人生の原動力だったり働くことへの活力に繋がってくれれば嬉しいです。

第一章でお話しさせていただいた所からの続編になります。
まだご覧いただけていない方は是非そちらを先に見てから来てください。

第二章では主に20代での社会人編についてお話ししていきたいと思います。
僕的にも本当に順風満帆とはかけ離れた20代を過ごしてきたと思っています。
そんな内容の濃い20代を僕自身はどんな想いで過ごしてきたのか、まず知っていただき
そしてあなた自身と照らし合わせて何かの役に立てればなという想いです。

それでは少し長くなりますが、僕の過去話にお付き合いください。


期待とやる気に満ち溢れて

大学を卒業後僕は

東証1部上場の業界最大手である専門商社に新卒で入社します。

学生時代にインターンシップに何度も行っていた企業へ入社することができました。

就職活動の時、自分の企業選定の軸は「安定」「収入」「自己成長」

新入社員研修は3ヶ月間あり本配属を決める大事な期間。

そんな中で僕は研修を経て売上規模全国トップの千葉営業所に配属が決まります。

更に実家を離れて初めての一人暮らし生活も同時にSTARTしました。

色々と不安を抱えながらも期待とやる気に満ち溢れていたのをなんとなく覚えてます。

配属されてからはとにかく慣れること。そしていち早く会社の戦力になりたい。

そんな気持ちで仕事に取り組んでいました。


今と未来への不安そして体調の変化

入社して数ヶ月そして1年、2年と経過していったときに

自分の中でふと気がつくことがありました。

生きてる心地がしない日々が続いていることに。

仕事内容は営業+事務作業なんですけど

基本的にはクライアント対応で1日に12時間〜18時間労働の日々。

拘束時間が長いことに加えて、膨大な作業量とクライアントからの無理難題やクレーム

それらに挟まれる日々が続きます。

正直、営業所の先輩方は優しい人も多くて心の支えになっていました。

しかし一方で先輩も同じような勤務時間。しかも僕以上に多くの作業量を抱えていた。

凄いなと思いつつも自分も将来ずっとこの生活が続くのか...。

心も身体も疲弊しきっていたんです。

学生時代から仕事をすることは好きでした。

だけどこの時の僕は仕事をすること、そして生きていくことに疲れ切っていたんです。

仕事の量や人間関係だけの問題だけではなかったからです。

僕は大企業に入社すれば安定が手に入って安心するものだと思って疑っていなかった。

だけど僕の心は全然安心できていなかったんです。

何故かっていうと、自分に対して全く自信が持ててなかったから。

これは本当に本当の話なんです

僕がやっていた仕事内容は確かに作業量は多いけれど、

誰でもできるような仕事だなとも思っていました。

クライアントから依頼された発注書や見積書を決められた金額や数量で作成していく。

営業も既存で関係値が構築されたお客様から何もしなくてもある程度発注が入り売り上げが構築されていく。

必要とされる時は価格表に載っている金額を伝えること。
あとは納期の相談くらいだった。

もちろんこのお仕事を卑下している訳では全くない。

しかし自分が約3年間やってきたお仕事が他の会社に行った時に武器になるものなのか?

真剣に考えてしまいました。そしてとてつもない不安に駆られるようになった。

同時に降り掛かる心身ともに疲弊している状態。

この時僕は死んでラクになりたい。本気でそう思うようになりました。

この苦しい瞬間から解き放たれるならその方がマシなんじゃないか。

そして壊れる時は一瞬なんですね。

仕事中に過呼吸になり自分の意思で身体を動かすことができずに倒れてしまう。

そしてうつ病であることもお医者さんからも伝えられて会社を休むことに。

結果的に約3年間勤めた会社を、退職をすることになりました。

今だから俯瞰して当時のことを分析できるのですが、

未来への不安や恐怖が様々な角度から一気に押し寄せてきて

それに徐々に蝕まれてきた身体と心が限界を迎えてしまった感じですね。


自分の可能性を広げることを目指して再挑戦

25歳だった当時の僕ですが、心と身体どちらも疲弊はしていたものの次に向けた希望は持っていました。

当時社会人のソフトテニスクラブに所属をしていたのですが、

そこで仕事を辞めたいということを友人に気軽な気持ちで話ました。

そしたら一緒に仕事をしないか?とまさかの誘いが...。

自分の将来をどうするか考えていた僕自身はとりあえず話だけ聞いてみるかと思い、

そこの会社の社長と統括(後の副社長)と話ができることになりました。

当時会社設立2年目のベンチャー企業だったので

もともと安定志向だった僕には今まで考えもしないような会社の社長との出会い。

そこで話に挙がった働き方が個人事業主(フリーランス)という働き方でした。

僕の両親はごく普通のサラリーマンです。

今まで大企業を目指して安定志向だった僕に個人事業主なんて選択肢があるはずがありませんでした。

でも話を聞かせてもらっているうちに社長や統括の人柄に惹かれるようになります。

この人達のやっている事を僕もできるようになりたい!

そんな風に感じるようになります。

20代で個人事業主として生きていければこの先不安なんてなくなるんじゃないか?

当時彼女もいなく、もちろん結婚もしていない。

一番チャレンジするのには絶好の機会なのではないか。

今やらなかったら後でチャレンジなんて絶対できない。

自分の可能性にもう一度賭けてみたいなって心の底から思ったんです。

これは中学生の時に転校してまでテニスを頑張りたいって思った感覚と少し似てるなって思いますね。

両親にも相談して、心配や反対もされましたが半ば強引にやってみることにします。


さて、この後も書こうかと思ったのですが、一旦ここまでにしておきたいと思います。

次回は個人事業主(フリーランス)として僕がどんなことにチャレンジしていったのか。

そしてその時に感じたことや経験を通して得られたことなどについて書いていこうと思います。

ここまでも辛いことがたくさんあったのですが、

この先もなかなか一筋縄ではいかないです(笑)

そしてこの経験が今の僕にとって本当にかけがえのない財産に。

そして大切な出来事なので次章のストーリーも楽しみにしていてください。

ここまで読んでいただきありがとうございました!!!

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