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親父!!またな!!!

【親父】

~はじめに~
※個人的に記録としてもそうだし、僕の半世としてもここに綴ります。
めちゃくちゃ長いです。
良かったら読んでやってください。



11/13(金)

静岡県富士市に住む実の親父が空へと旅立っていった。
親父は悪性の脳腫瘍
病気のことは子供達には黙っとけと言っていたらしい。
最後に会うことも、話すこともできず、あの世へいった


遡ると……
(長いです)

富士市で生まれた僕は三人兄弟の次男坊、上に兄貴、下に妹
親父にお母にばあちゃん
常に遊んでは喧嘩を繰り返し親父の雷が落ちる、母とばあちゃんに『怒られた~』と泣きすがる賑やかな日常があった、
小学校入学と共に兄と同じくサッカーをはじめ地元の少年サッカー団に入った。
4年生になった頃、学校から帰ると母がいなかった。
親父から
『お母さんとは離婚した、今日からお母さんのいない生活になるからな』と

頭が混乱してすぐには理解できなかった。
夜遅くになっても帰ってこない母。
その時ようやく理解し夜通し泣いていた

それからはばあちゃんが毎日、朝、夕ご飯を作り、家事をやって、授業参観にも、運動会にもきて一生懸命母の代わりに面倒を見てくれた
友達からは
『なんでお母さんいないの?』
なんて聞かれる事も多くあった。

4年生の終わりにサッカーから野球に転向した。
親父は無類の野球好きだったから、半ば強引に。

少年サッカー団で頑張ってきた奴らからは
『裏切り者!』なんか言われるもんだからあまり乗り気ではなかった。
それからは毎日、帰ったら練習。
少年野球団の練習が終わって家に帰れば親父が監督。
素振り、ランニング、キャッチボール

随分熱が入っていたと思う
試合には必ず来て
監督より大声を出して怒鳴る

その結果、少しは上達して、ピッチャーをやったり、セカンド、ショートを守ったり
体力もつきマラソン大会では5年生で初めて10位以内に入ることができた。

いい結果を出せば素直に褒めてくれる
それが嬉しくて頑張っていた

うちは割と大きい家で週末になると親父のツレのおっちゃん達が集まりどんちゃん騒ぎをした後、夜の街へ消えていく、その中に入り、みんなが
『たく~!この前の試合、ヒット打たせなかったんだろ~?』
とか
『マラソン大会、速かったんだってな!』とか
僕の話を必ず仲間にしてくれていた

それも嬉しかった

中学に上がる頃、僕はもちろん野球部に入ったが途中、道を逸れた

いわゆる不良になっていった
仲間とタバコを吸い、夜な夜な出掛けては悪さを繰り返していた。
親父ともぶつかりまくった。
何度も喧嘩して、何度もぶん殴られた
言ってはいけない言葉も言ったりした。

それをおばあちゃんも心配そうに見ては陰で泣いていた。
それでも僕は自分を抑えきれなかった。

中二の夏、母のいる南足柄へ行くと決めた、

野球も学校も塾も家族も放り出して。

親父が寝た後、荷物をこっそりまとめ、
朝いつものように学校へ行くふりをして電車に飛び乗った。
金は兄貴から借りた。

中学生が一人制服のまま大荷物を持ってキョロキョロして電車に乗ってる姿は今思えばあきらかにおかしい。
母とはこっそり連絡をとっていた、バレないように!って携帯も僕たち兄弟は持たされていた。

なんとか小田原駅に到着して何年越しかの母との再会、それはそれは安心した

富士の方ではもちろん大騒ぎ。
兄貴は僕の旅立ちを助けたからこっぴどく叱られたらしい、
ひとまず母の所にいるとわかりみんな安心したらしいが。


それから南足柄での生活がスタート。
落ち着くはずが悪さには更に磨きがかかり、
(赤裸々に話します)
中学を卒業してすぐに地元の暴走族に入った
そんな生活が平和に行くわけもなく17才になった頃、逃げるように富士へ戻ってきた
それでも僕は懲りず悪さを繰り返した。
そんな僕警察に捕まった。
それと同時に4年ぶりくらいに親父に会った
親父の前で手錠をかけられた

親父は目に涙を浮かべながら、おばあちゃんは泣いていた
親父は
『やっちまったもんはしょうがねぇんだから、しっかり反省してこい。』って
僕は黙って頷いて、鑑別所へ。
空白の一ヶ月を過ごすこととなった。

時が経って二十歳の頃
南足柄で生活していた僕に電話がかかってきた
『おばあちゃんが亡くなった』
膝から崩れ落ちた
大好きだったおばあちゃん、入院してるのも知ってたし、お見舞いにも行ってた
死期が近いのはわかっていたが、相当なショックだった
『たくちゃんのやりたいことをやりなさい』
って
喋れる状態の最期に言っていた。
間違いなくそれから唄をうたいたい!ってやりだした。

通夜、告別式
親父の涙を初めて見た

それから毎年2.3回は必ず藤沢にあるばあちゃんの墓参りには行っている

そして、富士にいる親父にもたまに会いに行っていた
『お前、今何やってんだ!?真面目に仕事してるか!?』
って怒ったように聞いてくる。
ちゃんとやってるよ!もう大人だぞ!
なんてお互い照れ臭そうに近況報告をする

ギターを持って唄いだしてからは
『今、音楽やってんだ、シンガーソングライターってやつ!』
っていうと
『へぇ~お前ギターなんか弾いてんのか?唄もうたえんだな~』
じゃあギター持ってくるわ!って言うと
『いいよ!また今度で!』なんて言って遮ってきた。
あの時無理矢理唄えばな。

そんなのを繰り返し、仲が良いんだか、悪いんだか
まぁ僕は嫌われてんのかなぁなんて勝手に思っていた。

最後に会ったのは去年の10月。
旅の途中に寄った
カブに大荷物でギター背負って。
『お前バカだなぁ~気をつけろよ!』って
それが最期だった

そして11/13(金)18時頃
母から
『富士にいるお父さん亡くなったって』
信じられなくて、混乱して、頭が真っ白になって、何がなんだかわからなくなった

『嘘だ!』って何回も思って
現実から逃げて、いつもの仲間に連絡してギター弾いて、喋って、飯くって、その夜をいつものように過ごした。

眠れなかった
あんなに会ってなかった親父なのに走馬灯のように小さい頃の思い出がよみがえってくる
『死ぬわけない!』
って現実を受け入れられなかった

土曜日の夕方
自分の目で確かめに実家へ行った
見覚えのあるおっちゃん達
集まっていた
なんでみんな泣いてんだよ!嘘だろ?

親父の再婚した奥さんが出迎えてくれた、
家の中に入ったのは15年ぶり
当時のばあちゃんの部屋から線香の匂い

そこに綺麗な真っ白な服に包まれた親父は寝ていた。
すっかり痩せ細って、唇も青白い、呼び掛けても目を開けない
周りのおっちゃん達は泣いている。
全然知らない奥さんを名乗る者は
『よく頑張ったんだよ?最期まで』
なんで?どうして病気になったのも、入院してるのも教えてくれなかったんですか?
死んでからじゃ遅いんだよ?って
親父は
『子供達には黙っといてくれ』って
言ってたらしい
涙も出なかった、今にも起きそうだったし、怒鳴られそうだったし、寝てるだけだと思ってた

おっちゃん達には
『たくか?大人になったなぁ~』って
そりゃあそうだもう20年も経てば見違えるだろう

『お父さん、残念だったなぁ』
ってだから何で教えてくれなかった!?って
全員に言った。

堪らずとびたしてまた現実から逃げようと懐かしのツレを誘って飲みに出た
まだ実感がわかない。

通夜の日

懐かしい顔がぞろぞろ集まってくる
みんな悲しそうな顔しやがって

親戚一同、親父の仲間
少年野球時代の監督、コーチ、仲間もきてる
近所の人も

沢山の人に『大きくなったなぁ』と

外でタバコを吸っていたら、
『息子さん?次男の拓也くん?』

はい、そうです。
にしても全然覚えのないおっちゃん
『僕は藤村さんにすごいお世話になったんだ、まだ付き合いは3年くらいなものだけど』

そりゃあ知らない訳だ

『藤村さん、息子さん達のことよく話していたよ、長男の和成は大型トラックを運転して、走り回っている、マンションも一丁前に買ったって、次男の拓也はヤンチャだったけどギター弾いて、唄って、全国回って夢に向かって頑張っているって、長女のえりかは子供産んで母親として頑張っている、俺も孫が見れたよ、って喜んでたよ、事務所のデスクには小さい頃の三人の写真が額に入って飾ってあるんだよ、携帯の待受は孫の写真だったよ、藤村さん、いつも君らの事を気にかけていたよ』

って。
僕は涙が止まらなかった
あっていなくともそんなに僕ら兄弟の事を想ってくれていたのだ。

『藤村さんの性格じゃあ君たちには言ってないかもね、あの人のDNAを継ぐ君たちは本当に羨ましい。』
とまで言ってくれた
教えてくれてありがとうございます。と


後悔が僕を襲う。
もっと短いスパンで会いに行っていれば、あの時無理矢理唄っていれば。

最期に笑って話せたかもしれない、

そんな事言ったってもう遅い

いないもんはいない

親族で斎場に泊まった

みんながいない時間があって
僕はひっそりギターを持ち出し親父へ唄った。

シンガーソングライダーと
親父が好きだったゆずの『栄光の架け橋』

親父が少し微笑んだような気がした。

聴こえてたかな?

滞りなく、通夜、告別式も終わり
最期の別れ、火葬

みんな泣くなか僕は堪えた
気持ちが完全に強くなっていた

親父の話を仲間の人から聞いた時、親父のような漢になると決めた

だから空から見守っていてくれよって

しっかり受け入れて

強く、優しい、したわれる漢になるよ

ライブ一回くらい観にきてほしかったけどな~


ってなげぇよ!!!笑

ここまで読んでくれたあなた!

どうもありがとうございました!!!

会いたい人には会いに行こうね!!!
人はいつ死ぬかわからない
よく聞く言葉だけど本当にそうだよ

後悔する前に!


そして俺はまた強くなれた!!!


またな!親父!!






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