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ゼロからはじめる生き方改革 序2

序② 呑み屋街、人のカネで病院はしごして想う健康経営

2022年5月27日、週初めの爽やかな空から一転、鬱陶しい湿度と雨に塗り替えられた金曜日の朝。私は無彩色に染まった新橋の街に全く似合わない原色の傘をさしながら恥ずかしそうに歩いていた。

サラリーマンの街、新橋。眩いネオンの中、上機嫌に連れ立って歩くサラリーマン達とガールズバーの呼び込みが叫び合い、缶チューハイ片手に公園で熱く世界情勢を語り合うオヤジ達を横目にスマホと睨めっこしながら無言のままカラオケに向かう若者達。
きっと昨夜もそんなカオスな色に染まっていたであろうその街は、まるで燃え尽きたかのように灰色に染まっていた。そして街に負けず劣らずどんよりした表情で黒い折り畳み傘やビニール傘をさしたサラリーマンの群れが濁った川のように流れていく。

私はそんなドブ川の中に誰かが投げ捨てたスナック菓子の空き袋のように、やけに派手な傘をもって、人の流れに乗るわけでもなく街を漂っていた。

前夜からしこたま飲み明かして気がついたら朝になって途方にくれてうろうろしているわけではもちろんない。
目当ての病院に初めて向かおうとしていたのだが、雨の中傘をさしているとスマホで地図を見ることができず、仕方なく雑居ビルが複雑に並ぶ狭い街を病院の看板を探してうろうろしていたのだ。

月曜日に医者から「医者に行け」と言われた私は、素直にその週の金曜日にスケジュールに「通院」と書き込み、木曜日の夜には新橋周辺の内科を検索し、口コミ評判の良いあるクリニックに狙いを定めていた。

なぜ新橋かというと、ひと月前に痛めた左足のリハビリ治療をしている整形外科が新橋にあり、こちらもやはり金曜日に来てと言われていたので、朝のうちに病院をはしごして回ろうと考えたからだ。
なんとも健康的なはしごである。いや、ある意味不健康な夜のはしごを続けてきた末路なのかもしれないな、とか考えながらやっと看板を見つけた。

怪しげな小さく古いビル。そこに似つかわしくないくらい清潔感のある大きな看板。入り口には傘を入れる袋があり、私は不本意に持たされたそのド派手な傘を細長いビニール袋に押し込みつつ、おそるおそる2階へと階段を登って行く。

ちなみに、なぜそんなド派手な傘を持っているかというと、私は傘を買っても必ずどこかに忘れて帰るので、「アイカサ」という街中で傘をレンタルできるスポットを利用しており、この日新橋駅のレンタルスポットに唯一取り残されていた傘が豊島区の宣伝広告つきのやけにデカくて原色豊かな傘だったからである。決して好んで持っているわけではない。

2階にあがると、ビルの外観からは想像できない綺麗で普通のクリニックの受付があり、口コミ通り丁寧なスタッフさんが迎え入れてくれた。この新橋のドヤ街にこんなに清潔で爽やかな空間があるとはとギャップ萌えを感じつつ、会社の健康保険証を提示し、手続きを済ませる。

しばらくすると診察室に招かれ、これまた口コミ通りのとても親身なベテラン女医が、健康診断のときのベルトコンベアみたいな流れ作業とは全く異なり、「個」としてじっくり診察と話をしてくれた。
血圧測定も自動でエアーが充填されデジタル表示される機械ではなく、昔懐かしい手動ポンプ式のアナログ目盛タイプだ。

オムロンの創業者、立石一真氏が1970年に提唱した「SINIC理論」によると、機械化が進み自動化・情報化時代が発展した後には、人間の精神的豊かさや持続性に注目が集まる最適化社会や自然社会が到来するとある。
ポンプの奏でる「シュコシュコ」というアナログな音を聴きながら人の手と目による測定と、丁寧な診察を受け、これからの人間的かつ自然的な社会の兆しのようなものが感じられた。

そんな癒しの時間を経て出された診察結果は「高血圧症の治療開始しましょうね。定期的にきてくださいね」
長い道程を予測させる、しかしこの街でこの先生とならやっていけそうだと思える言葉だった。

診察後は、受付で処方箋を受け取り診察料340円を支払う。健康保険のありがたさを感じつつ、こうして成人病にかかり定期的に病院に通う人が増えるとそりゃあ保険財政が破綻するなぁと社会課題を実感する。

だって普通成人病にかかるとほぼ治らないので、あと20年くらい、薬代含めると毎月5000円くらいは会社の健保組合にプールされた社員みんなの保険料と会社の拠出金から補助していただくわけで、ざっくり総計120万円にのぼるのだ。
しかも成人病というのは他の症状も併発するもので、高血圧だけでなく睡眠障害やら動脈硬化なども治療に入るとなるとこの金額はうなぎのぼりになる。

これから先は私が毎月給料から天引きされる健康保険料よりも、毎月受け取る医療費補助の金額の方が上回るということも十分にあり得る。
社員の平均年齢の高齢化に伴いこんな状況の社員が大半を占めるようになると、会社の健保財政が破綻するか、天引きの保険料が値上がりして手取り給料が目減りするかというなんとも世知辛い未来が訪れてしまう。

そんなことになれば、ベテランの保険医療費の負担ばかりで自分は恩恵が得られない若手社員は、もっと健康で若い人が多い企業に移ってしまうかもしれない。
また、そもそも健康的にリスクが多いと労働生産性も低下すると言われているし、やはり従業員が健康で病院知らずのほうが経営としては望ましいことなのだろう。

私自身、医療費を補助していただきつつ病院に通うことになった当事者になって分かるのだが、たしかに生産性は落ちた。
そりゃ、俊敏に身動きできず何か不安を抱えながら仕事していればやっぱり集中しづらいし、疲れやすくなるものだ。
ついでに医療費も3割とはいえ負担が増えるので、ちょっと良いコーヒーを諦めて給茶器の薄いお茶で済ませたり、ランチの質が落ちたりとストレスも溜まる。結果として仕事の質も下がるし量も減る。

近年、多くの企業が「健康経営」というキーワードを掲げて従業員の健康維持増進に投資し始めたのも頷ける。
まあ、健康経営企業としての認定「健康経営優良法人(ホワイト500)」という「いかにもホワイト企業です」と宣伝できる名前の認定をとりたいというブランディングニーズもあるだろう。

そんなことを思いながら、次の整形外科にリハビリマッサージをしてもらいに向かう。
これがまた一回あたりの自己負担は300円と安い(ように感じる)けど「できれば毎日通って」とか言われるので、健保財政的には大変だ。毎日700円、その人のために拠出するのだから。

これからは怪我だけでなく、パソコン仕事による腰痛などでもリハビリに通う人も増えるだろう。
企業として腰痛対策を講じることは、企業の持続的成長に向けた投資になるのだ。

そういえば今回病院を探してみて気がついたが、この新橋という街、飲み屋も多いけどクリニックもやけに多い。
新橋とは昼も夜もサラリーマンが通う街になっていく「癒しの街」になるのかもしれない。
ただし、どちらも通い過ぎはいろんな懐がアブなくなるので、やはり健康には注意しなくては。

雨が降ってから傘を探してるともう選択肢がなくなって碌でもない傘を手にせざるを得ないかもしれない。まだ曇りかけのうちに対処が必要だ。

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