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ニューノーマル論①「ジマンマイニングに潜るべき」(仮)

※以下は、5/30に参加させていただいたオンラインシンポジウム「コロナ禍によって世界は変わる」(イノベーション研究会、創新普及研究会、医療キュレーター実践会 共催)において、登壇されていた関西学院大学経営戦略研究科 玉田 俊平太教授、同 冨田 欣和教授、立命館大学 吉田 満梨教授のセッションをお聞きして浮かんだ内容です。※

「コロナ禍を経て起こった変化」

最近はTVやネット番組などメディアで多くの「有識者」たちが、「今がまさに予測不能で複雑なVUCAの時代」とあおっていたが、まさにそうなった。コロナ禍を通じて、私たちは世界を予測することは非常に困難であることが証明された。
それなのにメディアの「有識者」たちは、「これから何が起こるか」を予測しようと躍起だ。VUCAの時代だと言っていたのに、まだ人は予測をしたがっている。

もはや数か月後の未来が予測しきれない、それが「当たり前」の時代。
これまで「信じていた対象」が信じられないようになりつつある。

着目したいとくに大きな変化は「所属への信用」が低下していくことだ。

コロナ禍を経て、消費者の行動は大きく変化し、それを受けて中小・大手企業ともに売れていたものが売れない時代に突入し、倒産や縮小を余儀なくされた。企業活動の停滞は金融の破綻につながり、「カネ」の価値が大きく下がるリスクがある。さらに、消費者・企業・金融の停滞による社会の停滞は地方財政や政府財政の破綻にもつながりかねない。(玉田教授のご講演より)

私たちは、これまで「なくならないもの」として信じてきた会社、カネ、地域、国といった「所属」がなくなる・滅ぶこともあることを前提にしなければならない。これは「予測」ではなく「現状認識」である。

所属への没入から解放され、自主自立すべき

そうなった今、これからの生活スタイル(ニューノーマル)において、私たちは日ごろからどんな備えをしておかなければならないのか?

その1つが、「自主自立」であると考える。
自分の所属からの自由度を高め、自律・自立できているかどうかが、この時代を生き抜く上で重要な素養であると言える。(冨田教授のご講演より)

そうしなければ、自分の所属が揺らぐことで「自分そのもの」への揺らぎを感じてしまい、ストレスを増したり不安になってしまいかねない。

もしくは、その所属が揺らぐことを認めようとせず、本来とるべきアクション(所属からの脱出・変更)がとれないまま、生活価値を低下させてしまうおそれもある。

とくに日本人は、所属を重視する傾向にある。
名刺交換のときにはまず所属会社から説明するし、何らかの言葉についても、「何を言っているか」よりも「どこの誰が言っているか」を重視しがちだ。
大学で何を学ぶかではなくどの大学に入学するかが重要だし、どんな仕事をしているかではなくどこの会社にいるかで人の評価が左右される。
ネット社会でも「自分はどちら側か」「相手はどちら側か」が重視され、左右二極化の構図が形成され、同じ側の同士のコミュニティの安定を保っている。

コロナ後のニューノーマルな価値観としては、こうした「所属への過度な没入からの解消」による「自主自立」は非常に大きなテーマだと感じる。

「未来予測」ではなく「未来への自信」が求められる

それでは、どうすれば所属への没入から脱却し、自主自立の生活スタイルができるようになるのか?

そのカギは「自信」にある。
人は自信があれば、周辺の揺らぎに流されず、自分自身に寄って立つことができる。

ここで言う自信とは、自分の所属(周辺)に何があろうと、自分は生き抜くことができる、もしくは、何か起きた不測の事態をうまく活用し価値につなげる(レモンをレモネードにする)ことができるという直感のことだ。(吉田教授のご講演より)
つまり、自信とは「未来の自分への期待値」である。

自信を高めるには自慢を掘り出す(自慢マイニング)

そして自信(未来の自分への期待値)は、自慢(過去の自分への評価値)の積み重ねによって値が高まると考える。
つまり、何か過去の自分が出せた成果を認知し記憶している人こそ、未来の自分が出せる成果に自信が持てるようになるわけだ。

しかし、多くの人は「自分には自慢がない」と認識しているように思える。
だからこそ、自慢する人を嫌悪する。そして自分の自慢がないので「所属」に自慢のもとを依存しようとして、所属へ没入していってしまい、自主自立で自慢をしている人に石を投げる。これでは悪循環だ。

しかし私はこう思う。
実は1人1人が自慢がないわけではないのではないか。過去に何も成果がないのではなく、単に自分がその成果を認知・記憶していないのではないか。

小学校のときにテストで頑張った自慢、親や友人に褒められた自慢、自転車に苦労して乗れるようになった自慢、はじめてバイトの面接で受かった自慢、、、
人生は自慢できることの連続だ。

しかし、人の脳は「楽しかったこと」より「つらかったこと」を記憶しやすいようにできている。
それは「つらかったこと」を繰り返さないように、生存本能として然るべきパワー配分だ。

だから、人は「あえて自慢を掘り起こしに行く」という動作をしなければならない。
私はこれを「自慢マイニング(発掘)」と名付けて、ニューノーマルな生活様式として取り入れることを提唱したい。

例えば、週に1回くらい、早朝からおしゃれな喫茶店に入って、自分がこれまで出してきた成果、成長を書き出していくこともよいだろう。頭の中で考えるだけでなく、きちんと書き出し、しっかり認識・記憶すべきだ。

自分1人では成果(自慢)を発掘しづらいかもしれない。上司や家族に聞いてもなかなか褒めてくれないかもしれないし、そもそも聞くことが困難であることも多いだろう。
そこで、家や会社とは異なる「第3のコミュニティ(3rdプレイス)」に入り、第3者との対話によって自分の自慢、そして相手の自慢を発掘し合うことも有効かもしれない。

そうして、自慢マイニングを重ねることで、金脈(自慢の源泉)が見つかることがある。すなわち「自分の強み」だ。
多様なケースでの「自慢」に共通する自分の行動や意識を見出すことができれば、帰納法的だけでなく演繹的にも自信を持ちやすくなる。

さあ、今日は良い天気だ。ヘルメットとスコップ代わりにノートとペンをもって自慢マイニングに、出かけよう。



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