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HSPに気づいてから。#1不安と安堵

私はHSP(Highly Sensitive Person)だ。細かいところに気がついて、気になって、そこそこ苦労して生きてきたと思う。

診断は受けたことがないけれど、中学生の頃、家族にADHDの気があるかもしれないと言われ、当てはまらない部分も多かったが、そうなのだろうと思っていた。早く自分の息苦しさに名前を付けてほしかったから。

中学生の頃が一番大変だったかもしれない。勉強する環境がうるさすぎて気が散って、静かすぎる環境は余計に小さな音まで拾う。どんな環境でも余計なものが、目や耳に入ってきた。

すぐに人の機嫌がわかってしまう特性上、心許せる友達以外、周りの人の目や機嫌が気になって、先生にも同級生にも《良い子ちゃん》でいた。その様子は、先生からは優等生として、カースト上位の同級生(私からすれば自分勝手なだけの陽キャ)にはご機嫌取りの八方美人として映っていたのだろう。その頃は、しょっちゅう自分の機嫌の悪さをバラまいてる奴らのせいで疲弊していることに気づいていなかったのだと、最近気づいた。親には「誰とでも」「みんなと」仲良くするのは無理だ、誰とでも人付き合いをする必要はないと言われたことの意味を、初めてしっかり理解できた。必ず合わない人はいるし、一部の人と仲良くしていても、他の大勢はそんなに気にしないものなのだと。

色々他にも大変だったことが、HSPの特性による事象によく当てはまっていた。まだまだこれから長い将来を生きるのに、早い段階でHSPという気質に出会えたことは私にとって気持ちを前向きにしてくれた。

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