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オッペンハイマー(OPPENHEIMER)感想

いよいよ日本で公開された『オッペンハイマー(OPPENHEIMER)』を観てきたのでその感想。

センシティブな映画であるため、私の感想は現実で起こったことを肯定したり否定したりするものではないということに注意していただきたい。
あくまでも映画の感想である。

総評

私は映画のジャンルの中で伝記モノが好きである。『オッペンハイマー』も伝記モノであるが、他の映画とは少し違う主人公の描き方だったと感じた。
通常、伝記モノでは主人公が所属する分野で才能を活かして、偉大な業績を残す姿が描かれる。例えば、『ソーシャルネットワーク』ではITの天才ザッカーバーグがFacebookを作るし、『イミテーションゲーム』では数学の天才チューリングがドイツの暗号を破る。
しかし、『オッペンハイマー』ではオッペンハイマー自身は原子爆弾を直接は作っておらず(多分)、それよりはロスアラモスに研究施設を作る政治的な面が描かれたと思う。
これはオッペンハイマーが理論物理学者だったからなのかもしれないが、そもそも描きたい側面が異なっていたのだろう。
そう考えられる根拠は他にもあり、それは映画の構成である。
もし原子爆弾を作る様子を描く映画を作りたかったら原子爆弾が完成し、実際に投下されるシーンはクライマックスに持っていかれるだろう。しかし、『オッペンハイマー』では、上映時間の2/3ぐらいの時点(体感)で原子爆弾が完成している。そしてその後、聴聞バトルの様なシーンが描かれている。
つまり、『オッペンハイマー』で描きたかったのは原子爆弾を作ってしまった後の話なのではないかと考えられる。原子爆弾が持つ大量に人を殺してしまうというポテンシャルを理解していたが、完成させないとナチスドイツによって祖国が破壊されるかもしれないというジレンマ。そして、これ以上核開発をするべきでないと思うが、祖国は核開発を進めるべきだと言っているというジレンマ。これらのジレンマを描きたかったのであろう。

その他の感想

理系大学生としてボーアやフェルミ、ハイゼンベルクの名前が出てくることに感動した。ボーアは水素モデル、フェルミはフェルミ準位といった量子力学の単語が思い浮かぶのだが、オッペンハイマーは思い浮かばない。
最初の方のシーンで水面が揺れるのは量子力学ネタだと思ってたが、実際には多分原子爆弾を落とす様子と重ねていた。
「400年積み重ねた物理学をここにつかうのかよ」みたいなセリフがとても良かった。
最近の映画は長すぎる。3時間座っていると腰が痛い。
原子爆弾の実験のシーンの光より遅れて音がくる演出がどうも苦手である。『君の名は』の隕石が落ちるシーンにも共通する。
アメリカの政治についての知識がないばかりに、オッペンハイマーとアイアンマンが喧嘩している理由が最初のうちは理解できなかった。アメリカの学校だったら歴史でオッペンハイマー事件をやるのだろうか。
原子爆弾の被害についての描写が少ない!みたいな意見を見た気がするが、あれぐらいで止めておかないと観た人への心理的ダメージが大きすぎると思った。

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