幼児へととんぼ返りした一般音げぇま

 オタクとは、と思う。私は所謂とろ~り三種のチーズ牛丼を頼んでいそうな顔をしており、非二次元的コンテンツ愛好家の友人からはオタクと称される。だが、私はオタクなのだろうか。最近のアニメの流行などは全く分からないし、アイドルにも興味が無い。漫画だってほとんど読まないと言える、一介の音ゲーマーである。無論、「音ゲーオタク」を自称できるほど音ゲーが上手いわけでもないし、詳しくもない。

 詳しさ、が一つの尺度になり得るように思える。ライトなオタクとして揶揄される昨今のアニメ好き少年たちなどはそこに照らせあわせれば、まさしく「ライト」なのだろう。ツイッターでのミームは話せるが、好きなコンテンツへの分析などは試みない者たちであり、かわいいイラストをリツイートし続ける、単純化された様式に従って生きていると見做せるのやもしれぬ。

 属性に執着する人々もいる。例は割愛するが、性別、年齢の別無く使われるものである。このシステムは、ツイッターやピクシブといった情報の洪水の中では非常に効率が良い。自らの嗜好に合わせたコンテンツを享受できるのだから。これらの氾流は情報のダイエットも求めた。文脈を極限まで共有させることで一つの絵、小説、動画etc...のプレビューに入る情報を削減し、広範に渡って衆目に晒され、飢えた人々はそれらを手間を掛けることなく選別できるようになった。言うなれば、フレンチと頼んだらのべつ幕無しにフレンチのフルコースを吐き出すロボットがいるようなものである。彼ら、”属性オタク”は舌が薄らと肥えているが、積極性を持たず、如何に心地よく餌を享受できるかを求めている。昨今のソシャゲなどでの美少女コンテンツ化はその表れと言っても差し支えないと愚考する。

 ライトなオタクとはオタク的コンテンツの一般への浸透の象徴である。

 何かのオタクたるとは何なのだろうか。

 クラスタという言葉での連帯感や呼びかけを用いた構文は何時頃から使われているのかは不明だが、界隈、という言葉にない明るさを感じる(カタカナだからだろうか)。これらは直接的には従来のオタクコンテンツと関係ないような場面で使われているのも用例として多い。特定のキャラクターに限った同好の士を求めるのにも使われる。インターネット人口が増え、興味の幅が近い人間が可視化されてきたからこその現象なのかもしれないし、ただ単に人が増えただけなのかもしれない。

 結局はコンテンツ量、生産量の多さがこの状況を齎したのだろうし、文脈などにこだわらない見方は好きなものを軽快に求めていけるという点で善なのかもしれない。

 だが、私はストーリーの奥深さ、キャラクターの多面的な関係などといった、好きなものを取り巻く環境を愛してこそ初めて嗜好を語れるのではないかと思う。まぁ、私はオタクではないただの赤ちゃんなので何も分かりませんが…ばぶ~~~~ッッッ!!!!

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