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国立大学の学部増設の形態 千葉大

 国立大学の学部増設の形態について、述べています。

 前回は


 千葉大学の学部の形成過程は、始まりの時点で独特な形態を取ります。

千葉大学に有利な当時の状況

 昭和24年の新制大学の成立時には、統合された旧制の学校を母体に、学芸学部、医学部薬学部、工芸学部(昭和26年に工学部に改称)、園芸学部の5学部の陣容でした。翌年の昭和25年に、当時千葉県にあった旧制東京医科歯科大学の予科だけを統合して、予科と学芸学部を母体にして、文理学部と教育学部を設立します。
 この統合は、当時の新制大学の医学部・歯学部が、大学の教養課程である大学2年次修了を入学条件にしていた為に、予科を独立させる必要に迫られて行われた動きです。東京医科歯科大学の教養部のサイトにそのいきさつが述べられています。

昭和23年頃から新制大学設置が本格化し、それと見合った形で、本学でも昭和24年の入試を行わず、予科の自然消滅の方針を打ち出しました。昭和25年には予科は3年生を伴ったまま新制千葉大学に移管され、千葉大学東京医科歯科大学予科と呼ばれることになったのです。教官も昭和25年は兼任の形をとっています。新制大学では医、歯の大学に進学できるのは、いずれかの新制大学の進学課程を終えた者とされました。この進学課程は文理学部、教育学部、学芸部、あるいはきわめて少数の教養部等で教えられていましたが、本学のような規模の小さな単科大学が独自にこうした学部を持つことは難しかったため、千葉大学への移管となったのです。千葉大学では本学予科を核として文理学部が開設され、本学の医学部40名、歯学部60名の教育をも受け持つことになりました。昭和26年3月で予科は廃止されます。

千葉大学と東京医科歯科大学教養課程の分離

 ところが、医学部や歯学部だけが独特な入学形態を持った事が、後々問題となります。東京医科歯科大学の教養部のサイトの続きに、以下の様に述べられています。

当時、「進学課程」を終えて医学部、歯学部の専門課程に進むには、その時点でもう一度入試を受けねばなりませんでした。しかし、公私立の医、歯大学でこの入試を行わず、進学課程と専門課程を直結させる大学が暗々裡に増加するようになると、そのことが医歯系大学進学に混乱を生じさせたこともあり、識者の間にも入試を間にはさまない方がよいのではないかという議論が起こるようになります。昭和30年1月に医歯系大学は6年制となり、直接専門課程に進めることになりました。そして、それに伴い、同年、千葉大学文理学部内に本学の進学課程が設置されたのです。

 その後、昭和33年には正式に千葉大学から分離して、6年制の東京医科歯科大学の国府台(教養課程)分校を経て、教養部となります。因みに、現在教養部を持つ国立大学は東京医科歯科大学のみとなっています。

その後の千葉大学の躍進

 意外な形で、文理学部の設置というアドバンテージを得た事もあり、東京医科歯科大学の教養課程の分離後も、学部の拡張は進みます。昭和43年には文理学部の文系部門と理系部門を分離して、人文学部と理学部を設置しました。昭和50年には医学部看護学科を分離して看護学部を、昭和56年には人文学部の法学・経済学部門とその他の部門、教養課程を分離して法経学部(現在の法政経学部)と文学部、教養部(廃止)を設置しています。平成28年には、文学部の一部と、教育学部の非教員養成系の課程などを母体として、国際教養学部を設置するなど、総合大学化が今も進んでいます。

東京由来の多い千葉大学

 千葉大学の由来は、東京医科歯科大学の予科だけでなく、工学部の母体となった旧制東京工業専門学校も、空襲で疎開したのが千葉県松戸市であったことから千葉大学に合流した経緯があります。そればかりではなく、現在千葉大学の本部のある西千葉地区は、旧制東京大学第二工学部の跡地にあるなど、つくづく東京に縁のある大学です。

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