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戦前の私立大学の重層構造 後編

前回は

戦前の私立大学の遺産

 戦後、新制大学に私立大学も移行します。大学部はそのまま新制大学に移行しましたが、大学予科は独立して新制大学の文理学部などになるものや、新制高等学校に転換するものに分かれました。
 戦前の私立大学の主流であった専門部は、大学の同種別の学部に吸収され、その学部の夜間部(二部)となるケースと、独立して新設学部になるものに分かれます。戦前の大学は、学部が法学、医学、工学、文学、理学、農学、経済学、商学に限られていましたが、戦後は様々な名称が認められます。
 私立大学で、戦後の新制大学設立時に、教育学部や薬学部等の、戦前になかった名称の学部を持っていた大学の学部の多くは、戦前の専門部を母体としたものです。

私立大学の多様化

 学部の増加以外は、昼間部(一部)、夜間部(二部)といった単純な区分で、戦前の重層構造を大学に取り込んで成立した新制大学が、徐々に変化を始めます。

 私立大学では、昼間部(一部)、夜間部(二部)と区分されていた講義の形態から、朝から夜まで通じて講義が行われるという昼夜開講のスタイルを取り、夜間部(二部)を、主に夜間の講義から選択する夜間主コースに転換する大学も増えました。また、早稲田大学の様に、第二文学部以外の夜間学部を統合して、新たに社会科学部という昼夜開講の学部を設置するケースもありました。
 他にも、戦前の講義録の配布を源流とする、通信教育による大学教育が、昭和25年から正式な大学の学部として認められた事もあって、通信教育部を設置する私立大学も増加しています。
 近年では、早稲田大学などの様に、第二文学部や社会科学部を昼間部に転換して、社会人の教育を大学院レベルや通信教育部主体に転換した大学もありますが、まだまだ夜間部(二部)や昼夜開講の学部を設置している大学もあります。
 学費の面でも、夜間部(二部)や通信教育部は、昼間のコースと比較すると割安な設定ですので、財布に優しい面もあります。
 大学という概念は、戦前の重層構造を組み込むことで、拡張していますが、その流れを創り出した多くは私立大学なのです。

国立大学とは違う私立大学の源流

 夜間部(二部)や夜間主コースは、旧制では私立大学の主流であった、専門部の後身であるので、ある意味私立大学においては昼間のコースよりも源流に近いとも言えます。そんな私立大学特有の出自の関係からか、実際私が大学院生の時代には、夜間部出身だと語る知人の大学院生も結構いました。

 私立大学の源流が、夜間部(二部)や夜間主コースなどの前身である旧専門部にある事は、ある意味意外な事実です。それ以外にも、私立大学には一つ一つの大学に多くのドラマがあり、周年誌などで、そのドラマが書かれている事が多いので、読んでみるのも面白いものです。
 最近では、ネットで閲覧が出来る周年誌などの文献もいくつかの大学で見られるので、リアルな活動が制限されているこの機会に、国公立大学ばかりでなく、私立大学の変遷にも守備の範囲を広げてみたいと思っています。 




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