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レ/クリエーション(偽日記76)

晴れていてよかった、とすこし嘘みたいにいったそばから熱気が背骨を撫で、私たちは同じ温度の空気を肺にいれた。深々と、確実に、肺にそれがまわったあと、なごり惜しく吐き出して、あと少ししたらいこう、といったのはもう誰かも覚えていない。急ぎはしないのは、ゆるされていると錯覚できる時間はあたりまえにすぐ終わるので、すぐ終わるからこそ急いで台無しにしたくないからだ、と全員がおもっていた。いま私は、全員が”おもっていた”と書いてしまえる。信じているからではなくて、裏切ってもいいし裏切られてもいいとおもっているからだった。友人たちとは、血は分けてないが、どうしてもゆるせないことだけは既にわけあっていて、お互いの涎や鼻血でTシャツを汚しあった幼いときから数えるともう随分と長い。

「やられた」
と、きたメッセージは二股に別れており、別々の時空で別々の私が別々の知人に応答しているのだけれど、それをいまこの時間の私が振り返る(LINEと電話/直接の会話の記憶)とまったく違う私たちの像が観測できておもしろい。そのA地点の私と、B地点の私は概ねほとんど同じことを相談されているけれど、まったく違う受け答えと応答をしている。ズレている分だけ別人といってもいいし、少しだけズレた時点で別人ともいってもいい。そもそも別の友人と相対しているのだし、核がおなじだろうと相談された内容も相談者の精神性もまったく違うのだから、その分相対する私もズレていくのは当然とおもうこともできるし、無理矢理私の流動についておもいはせる契機としてこのテキストのこの後の流れのために生贄にしてしまうこともできる。
 どちらも選ばず、ぼんやりしていると、福笑いの目の位置をすこしズラしただけで別のなにかになってしまう不確かさが私からイメージされるここ数日から数週間前の私たちへあやなされ、色合いの違う記憶のまとまりがそれぞれ手元に残る。私はそれをつまんだり割いてみたりし、ペーパーで丸めて火をつけて半分くらいで灰皿になげたあと口にはいった葉を食べたりティッシュに吐き出したりする、そして飽きたら屑籠に捨ててしまう。残った私だけ私で、私Cへの分岐を待つ私もまた数秒ごとに異なっていく、ぶかぶかの服の皺、何度も乱暴に脱ぎ着したスウェットのように、秒ごとにすこしだけ異なった形で体にまとわりついたままでいるだけの私。

 久々に集まった四人だった。いつの間にかそれぞればらばらの土地に住んでいるから、中間地点になりそうな山形に集まることにした。あいにく晴れていて、晴れているぶんだけ、照らされてしまうだけ、今回集まった理由になった友人の、血の冷めた顔に悲しくなる。ひとりが仕事が苛烈でどうにかなりそうだってことでの収集だった。とはいえ、ひとりの精神が摩耗でもしない限り集まることさえできなくなっている、そのあたりまえに誰もが経験しうる断絶みたいなのに嘆きたくもなる。
「けど、そんなこといったって仕方ないから」
 でも、私はあたりまえに悲しいことは悲しいよっていってしまいたい。
 いつの間にか禁煙になっていた車のなかで、安いアイスコーヒーの汗がまるでもう夏かのように振る舞う。いま唯一の現在系である私(日記といいつつ、そういえばこのテキスト群はその日にあったことなど書いていないし、偽物なのでそもそも出来事の信憑性や現実性のある記述さえ約束されないが、少なくともこのテキストを書いている時間の私だけは主体として唯一逃れられない身体として痕跡を残すのだともいえる。)がこれを書くとき、なんとなく青春っぽくしとくか二十代中盤くらいの?って感じでどんどん嘘っぽくなるこの文章のように、抱えている無意味さと無邪気を無視してコーヒーカップのなかで氷がからから鳴っている。私たちには車内の音楽しかきこえていない。見知った曲が流れる。四人全員が歌い出す。もし三人しか歌ってなかったとしても、四人歌ったと私は書く。

 でもほんとうは記憶なんてない。
 山形でなにをしたか、なんて、そのときのありのままなんて、ほんとうはもうおもいだせない、記号しか手元には残っていない。
 別に特別な場所に観光にいったでもなく、思い出したい場所へ訪れたわけでもない。仮にそういったレクリエーションだったとしても、私はそれらを憶えていられない。正当に書くこともできない。さらにいえば、その旅行の道中でさえ、その瞬間さえ、目はあきらかに他者を吸って吐いてあやなして気持ちよくなっているのだから、仮にその瞬間にこれを書いていたって私は私から逃れられない。

 待ち合わせたのは大きな自然公園で、二股にわかれた遊歩道のうち左側に私と友人を含めた男性四人が馬鹿騒ぎをしながら山形市のミニチュアを蹴り壊しながら行進しており、もう一方、右側にあるベンチにスーパーのビニール袋を携えた女性が座っていて、私は私の背中を見送りながらその女性の隣に座る。私が横を向くまで、女性は昔のゲームのポリゴンのような、象徴だけ身体のような、約束ごとによってそういう形であるような造形をしている。俯いている視界にはいったプリーツスカートの先の、色味と等間隔の折りひだだけが簡易性から抜け出した。
「遅かったね」
 公園は、私の家と女性の家の中間にあり、木々に覆われているからか少し空気が冷たい。私は女性の言葉を無視をして女性を見る。女性は、焦茶色のセミロングで、顔が丸くて、目が柔らかく(人工的に二重にしているが、それでも元の柔和な印象を残す範囲での二重だ)、肌が白く(夏でも冬でも1時間に1度は日焼け止めを隈なく塗り直す)、少し凹凸のある膨らみのある頬で、うさぎに似ている。私が勝手にそう見る/書くことで、彼女はそういう属性を帯びていき、像が結ばれていく。彼女の顔/身体には私の記憶が宿っているから、それも視覚のなかで再起動され、彼女の身体ごと細部まで書き変わっていく。約7年分の鮮明な/立体的な、肉体と空間を伴う/記憶と、それから一年半ほどの朧げな/ほとんどがテキストと音声通話による/記憶、どちらも慎重に扱う必要があるが、しかしもう重要に扱われることはない記憶。ベンチから立ち上がった彼女の右手にある、重そうなビニールの中身を見て、手に取るか考えたあと、結局取らずに彼女のあとに続いた。遊歩道を抜けるまでのあいだ、彼女はずっと何かについて(日々浴びているストレスについて、と乱暴に補記してしまえるのは、このあと彼女の家についてからある程度集中してきいた話が、おそらくここでの話とほとんど同じと経験からほとんど予想できるからだ)話していたが、私は遠くの道/二股に分かれた遊歩道の、歩くたびに徐々に離れていく道のほうからきこえてくる、男四人のアカペラに耳の意識がいっていた。私の知っている、好きな曲だったからだ。

そう書いたあと、広告のアカウントを少しだけ確認する。昼間に行った施策がしっかり効いており、CPAは問題なく下がっている。会社員のときは、少なくともだらだら金をもらって広告を適当に行うことは絶対にしないの信念はあった(それは新聞広告だろうがテレビだろうがWEBだろうが制作だろうが変わらず、打ち合わせであれ立ってればいいだけの立ち会いにだってそういう気概はあったはずだ)が、いまそれがあるかといえば疑わしいが、効果を出すことに対してのあたりまえの作業にしかおもえなくなっており、もうアドマンとしては死んでいる。
 無職を約一年続けており、さすがに働かないと飢える(私は親とほとんど絶縁しており、支援などは望めない)なあ……とおもっていたら、いつの間にか友人のつてで働くことが決まっていたので、働き始めたのだけれど、働いているといえるほど苛烈におもえず、そもそも労働に苛烈がつきものである、というのは私が私の経験(身体)から取り出した偏見であるともいえる。
だいたい週3でしか働いていない、今週にいたっては(この今週はいま書いている私の今週であり、日記中の私の今週ではない)週2で、こんなんで生きれちゃってて大丈夫?と私が私にいう。
実際のところ、ちょっとしたミスや大怪我なんかで全部終わる可能性はあるので、まったく頭の良い生活とはいえないが、そもそも頭の良い生活なんてしたことがあったのかいままで、と考えると会社員だったときでさえあんなに乱雑だったのだから、本質は何も変わっていないともいえる。しかし、実際と本質は異なるので、大袈裟に変わった生活の時間とからだのズレに精神が追いついていないのがほんとうで、彼女がドアの鍵をあけて室内にはいってくる。彼女の後ろから夏っぽい格好をした私も続いてはいってくる。私の部屋は私の部屋でなくなり、彼女の部屋もまた彼女の部屋でなくなる。私はふたりを邪魔しないように、部屋の隅でからだを畳んだ。

彼女の部屋は、あいかわらずパーフェクト・ブルーに出てきてもそのまま使えそうな、生活を写した散らかり方をしている。
「最近太ったんだよね、だからほんとうは何も食べちゃいけない」
元々彼女はかなり痩せていたので、いまで普通体型(BMI的にも)なのだが、彼女はずっと「太りたくない、そんなの生きている意味がない」という。
謝れよ、この世のそういった呪いすべてに、かけている側も、かかっている側も、といいたくなるけれど、私は何もいわない。
「でも、バナナパンケーキをつくる」と、宣言した彼女は手早くビニール袋から材料を取り出し、私に差し出した。調理器具としての私はバナナを潰して生地をつくり、フライパンにオリーブオイルをひいてそれらを焼いた。すこし大きくなってしまったほうの生地が焼きあがると、彼女はその大きいほうを自分の皿にもっていった。
「あ、これ、アーモンドのせたら美味しいかもよ」
と、瓶にはいったミックスナッツを彼女がもってきたので、軽く砕いて上にのせた。
確かに旨い。
映画でもみようよ、ネトフリでと私がリモコンを手に取ると、やにわに彼女が遮った。
「待って、アルトーが何か言おうとしているよ」
それまでは部屋の隅で無言のままうずくまっていた、なんとも貧弱なアルトーがくちをひきつらせながら膝立ちでこちらをみている。その表情は被害者めいたものにも見えるし、さきほどまで誰かを踏み躙る妄想に浸っていたようでもある。
「『われわれの生に硫黄が、つまり恒常的な魔術が足りないのは、行為によって駆り立てられる代わりに、われわれの行為を眺めたり、われわれの行為の理想的な形態の考察にかまけたりして自分を見失うが好きだからである。』」
ああ?と私はがなった。
「『あたかも一方に文化が、他方に生があるかのように、そしてあたかも新の文化が生を理解し、それを「行使する」ひとつの洗練された手段ではないかのように、人が自ら文化についてつくり出した分離した観念に対する抗議。』」
抗議?
「そう」
そっか。
「影をね、壊した瞬間からその腕からまた別の影が生まれてくんのよ、結局さ」
逃れようもないって話だ。
「そう、だから影を壊す身振りをするとき、次に壊される影として振る舞えない場合、鬼ごっこしてんのに鬼ごっこだって知らないまま鬼になっていて、損なわれていることにも気づかないから置いてけぼりにされちゃう、みたいな、そんな感じ」
目がそれぞれの頭のうえにあったらよかったのにね。
「見たことある?バリ島の演劇」
あるよ。
私は幼少期にバリ島にいったことがあり、あの幽霊たちをみたことがあるのだった。
「スペクタクル!だよね〜、自立した純粋な創造にたちかえちゃってさ」
とはいえ、朧げな記憶でしかなく、私がそれについて思考するとき、それは大人になってから他所から仕入れたものを私の幼い身体にまぶしてあたかもそういう記憶だったことにする欺瞞による脳で目でしかない。他人のからだを借りて自分のからだにしちゃった罪を罪としない人たちを私がみた記憶のおまえと私が被りだす。
それはそうとして、パンケーキに砕いたアーモンドは本当に良いアイディアだった。次は生地に混ぜてもいいかもしれない。
「ありがとう」と彼女はいった。「じゃあ、もう一枚焼いて」
私はパンケーキをふたつ焼き、彼女が再びでかいほうを持っていった。
アルトーに目をやるとまた蹲っている。アルトーと半分にしたら?と私がきくまえに、彼女はパンケーキを食べきってしまった。

「結婚したいけど、」の後に続く言葉は予想できたので、私は彼の間にわりこんで、犠牲は仕方がないんじゃないの〜と身軽にいう。¥100レンタル映画の情緒。半分しかみなくたってまあ自分をゆるせてしまう。なにを? 彼を? 彼の人生を? 彼の苦悩を? それとも私の目ごと安いってこと? 安いって、安くしているのは、ほんとうは固有なものを間テクスト呼び出しでフィクションより雑でダメにしてしまうような処理のこと?
「無限に時間がないと終わらないんだよね、」
仕事、は、確かに広告代理店の仕事は、終わらない、終わりがない、終わりがないというより終わりのない方向へ進むことができ、それは真摯ともいえるし馬鹿ともいえ、少なくとも馬鹿だった私からすれば、その馬鹿を甘いことにして肯定したくはなるのだった。
空気が夏っぽく振る舞えば振る舞うほどに、友人の顔の、肌のうえで白が深くなっていく。外からの熱で、さまようものは内で腐ってしまう。そう書く。そう書くことで彼はこの雑に書いた表現に支配されてしまう。

さき伸ばされていくものがすべてで、生活だから、何かを決めたって決めた先に伸びていくのだから、たどり着くことなんてずっとずっとないのだから、死だって終わりにならないくらい残されていくのだから、落ち着けよ、と私はいう。落ち着けよ、目を抜いてから松果体を絞ってでた汁でミックスジュースつくれよ。なあ?
私たちは四人で彼の会社に乗り込み、彼に過重な労働と理不尽な要求を突きつけている上司の頭をつかんでデスクに叩きつけた。腕を折ってやった。足を切ってやった。大切な写真を破いてやった。大切じゃないものを部屋に散らかしてやった。もちろんその上司がいないところで。「太りたくない、太りたくない」といってパンケーキをトイレで吐こうとする彼女の背中を摩りながら、ボタンひとつで救いが訪れたらいいのにな、と歌うのは、私でも彼女でもないなら何? 怪物ということにするので、ここで怪物が現れる。私は部屋で仕事の残りを片付けながら、腐っていく彼がこのレクリエーションで本当はちっとも回復してないんじゃないかと心配しながら、背中をさすった彼女の吐瀉物をみながら、怪物に、てきとうこいてんじゃねえよ、と睨みをきかせてみたりし、怪物は、でもじゃあどんな造形なら怪物でどんな造形からが怪物でないの間で、私はそれを書かないことにしたので、怪物はただ怪物という記号を押し付けられた立方体でしかないなら、私は私に私を押し付けられた立方体でしかないなら、彼女は彼女を私に押し付けられた立方体でしかないなら、彼は彼を私に押し付けられた立方体でしかないなら、テクスチャをすべてはいだら残るのは、まったく夏の気配なんてない、長雨で冷たいこの部屋だけだね。何をしたらいいかわからない以前に、何をしたらのまえに、ほんとうは情動ごとどうでもいいんじゃないの?といわれても動くからだ、どっちが嘘か決めていいなら、俺はどっちも嘘にしてしまって、でも結果だけはやすらぎの方向を向いていて欲しい。吐く息に意味がない空間でおまえといたいよ、そのためなら足ぐらい汚れてもいいし、手だってなんならいくらだって滅ぼしてもいい、おまえのためじゃなくて、だっておまえを見ている俺のためなんだから。見たものぜんぶを俺が奪っていくんだから。

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