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鼻毛人生行路

暗い日々。気分では無く文字通り辺りは闇。偶に日が差し込み薄暗くはなるものの、視界良好とは言えない。
それでも我々は慣れたものでしっかりと根を張って生きる。
空気の往来を全身に感じる気分は、渚に身を置いている様で心地良いのだが、そう私が自身を表現してみた所で、鼻で笑われるのだろう。

私は鼻毛。
ずっと成長したくない。責任を取りたくないピーターパン症候群。

この世に生を受けた時、とても乾燥していた。暫くすると蒸した環境に変わった。薄暗い光源の方は騒がしく、近くからは明瞭な声がする。
乾燥しているか蒸しているかを報せろ。それが私へ最初に求められた事だった。近くの鼻毛に伝えて伝言ゲームの様に伝わっていく。今思えば産まれて直ぐに仕事をする事ではあったが、右も左も何をすればもいいか分からない私には必要な目的だった。

間もなく私にぶつかる何かがあった。それが何なのかは分からない。私から見て微小なものから、それなりに大きいものまで。私の身体に無遠慮にぶつかるだけでなく絡みついてくる嫌悪感に身の毛がよだつ想いだったが、近くの鼻毛に褒められた。
どうやら、異物を抱き留めることも大事な仕事らしい。私は出来る限り異物を絡めて身に纏い、独自のファッションを形成していった。

乾湿の仕事よりも、異物ファッションの仕事は明確に他毛との差が成果として出るので、私は意気になって積極的に身を揺らして異物を絡めようとした。その際、他毛とぶつかり怒られる事もあったし、壁に何度かぶつかってみたところ

っっくしょっん!!!

大きな揺れと共に折角身に纏った異物の多くが吹き飛ばされてしまった。困惑する私を他所に隣の鼻毛が、私のせいでくしゃみというものを発生させたと伝えた。薄暗い先から叱責の声が響きかけたその時

っくゅんっ!

一度目よりは小さかったが再び揺れた。すると間もなく大きな…暗くて良く見えないが肌色の様な物体がやって来た。多くの鼻毛を押し退けて壁に向けて、物体が数度擦られる。その先端には硬い部分があり、私の手前の部分を擦っている。総毛立つ思いで怯える私。すると物体の近くに根差していた、私のせいだと告げ口した鼻毛が硬い部分に刈られて抜けてしまい、断末魔と共に薄暗い先へ物体に連れ去られてしまった。

何となく、薄暗い先とはいえ、向こうは明かりが差す世界。希望のメタファーの様に思っていたのが一転、恐怖の世界に変わってしまった。
時間と共に成長し、身を伸ばしているのを実感していた私は、それが恐怖の世界へ日々近付いている事実と知り、自らの成長を呪った。栄養を獲ないように望んでも、根を張った足元から勝手に食事を摂らされてしまう。嗚呼、嫌だ。大人になんてなりたくない。


時は過ぎ。
私はすっかり薄暗い先の方へ達していた。此処に来た時に周りの鼻毛から、くしゃみを起こした奴だと嫌味を言われたり、皆その悪戯はやってるよと庇ってくれたりと色々な鼻毛が居た。
外の世界が近付くと、外界の音というものも良く聞くようになるが、いまいち意味は理解出来ない。周りに聞いても分からないとか、どう聞いても知ったかぶりをしていたりで、答えは分からない。知らなくても関係無いのではあるが、私は外界に少し興味が湧いていた。

この日はやたらと粘膜が多い。ドロドロになった身を漂わせ、時折強く鼻を抑えて噴出する行為には抜けないように踏ん張り耐えて、終えると皆一斉に俺達はいつも通り仕事してる。きっと他所の連中がサボったからこんなに荒れてるんだと、口々に責任転嫁している。私もそれに同調する。基本的に私達は同じ空間で同じ場所で離れることは出来ない。だからお互いに啀み合い、喧嘩をするよりも共通の架空の敵を作っておく方が、波風立たずに日々を過ごせるのだ。

ある時


悲劇は突然だった。
ジィィィィィ…!
その聞き慣れない断続的な音は初めて聞いたものだが、隣の鼻毛は音によるものではなく、明らかに恐怖に震えていた。
すると肌色ではない、光る銀のような色合いの物体がやって来た。問題はその物体の中、得体の知れない何かが暴れている。近くの鼻毛がそこに巻き込まれると、物体の音に混じって断末魔の悲鳴が聞こえた。心配する間もなく彼は半分になっていた。それから間もなく次々と多くの鼻毛が切り刻まれていった。私も危ないと思った瞬間…隣の鼻毛が身を挺して逸れて…

ほんの1ミリ刻まれた。
言葉には出来ない。まるでアキレス腱を切られるような激痛、発狂しそうな程に全身を巡るそれが収まるまでどれだけの時間を要したか。
私ですらこの痛みなら、もっと切られた鼻毛の痛みはどれ程のものだろう。考えただけで心痛極まるものだが、根元から削がれていない以上、彼らも生きている。悪夢のような時間の後、暫くはお通夜会場だった。

痛みがまだ残る。
冗談じゃない!定期的にこんな思いをするなんて最悪だ!今まで頑張って仕事を果たしてきて、何でこんな目に遭うんだ!?こんな所に居続けても報われないよ!
私の訴えに誰も反応はしてくれない。無理もない。根を張った自分達がこの場から離れる事は出来ない。それは私自身も良く理解していた。立派に根を張った自分の足元が誇らしかったが、今は憎らしい。

風のいたずらか。
先の悲劇を経て、私は誰よりも長い鼻毛になった。風の往来に揺れて私の先端は…薄暗い世界を出た。外界の世界が映った。そこは明るく、自分達が生きて来た場所よりも遥か広大な世界が広がっていた。
私はその世界に見惚れた。私の根城は動いているようで、景色は次々と移り変わる。それら全てが新鮮で、私は興奮してその情景をほとんど反応を示さない鼻毛達に次々と実況していった。

興奮が少し落ち着いた頃。
「おい、鼻毛出てるじゃん」
「えっ?マジ」
「ほんとほんと、鼻毛ー」

明らかに私に目を向けられて声がする。この時初めて私は鼻毛という名を知った。肌色のもので撫でられて私が鼻毛だと言うことを確信すると、何か自分のアイデンティティを確立したようで、向かいの生き物の笑いと同じ様に私は喜んでいた。

喜んでいる私の後ろから、おいやばいぞって声がしてから間もなく、ヘラヘラしていた私は肌色の物体に挟まれる。硬い先端で更に圧を掛けられて…ヘラついていた私は足元を踏ん張るつもりも毛頭なく…。

―――…






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