22 突飛と常識の狭間

noteを開き文章を書き始めるのは約2ヶ月ぶりになってしまった。理由は色々あるがシンプルに書くことがなかった。ただそれだけである。実際今も書くことねぇなと思いながら画面と向き合っている。
2ヶ月ぶりなこともあり、自分がどのような文体でどのような語尾を使っていたか全く覚えていないので最近読んだ本に影響された文章になってしまい、前回とかなり変わっていると思うが気にしないで欲しい。

オミクロン株が流行し、3回目のワクチン接種が始まったなか、ワクチンに関するバイトを再開した。現状6ヶ月たったのは高齢者が多く、高齢者と絡むことが増えている。ほとんどの人がしっかりとした人が多いが、ほんの少数厄介な人がいる。
そのような人を見ると自分も実は厄介な人間扱いなのではないかと考える。
実際厄介な奴も自分が厄介だと思って行動はしてないだろう。(もし迷惑だと思ってしていたらそれはそれで不愉快たまが)なので無意識の行動が人に不快な思いをさせていることになる。
返事ができない人は普段から返事をしないだろうし、偉そうに話すやつはファミレスの店員にも上から注文をしてるのだろう。
結局それが自分の中で当たり前であり、なんの違和感も感じない。だからその行為が社会の考え方と外れていても気づかないし、自分が正しいと正当化してくる。
自分は店員にも丁寧な言葉を使うし、返事もしっかりできるのでこの事象においてはマジョリティ側に属している。なのでマイノリティである高圧的な人間に違和感を覚える。しかし、それは1つの事象においてであり、自分がマイノリティに所属している場面も多々あるのであろう。その場合多数派には冷たい目で見られているのである。
結局人間は自分の中での価値観でしか判断ができない。たまに「お前は変わってる」と言われることがある。その場合「お前も変わってる」と返す。自分は自分のことを普通だと思って生きているし、それは当たり前の考え方だと思う。
結局自分以外の人は変わっていると捉えることで自分自身を正当化したいだけなのだろう。
なので、これからは人に変わっていると言うことは意識してやめようと思う。他人と比べることばっかりの自分を変えるための第1歩にしたい。

ここで今日書いた見解はなんの根拠もなくて個人の見解なので深く考えないでください。

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