定年退職後の私の日々(人間関係編4:定年退職者の暴走老人化について)
良く利用している情報WebSiteの最新トピックスに” 定年退職者の暴走老人化問題”に関する軽い論評が掲載されていた。特に目新しい内容ではなかったが、それにしてもこの暴走老人という類いの連中は実に始末に負えない。
コンビニのレジでアルバイトの若者の些細なミスに大声で文句を言ったり、駅でルールを破り駅員に注意された事に逆ギレして暴言を吐いたり、病院で待ち時間が長いと看護師をネチネチと罵倒したり、購入した製品の不具合を見つけてはメーカに延々とクレームの電話を入れたり、公共の場で家族とおぼしき同行者に聞くに堪えないような言葉をぶつけて怒り散らかしたり、場合によっては気に入らない相手に暴力を振ったり・・・・。
私も何回かこのような暴走老人の悪行をニュースで知ったり実際に目撃した事があるが、本当に極めて情けなく不愉快な話だ。周りの人間を不快にさせ、やる気とか気持ち良さとかを大きく毀損させ、本人だけでなく関わる人を不幸に陥れる害虫のような連中だ。
しかし、日本社会はとても優しいので「彼等がそのような行動をとるにはそれなりに理由があるんだよ」と定年退職者による暴走老人化を色々と庇う論調も多いのも事実である。
1.暴走化するにはそれなりの理由があるって言うけど・・・
定年退職ノウハウ本、定年退職小説等で良く紹介される「暴走老人が生み出されるそれなりの理由」の代表的なものは下記である。本当にこのパターンはやたら多い。キーワードはお馴染みの”承認欲求”である。
ーー<定年退職者A氏の暴走老人への道>ーー
私はこの会社でこれまで責任ある地位でバリバリと仕事をやってきた。当然、定年退職後も会社に残り更なる貢献をするつもりだ。会社もそれを望んでいるだろう(雇用継続契約で働くことを選択する) ⇒ 私が役職を解かれるのは致し方無いが、あくまでも形式的なもののはずだ。それなのに元部下のBの野郎。私の指示は不要だ・・・とは一体どういうつもりだ? ⇒ 私はこんな誰でもやれるような仕事はやりたくない ⇒ 私にこんな仕事をやらせるなんて、周りは私の能力の高さを理解していない ⇒ 私が担当すべき仕事はこの会社には無い。どうやら、別の舞台で活躍すべき時がきたようだ ⇒ 私を失うことは会社にとっては大きな損失だ ⇒ 私のような経験豊富で優秀な人材にどうして仕事が見つからないのだ? ⇒ 私はこんな状況に甘んじるような低レベルの人間じゃないのだ ⇒ 私の事をどうして誰も評価しないのだ ⇒ 私の周りの人間はダメな奴ばかりだから私は評価されないのだ ⇒ このレジの若造は私を馬鹿にしている。どうして、こんなしゃべり方しかできないんだ。私が仕事の厳しさを教えてやる・・・・・・ (以下、同様な感じで続く・・・・・)
飽き飽きするくらい良く紹介されるパターンである。でも、こんな事が理由で定年退職者が暴走老人化するって本当ですかね?少なくとも、私の友人・知人で限ると見たことも聞いたこともないが・・・。
前述のように定年退職ノウハウ本やら定年退職小説やらではこのように定年退職後のオッサンが問題を引き起こすことになっている。ちなみに、定番の定年退職小説に至っては、これらのオッサンが挙げ句の果てにアホみたいな色恋沙汰まで起こすから、もう本当に真面目に読む気にもならない。
とにかく、これらの定年退職オッサン達の暴走老人化の理由は極めて自己中心的であり、同じ定年退職者としても全く共感はできない。
何が承認欲求が満たされない・・だ。
そんなもの、自分で努力して何とかしろよ。迷惑だから周りを巻き込むなよ。それができないなら、死ぬまで家に引き籠もっていろよ。世の中、新型コロナ禍なんだから・・・・と言いたい。
2.暴走老人は元々そういう人間なのだ
定年退職ノウハウ本や定年退職小説等で「定年退職者にとって承認欲求を満足させるというのは本当に大きな課題なんですねー。定年退職者の暴走老人化の問題は社会全体で解決してゆくべきでしょう」なんてしたり顔で言われたって、私を含めた他のまともな定年退職者とっては実に迷惑な話だ。まともな定年退職者はそんな理由では暴走老人化するはずがないと私は思う。
承認欲求なんて誰にでも大なり小なりある。大抵の人はそれをモチベーションの維持とか向上心等に上手に活用しているのだ。
定年退職後に暴走老人化するようなオッサンは承認欲求云々以前に、元々そういう自己中心的な人間なのだ。定年退職したことは暴走老人化のきっかけかも知れないが、そういう連中は遅かれ早かれ周りの人間を不快にさせる事しかできないようなオッサンになるのだと思う。
人生の反面教師として定年退職者の暴走老人化は常に意識してゆくべきだろう。