見出し画像

キーボードから離れられない

note初投稿はどんな内容にしようか、しこたま悩んだ結果、「こんな僕には文章を書くしかないんですよ」という捻くれた文章を書くことにした。けれど、こんな書き方では読んでくれる人の気分も捻ってしまうだろう。

そこで、「僕の伝えたいことをちゃんと表現するには、文章が一番適してるんです」と書いてはどうだろうか。より多くの人に受け入れられるような表現になったと思う。

文章は楽だ。声による会話と違って、発信前にじっくり考えることができるし、間違えたところは修正することができる。発信後の修正も比較的カンタン。

時差のあるコミュニケーションだけど、だからこそ伝えやすいということもある。

僕はコミュニケーションへの苦手意識が強い。会話のキャッチボールは得意な方ではないし、人見知りも激しい。発言した内容に後悔することも多々ある(たくさん人を傷つけました。みんなゴメンね)。

人の「声」って、実はとても情報量が多い。言葉の内容だけでなく、イントネーションや喋るスピード、音量、声色、間(ま)などから、その人の感情やら何やらいろいろ読み取れてしまう。さらに対面では、その人の表情や視線の動き、仕草なども情報源となる。鋭い人は、そうした情報から「嘘」や「本音」を見出してしまう。僕は5年間、営業職をやっていたので、そのことがよく分かる。だから怖い。

コミュ障の人(一括りにしてはいけないと思うけど、便宜上こう書きます)にありがちなことで、会話中の意識が相手ではなく自分に向いてしまう、というのがある。簡単に言えば、「相手にどう思われてるか常に気になる」状態だ。一度気になり始めると、ちょっとした仕草や声のトーンがいつまでも気になってしまい、負のループに陥る。本来、意識の矢印は「→自分」ではなく「相手←」に向けられるべきなのだが……

文章の場合、前述したようなメリットがコミュ障に効く。例えばメールやLINEでのやりとりは、電話や対面コミュニケーションよりも情報量が少ないし時差もあるけど、その情報量の少なさや時差が有り難い。

これまで30年近く生きてきた経験から、僕は「声によるコミュニケーション」よりも「文章によるコミュニケーション」のほうが遥かにストレスフリーで、伝えたいことも比較的伝えやすいという実感がある(例外もあるよ)。

だから、いま「ライター」という仕事をできていることがとても有り難い。

こうしてnoteにトコトコ書いているのは、自分の表現の幅を広げたいからに他ならない。制限の多い文章というツールを使って、いかに「林汰久也」を表現するか、こんなことを考え始めるとキーボードの前から離れられなくなってしまった。

2022年3月2日


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?