この本が好き『中古典のすすめ』。そしてスローなブギにしてくれ」考察
本が好きなもんですから、丸の内の丸善書店とか新宿の紀伊國屋書店とか、都内の大きな書店をウロウロしているときがいちばんの至福ときで、そんで図書館にも出向いたり。
そんな日々、こないだ地元の図書館で出会った本がこちらで、ワタクシと同世代の方で本好きでしたら、ぜひ。
Amazonの説明を引用します。
とくに1970年から80年代の中古典、「あ、この本、知ってる」というのがけっこうあって、うれしい。
うれしいというか、昭和のあのころ、自分も中高校生だったので「まだ読めなかった」というか、敷居が高かったというか。
だってさ、当時は新宿・歌舞伎町のDiscoが全盛期で、同世代のみなさん、東亜会館ね。
「B&B」とか「GBラビッツ」。
好きだったなー。
いまでいうところの「トー横」に噴水池があったころ。
「トー横」をはさんで対面のビルの「ニューヨーク・ニューヨーク」とか、コマ劇場があったビルだと「ゼノン」とか。
「カーニバルハウス」にも行ってたな〜。
当時はサーファーが流行ってて、ご多分にもれずワタクシも陸サーファー(←カッコだけサーファー)で酒とオンナ(ナンパ)とモータウンサウンドに明け暮れていたころ、〈争議も描いたドラマチックな記録文学 山本茂実『野麦峠 ある製糸工女哀史』〉とか〈貧しい少女を描いた社会派YA文学 早船ちよ『キューポラのある街』〉とか〈旧日本軍の暗部を暴いたノンフィクション 森村誠一『悪魔の飽食』〉とか、読まんだろ。
ところがですね、この『中古典のすすめ』を読んでみるとですね、「え、なになに、そうなんだ、そういうことだったのか」と。
とくに、資本主義の黎明期の“労働問題”など、明治から大正にかけての社会の矛盾というか歪というか。まさに温故知新。で、当時の歪みが解消されたのかというと、んー、みたいな状況だし。
▼“宅建”からの観点でいうと、こちらの本を読んでみたく。
「灰谷健次郎『兎の眼』お嬢さん先生の修行と履歴(1974年)」
「H工業地帯の中にあるS町が舞台」だそうで、その町の小学校の横に塵芥処理場(ゴミ焼却場)があって、学校には処理場の臨時雇いの労働者が住む長屋の子どもが通ってくる、という話らしいです。その小学校に赴任したのが22歳の小谷芙美先生で、と。
でね。
新宿のDiscoで夜な夜なダンシング、みたいなオレらでしたが、この小説はばっちり読んでました。
「片岡義男『スローなブギにしてくれ』疾走するハードボイルド(1976年)」(P.166)より引用します。
こ、こ、こ、これ。
ぜんぶ、今も、持ってます。
なんで当時、高校から大学にかけて、こんなにも好きだったのか。
じつはね、たまにだけど、いまも読み直したりしてて、そんでね、片岡義男さんのデビュー作の『スローなブギにしてくれ』は新装版も出たりしたので、それも買ってる。
ちなみに、『彼のオートバイ、彼女の島』は3冊持っています。
なにを隠そう、24歳くらいのころ、オートバイで日本一周の旅に出たもの、片岡義男さんの小説『彼のオートバイ、彼女の島』『幸せは白いTシャツ』『ときには星の下で眠る』などの、いわゆるオートバイ小説といわれるものに感化されて。
そのとき、というか、“その季節”とでもいいましょうか、とにかくさー、毎日毎日、めっちゃ楽しくてさ−。
次から次に、いろんな街に行ってさ−。
当時はユースホステルというがあって、いまもあるのかな、見ず知らずの旅人との相部屋というが基本で、でもみんな若かったということもあって、それも楽しかった。
・・・みたいなことを一気に思い出させてくれまして、しばし、至福でありました。
ところで。
なんで当時、高校から大学にかけて、こんなにも好きだったのか。
それは、文体が、だったと思う。
『中古典のすすめ』から引用させてもらいますと
第二の片岡義男らしさは〈描かれるシチュエーションの鮮やかさ〉とのことで、なるほどだしかに。
オートバイのライダーが主人公の作品だと、自分が好きだったということも多分にあるけど、とくにそうだと思う。
たとえばさ、単なる田舎道を走るシーンなんだけど、夏だったら、読んでて夏感全開。それを味わいたくて、実際に、オレなんかはどこまでもバイクで走りに行っちゃったけどね。
そして第三の片岡義男らしさ。
これもなるほどそうですね、と思いました。
〈登場人物がそこらのアンチャンやネエチャンであることだ〉。
旧来の日本文学には珍しいタイプ、とのこと。
だから、「これって自分だ」と思っちゃって、なんども言ってすまんが、バイクで旅に出た。
〈このように、外形的、客観的な描写に徹した表現方法は「ハードボイルド・スタイル」と呼ばれる。ヘミングウェイやチャンドラーが愛用したことで有名な様式だ。しかし、日本文学で本格的にやった作家は、片岡義男以前にはいなかった〉と本書。
今にして思えば、俳句のよう、ですよね。
情緒的な文言を徹底的に省き、鮮やかに、シーンだけを重ねて、そして情緒を表現する。
当時、乾いた感じがして好きだったのは、そうか、こういうことだったのか。
自分も“主人公の思想信条や内面がゴタゴタ”が苦手で、つまり感情が前面に出ちゃってるような“芸術的なもの”は好きじゃないので、そっか、だから、読みやすかったのか。
いずれにしましても、"10代後半から20代の真ん中"あたりまでの愉快な日々は、たぶんに片岡義男さんの小説のおかげだと思う。
そんでさ。
小説に登場する女性が、これまたみんな素敵で、当時の世情にありがちなうっとおしさが微塵もなく、なににもこびておらず自立してて、たとえば離婚とかも躊躇なく、個としてキラキラ輝いている。
そんな彼女がバイクに乗ったりするのでたまりません。
いまも、好きな女性のタイプは、片岡義男さんが造詣する女性だ。
以上、すみません、今回はちょっと長くなりました。
ついつい、うれしかったものですから!!
最後までおつきあいくださいまして、ありがとうございます。
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