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カンチガイから台湾旅行 ー2日目ー

ー1日目から続くー

遮光カーテンの隙間から差す強い眩しさで目が覚める。もっとしっかりカーテンを閉じておけば良かったと思いながら時計を見ると7時半であった。時計が狂ったのかと思った。近年はエイジングのせいか夜中に何度も目が覚めてしまうので、だいたいその日最初に見る時刻は3時台だ。その上、今住んでいるマンションはとても”朝方”で早朝から五月蝿いので、エイジングに加えその五月蝿さでも何度も目が覚める。早朝5時からは決まって隣のおばあさんが大声で歌い始め、激しい料理なのかキッチンのシンクに何かを打ちつける音が響く。6時からは下の階の住人が毎日30分間掃除機をかける。掃除機が終わりそうな時間になると、今度は上階に住むパワー弾ける子供たち(と言っても私の姪たちなのだが)が起床して走り回る。毎日がこんな状態なので7時半まで1度も目を覚ますことなく眠れたことに驚いたし、途切れること無くぐっすり眠ったらいつも何度も目が覚める数時間をタイムスリップしたような不思議な感覚があった。

よく眠ったら次は朝食だ。台湾の朝食として有名な鹹豆漿(シェンドウジャン)をこの旅行で食べたい物リストに入れてあるので、ガイドブックで見付けた卓杭豆漿(フーハンドウジャン)という店まで20分歩いて行った。雑居ビルの2階、フードコートの一角に入っている店なので階段で上がるも、2階自体に入れずまさかの休み。私の他にも、今日はまさか休みなのかという動きをしている1組の夫婦がいたので「开门(カイメン)?」(開店する?)と聞いてみたら、旦那さんの方に「没有(メイヨウ)」(いいえ)と言われた。ガイドブックでは年中無休になっていたので、何か理由があるのかと思って「为什么?(ウェイシェンマ)」(なぜ?)と聞くと、今度は奥さんに、何故かは解らないけれど今日はやっていないという内容のことを言われた。目的の店が閉まっていることにショックは受けたが、奥さんから言われた少し長めの一文が理解できたことに喜びを感じた。そしてこれが、この旅行中に理解できた記念すべき一番長い中国語の文となった。

この夫婦と一緒に階段を降りて行き、私はビルの隅に行って他に朝ごはんを食べられる店を調べた。できれば予定通り鹹豆漿を食べられるお店がいいと思って検索したら、永和豆漿(ヨンハンドウジャン)という店が通りのすぐ反対側にあることがわかった。店に向かう前に一応クチコミにも目を通す。本来行く予定だった卓杭豆漿が休みだったのでこちらに来ましたという投稿が何件もあったので、卓杭豆漿は不定休なのかもしれない。(この旅行後に発売されたガイドブックには毎週月曜休の記載有り。)

「一个人(イーガレン)」(1人)と言いながら店に入り、鹹豆漿と蛋餅(ダンビン)を注文した。鹹豆漿は豆乳ベースのおぼろ豆腐の入った温かいスープといえば良いか。お腹に優しそうで朝食にもってこいのイメージだが、このスープには揚げパンがプカプカと浮いており日本人には無いその発想に驚かされる。蛋餅は卵の巻かれた甘く無いシンプルなクレープ。醤油など調味料を掛けるものだと知らずに味の無いまま食べてしまった。欲張って2品注文したが鹹豆漿の量が結構多く、かと言って異国で食べ残すなんて申し訳ないことはできない。時間は掛かったが9割9分3厘くらい完食すると、今日は中正紀念堂から観光スタートだと、店員になんとなくの会釈をしながらお店を出た。すると10歩も歩かないところで女性の大きな声が聞こえた。私に向けられているはずがないと思うも、「小姐!(シャオジエ)」(お嬢さん)と言っており、「小姐」に私は含まれるのか否かと考えながら一応振り向いてみると声の主は店員で、私を見てお金を払うジェスチャーをしている。しまった。台湾に来てからは、ちまきの時も肉魯飯の時も前払いだったのでここでも既に払ったつもりでいた。急いで店に戻りお金を払って「对不起(ドゥイブーチー)」(すみません)と言うと、「没关系(メイグアンシー)」(大丈夫だよ)とにこやかに優しい口調で言ってくれた。私なら無銭飲食しそうになった人間に対してそんな優しい言い方はできない。台湾人の心が広いのか、この店員の性格が良いのか。本当にすみませんでした。

再び店を出て中正紀念堂までの一本道を歩いた。椰子の木が道の両側に茂った、南国感の溢れる緑の多い通りだった。二車線だけのそんなに大きくない通りなのだが、道沿いには本来ならジャングルにあるべきなんじゃないかという規模のガジュマルの木もあり、上の方まで全部画角に収めるためにしゃがんで写真を撮りながら歩いた。

通りを行き止まりまで行くと、そこはもう中正紀念堂の門だった。正門ではないのだが門も、その向こうに見える建物も大きいというよりもあまりにも巨大だった。白い外壁に鮮やかな青色の屋根の超巨大建造物。日本の、歴史や格式のある建造物には青色が使われていることが殆ど無いので新鮮だし、青好きの私としては嬉しい限り。トルコのブルー・モスクに代表される様に青色で有名な建物と言えば中東のものしか知らなかったので、青も中東近辺まで行けば格式ある色として使われているという認識だったのだが、日本からこんなに近い国でも由緒ある建造物に青が使われているとは。

門をくぐり、ちょっとした怖さを覚える高さまで続く階段を登って本殿の正面に回る。正門は思っていたよりもずっと遠くに見え、そこまで続く綺麗に手入れされた中庭を眺めてから本殿に入ってみた。その本殿は一体、何階立てのビルが丸ごと入ってしまうのだろうかというくらい天井が高く、その中央に特大の銅像が鎮座していた。ここは何から何までとてつもなくスケールがデカい。中華民国を統一して最高指導者となった蒋介石の像なのだが、その大きさに強い違和感を覚えた。日本の仏像だったら奈良や鎌倉の大仏を始めもっと大きいものがあるが、日本では人物像と言ったら実物大くらいのものしか見たことが無いからなのか。銅像の違和感繋がりなのか、以前に行った韓国のソウルで世宗大王銅像を見た時もその大きさに強い違和感を覚えたことを思い出した。どちらも座っている座像なのだが、調べてみるとここ中正紀念堂の蒋介石像は6.3m、韓国ソウルの世宗大王銅像は6.2m。申し合わせたかの様にサイズ感が似ているのが気になる。

この中正紀念堂のメインホールは、その空間の大きさに反して蒋介石の像がひとつあるだけだと思っていた。なので像を見てもう去ろうとした時、目に入った小さな案内板で正午から衛兵の交代式があると知る。時刻は11時半だったので、下のフロアには展示室にギャラリー、お土産屋にフードコートまであったのだが、そのことを知らない私は外で正門までの景色を眺めてたまに写真を撮って待った。時間が迫ってくるとメインホールに戻り、交代式を見るための柵のすぐ後ろに場所を取った。それまでは人もまばらだったホールにどこからともなく人が集まって来て、そろそろ始まるという雰囲気になっていく。一体どこからどうやってその式は始まるのだろうと見回していると、巨大像から少し離れた左右の台に立つ、長い銃を持った微動だにしない2人の衛兵が目に留まった。この2人が交代する式ということなのか。でも2人しかいない。私が想像していた衛兵の交代式はロンドンのバッキンガム宮殿のそれで、衛兵の大群がトランペットやトロンボーンで音楽を奏でながら道を大行進してやって来るパレードだったのだが、12時になるとこの中世記念堂の端から登場したのはたった3人の衛兵だった。それを見た瞬間に30分も待った意味が無かったと一旦は落胆するも、すぐにロンドンとは全く別の面白さがあるものだと解った。ホールの右隅から登場した3人は、まず銅像の正面まで歩いた。その歩き方がゼンマイ仕掛けのレトロなブリキのおもちゃの様な不思議な動きでいて且つ力強く行進するという、人間の動きとしては今までに見たことの無いもだった。歩くだけでなく、手の振りも付いてる。3人のぴたりと揃ったわざとらしいまでに大きな足音だけが空間に響いた。足音を大きくすることが目的なのか、規定の歩き方をすると大きな足音になってしまうのかは解らないが、あまりに強く床を蹴るのでこの任務に就いた衛兵は皆、膝を悪くしてしまい酷い膝痛に悩まされる老後を送ることになってしまうのではないかと要らぬ心配をしつつも写真や動画を撮った。3人は巨大像の正面まで来ると、それまで像の見張りをしていた2人の衛兵も加わって5人で演舞の様な動きを暫く続けた。右に行ったり、左に行ったり、拳を突き出したり、銃を掲げたりくるりと回したり。音楽に合わせるわけでもないし、派手ではないこの連続する動作をよく覚えられたなと関心した。5人の動きが制御されているかの様に揃っているので、間違えてしまったら処罰があるのだろうかとか、ミスするのが怖くてこの交代式の前は食事も水もが喉を通らないなんてことは無いのかと、本当に要らぬ心配ばかりしながら見学した。演舞を終えると最初に登場した3人のうち2人が、銅像の左右の台上に着いた。護衛を終えた2人を含む3人はまた、ゼンマイ仕掛けの様でいて力強い行進で帰って行った。どうやら1人は交代式のためにやって来ただけで、像の見張りには就かないみたいだ。もし私がここで衛兵をやらなくてはいけないことになったら、私もこの来て帰るだけの役が良い。新しく見張りに就くいた2人は台上でも銃を掲げたりくるくる回したりのパフォーマンスを暫くすると、突然に静止体制に入った。これが微動だにしない護衛の始まりで、それと同時に交代式は終わった。こんなに大層な交代式を毎時間やっていると言うから驚きだ。最後に係員が、見張りを開始した衛兵2人の襟や裾をまるでお母さんの様に甲斐甲斐しく整えているのが印象的だった。この甲斐甲斐しい係員は現在訓練中の衛兵予備軍なんだそうだ。

想像と全く違った交代式を見て大満足した次は、観光地として人気な問屋街である迪化街(ディーホアジエ)に地下鉄で向かう予定だったのだがちょっと気になることが。この中正紀念堂の近くには小籠包の人気店がある。せっかく近くにあるのだから行きたい。けれどさっき朝食を食べたばかりでお腹は全く減っていない。かと言ってお腹が減った頃にまたここまで戻ってくるのは面倒だと悩み結局、小籠包を食べてから迪化街へ向かうことにした。

店に着くと数人の列ができていたが、そんなに待つことも無く席に通してもらえた。お腹が空いていないので小籠包1人前のみを注文。セルフコーナーで小皿にタレや千切りの生姜を準備したりして待ちつつ、出発前から自分に言い聞かせていた「小籠包の火傷に注意」を今一度、頭の中で復唱した。ここで口内を火傷してしまったらこの先、台湾旅行の食の面が台無しになってしまう。10分くらい待つと蒸籠に入った小籠包が運ばれてきた。綺麗に等間隔に並べられた8個のうち1つを取って、少しフーッとやってからそろりと口に入れて驚いた。ぬるい。というか冷めている。まるで10分前にテーブルに運ばれて来たかの様な、頬擦りしたとしても何の問題も無い優しい温度。一層のこと火傷してでもいいからアツアツを食べてみたかったとまで思いながら、東門駅までとぼとぼと歩き、そこから迪化街近くの大橋頭(ダーチャオトウ)駅へと向かった。

この駅の近くにスーパーがあったので立ち寄ってみた。私は観光客のくせに、観光客のために用意されたお土産屋で買い物するのが嫌いで、地元の人たちが買い物をする店が好きだ。台湾茶が目当てだったのだが、ふらっと前を通ったお菓子コーナーにヌガークラッカーを見付けた。韓国人の友人に台湾に旅行に行くと伝えたら、それならヌガークラッカーは絶対に買った方が良いと言われていたのだが、友人の教えてくれた店を調べたら朝早くから並ばないと買えないとあったので諦めていたのだ。その人気店のもので無くても、ヌガーとやらがどんな物か食べてみたかったので1袋買ってみることにした。パッケージには韓国人に大人気!的なことが書かれていた。私の友人と言い、韓国人はヌガーが好きなのか。他には台湾茶を3箱買った。何も言わずとも商品をビニールのレジ袋に入れてくれたのだが、普段レジ袋を絶対に買わない派の私には新品のビニール袋を携えて歩く感覚が久し振りだった。

スーパーを後にし迪化街に向かう。ここは問屋街で、懐かしさの残る街並みが人気の観光スポットだ。薄ピンクの外壁に水色の窓枠というレトロ感溢れる消防署を始点に迪化街観光をスタートさせた。道の両サイドにずっと連なる建物を見ながら歩く。レトロと一言で言ってしまえば簡単だが、統一されている様でいて一軒一軒個性的でもあり、依頼主によるものか作り手によるものかは解らないが個々の拘りを感じる。

迪化街を半分くらい歩くと、担仔麺で有名なお店に入った。さっきから食べてばかりだが、このお店は台南発祥なので本当は台南で行こうと思っていたのだが、時間が無く1回は諦めていたのでここで絶対に行っておきたいのだ。入り口で男性店員に「一个人(イーガレン)」(1人)と伝えると何かを言われた。今思えば「少しお待ち下さい。」とかそんなことだったと思うのだが、その時理解できなかった私は店の中に入って行ってしまった。そしたらその店員に強い口調で何かを言われたのだが、これも解らず。「日本人です。中国語はわかりません。」は中国語で言えるので、今思えばそれを言えば良かっただけのことだがその時は何も言葉が出ないでいると、怒った形相と口調で奥にあるこじんまりとしたカウンター席に案内された。待てない客と思われたのだろう。

席に着くと、怒らせてしまったのとは別の店員が注文を取りに来て担仔麺を注文した。すると何か言われたが理解できなかったので、つい先程の反省を活かして「日本人です。中国語はわかりません。」と言うと、「パクチーイイデスカ?」と日本語で言ってくれた。昨日のちまきに続き、パクチーの出番が多いので嬉しい。さて肝心な担仔麺の味だが、これが全く覚えていない。多分、最初の店員とのやりとりをモヤモヤと考えながら食したせいだろう。そもそもそんなに中国語ができるわけではないのだから、最初から一个人なんて言わなければよかったと後悔を巡らせながら食べていた。唯一覚えているのは、思っていたよりも辛かったこと。店を出るとすぐにコンビニでペットボトルのミルクティーを買って外で飲んだ。甘さが体全体に広がって、辛さでダメージを負った舌と心に沁み入って美味しかった。

今日の台北観光は一旦はここで終わり、今から新北市というところにあるかの有名な九份に向かう。九份へはここ迪化街から歩いてすぐの北門駅から出ている高速バスで行くことができるのだが、私は先のスーパーで買ったお茶とヌガークラッカーの入ったビニール袋をぶら下げている。これがそこそこの大きさなので、できることならホテルに置いてから九份に行きたい。それにガジュマルの木など、観光名所で無いものまで休み無くスマホで撮っているせいで充電が僅かになったので、ホテルに置いてきてしまったモバイルバッテリーを取りに行きたい。ただ、ホテルに戻るためにはバス停のある北門駅を通り越して更に10分は歩かなければならない。そんなに余分に歩く気力と体力はどこにも備わって無いし、そもそもバスはいつ来るのかとアプリを確認した。

九份へはこの北門駅から965のバスに乗れば約1時間で着きこれが一番簡単な行き方なのだが、台湾のバス停には時刻表がない。このバスも「平日とピーク時は30分から40分間隔で運行」と書かれているだけなので、時間の詳細は台灣公車通というアプリで見ることになる。これを使えば今バスがどこを走っているかがわかるのだ。アプリを確認するとバスはひとつ手前のバス停を走っていることがわかった。30分から40分に1本しかないバスなのになんてタイミング。ホテルに行って戻って来た時には、逆に30分から40分に1本のバスをちょうど逃してしまうタイミングかもしれないと思い、レジ袋をぶら下げ、スマホの充電が少ないまま九份に向かうことにした。台湾随一の観光地で最早、写真を撮ることが目的とも言える九份に果たしてスマホの充電が少ないまま向かう人なんて居るのかと思うも、すぐにやって来たバスに乗り込んだ。

月曜日だからなのか、がらがらの座席に座るとバスはすぐに高速道路に入った。台北を離れ緑が増え、長閑さが増していく景色を眺める。長閑だなと思っていると、高層住宅が密集して建っていてその威圧感に驚かされたり、日本には無い景色を楽しんだ。日本で言うところのタワーマンションが、住宅密集地の様に壁と壁を限界まで詰めて複数棟建っているのだが、この郊外でそこまで密集させる必要があるのか、日当たりなんてレベルじゃ無く一日中陽の入らない部屋がたくさんありそうだががそれで良いのかなんてことを考えながら外の景色を楽しんだ。

道中では、密集高層マンション以外にもうひとつ興味深いものを見つけた。それは山の斜面に10個から20個かたまって建っているカラフルな小屋だった。長閑な風景や山には似つかわしくないカラフルさで目を引くのだが、あれは一体何なんだろうと思って見ると、高速道路を走っているバスはあっという間に過ぎ去ってしまう。しかし5分10分と走ると、またカラフルな小屋たちが見えて来て過ぎ去る。というのを繰り返した。次こそは写真に収めるぞとスマホを構えたままにした。見えて来たのはオレンジや薄いピンク色の建物に装飾を施され小屋たち。ズームして写真を撮っていると、これは小屋ではなくもしかしたら台湾のお墓ではないかと思った。小学生の頃、沖縄旅行に行った時に「右手に見えますのが」とバスガイドさんが教えてくれたお墓の大きさと立派さに驚いたのだが今、九份行きのバスから見えるのはそれをカラフルにしたものに似ていた。まさかバスの車窓から台湾のお墓を見られるなんて。まだ九份に着いていないのに、九份行きを決めてよかったと心底思った。

実は前夜、九份に行くのはやめようかと悩んだのだ。千と千尋の神隠しのモデルになったと言われ始めてから誰もが知るザ・観光地になり、赤提灯の灯ったお茶屋の写真を幾度となく目にした。しかしいつも決まってあのお茶屋の写真なので、少々捻くれている私は写真映えする場所も見処もあの1カ所だけということなんだろうなと冷めた目で見ていたし、台湾旅行に行く誰しもがそこに向かい同じ写真を撮ってくること興醒めしていた。なので私の様な人間には九份は楽しめなさそうだから行かないでおこうかと考えていた。それに何もあのお茶屋でなくても数ある茶芸館で台湾茶を頂くと言うのがザ・九份な過ごし方なのだが、残念ながらカフェイン虚弱体質である私は午後にお茶を飲むことができない。九份と私はお互い、拒否し合っている様に思えた。だが最終的には、今後も生きていれば幾度となくあの「赤提灯の灯るお茶屋の写真」を目にするであろうから、台湾に行ったのになぜ私は九份に行かなかったのかといつか後悔する日が来るのは嫌だなという理由だけでこの九份行きを決めていた。だけれどお墓の登場によって、道中で既に大満足だった。

バスが高速道路のなだらかな道から、だんだんと坂道を上り始めた頃に「キョンシー」の看板が目に入った。台湾に来てから廟や住宅の玄関周りに貼られたお札にキョンシーの雰囲気は感じていたが、キョンシー自体の登場は初めてである。しかしバスはすぐに通り過ぎてしまうため、そのキョンシーの看板が一体何なのかわからない。スマホで「キョンシー展」「台湾」と検索してみるも、前年に台南市であった「アジアの地獄と幽霊」というキョンシーが展示されていた特別展の情報だけで、目下開催中の情報は出てこなかったので以前にやっていた時の看板がそのまま残されているのかなと思った。

バスがどんどんと山を上り、山の反対側には海が見えて来た。空には薄い雲が懸かっていたが日差しは強く、空も海も白く光っていて眩しかった。エンジンがうなりながら急勾配になってきた道を上ると、九份老街のバス停に着いた。ここで下車し、すぐ近くにある入り口からぐねぐねと湾曲する細い基山街(チーシャンチエ)を行く。私のここでの目的は基山街をずっと歩いて行った先にあるあの赤提灯のお茶屋を一目見ること、そして赤提灯に火が灯る前に九份を出ることである。ここは夜こそが見ものなのはもちろん解っているが火が暮れると混雑し、時間が遅くなればなるほど台北市内に戻るバスは何台も見送らないと乗れないらしのでそれを避けたいのだ。

うねった基山街をどんどん歩いていく。うねっているので先が見えず、後どのくらいこの道が続くのかが全く見て取れない。左右に永遠と続く小さな土産物屋や飲食店は一軒一軒異なる店のはずなのに、同じ店がループしている様に見えて来る。すべての店に「九份」と記された同一の赤提灯がいくつもぶら下がっているせいもあるだろう。道は赤提灯で溢れている。そんな中、小さな張り紙にふと立ち止まる。バスから見えたのと同じキョンシー展の張り紙だ。「九份」とも書かれている。どういうことなんだろうと思いつつも、先程ネットで検索して現在開催中の展示会は無さそうだったことを思い出してまた歩き出す。この路地にはずっと屋根があったのだが、先を見ると道がそのまま上り階段に繋がっていて、屋根も無く開けた場所があった。人もたくさん居る。恐らくあの先がかの有名なお茶屋だろうと階段を登った。だが、周りを見渡すもあの赤提灯のお茶屋は見当たらない。景色も無い。たくさん居ると思っていた人たちは皆、階段に座って飲み食いしたり休憩している人たちだった。座れる場所を求めてここに来たのだろう。来た道を引き返すと、脇道を見付けたのでならあのお茶屋はこっちに違いないと入って行った。だがまたしても無い。人すら1人も居ない一般住居と一般住居の隙間に来てしまった。もちろんガイドブックの地図はさっきからずっと見ているのだが、観光客の行くべき道以外のすべての道が省略された地図なので残念ながら機能していない。じゃあこっちだなと別の道へ方向を変え、長い階段をずっと降りて行く。すると途中、階段の横にまたキョンシーの看板を見付けた。しかしそれは先程見たものとは違い、キョンシーの写真だけでなく「人面魚」や「泥人鬼怪」という言葉と共に「九份鬼怪傳説特展」と記されていた。キョンシーを始めとした妖怪展みたいなものが以前ここでやっていたのだろうか、と思いながら階段の脇にある建物の正面に回ってみた。するとそこはまさかまさかのキョンシー展の入り口だった。1人150元と書かれており、その傍らにチケット販売をしているお兄さんが居る。目下、開催中とは。出会えないと思っていたキョンシーに出会えるとは。だが人間とは勝手な生き物で私は今、あの赤提灯のお茶屋探しに一生懸命なのだ。キョンシー展を背に、更に下に続いていく細い階段を降りて行った。

途中、「なんかこの建物いいな」と思い立ち止まって写真を撮ったが、お茶屋探しのためまたどんどん階段を降りていく。しかし、この先にはもう何もなさそうだというところまで階段を降りて来てしまった。階段の先には車道が見え、観光エリアはここで終わりですというのが見て取れる。あの九份の1番の名所であるお茶屋は一体どこに。九份に来る観光客全員が行くあの超スーパーメジャーなお茶屋になぜ私は辿り着けないのか。
見付けた脇道には全部入ってみたし、もう誰かに訊くしかない。

近くにある店の中を覗き、店員に「請問(チンウェン)」(すみません)と言ってみる。ガイドブックの赤提灯のお茶屋の写真を指差して「これはどこですか?」と即席で作ったカタコトの中国語で尋ねてみた。すると店員さんが「もう少し上だよ。」と、私がさっき降りて来た階段の上の方を指す。階段の上。私は今、その階段の上から来たからそんなはずはないんじゃないかと思いながらも「謝謝」と言い階段を登った。すると下っていた時には気づかなかったが階段の脇にちょっとしたスペースがあり、そこで大勢の人が写真を撮っているのが目に入った。何を撮っているのだろうと皆がレンズを向けている方へ目をやると、それは私がついさっき「なんかこの建物いいな」と思い立ち止まって写真を撮った建物だった。なんだ、すごく良いものがあるのかと思ったのにさっき撮った建物か、と思ったところで気が付いた。この建物こそが、かの有名な赤提灯のお茶屋ではないか。写真まで撮っていたのに気付かなかった自分が信じられない。そこで写真を撮っていた人たちに紛れて、九份と言ったらやっぱりここですよねという顔をしながら改めてお茶屋の写真を撮った。

やっとお茶屋探しが終わった。となると次はキョンシー展だ。お茶屋から階段を少し上り、キョンシー展の入り口へ。入場料150元は日本円で600円を少し超える。ちょっと高いなと思うも、キョンシーに会えるのだ。入り口にいたお兄さんに「一个人」と伝えお金を払うと、黄色いチケットを渡された。キョンシーの額に貼られているお札を模したチケットだった。なんと嬉しい。入場料の150元のうち140元はこのお札代だと思って良い。小さく「憑符入場」なんて書かれており洒落が効いている。折れない様に日本に持って帰って部屋に飾ろう。

入り口の暖簾をめくり、中に入った瞬間に目を引いたのは等身大のキョンシー2体だった。大好きだった映画「幽幻道士」に登場する一般的なキョンシーよりも顔がゾンビ化しており、すぐに至近距離まで近付くことは大人の私でも少し抵抗があった。私以外にお客が居らずシーンと静まり返っていたのもあるだろう。確か映画に登場する中で顔がゾンビ化していたのは「スイカ頭」という名前をしたキョンシー始めほんの僅かで、特別にこの世に恨みを持ったキョンシーという設定だった様な。スイカ頭と同種のキョンシーにじわりじわりの近づきながら、自撮り棒を用意しスリーショット写真を撮る。自撮りなんてリア充か自己肯定感の強い人しかしないと思っていたし、その対極にある自撮りと無縁の人間なので撮影には思いの外苦戦した。こうか、もうちょっとこっちかと撮っては確認を繰り返しながら、他の客が入ってきません様にと願った。いい歳してキョンシーと自撮りしているところを見られたら恥ずかしくてたまったもんじゃないと思いながら撮り直しをしていると突然、今日が誕生日であることを思い出した。41歳の誕生日にキョンシーとスリーショット写真撮影。ゾンビ化したキョンシーと一緒に写った自分を見ると、目当てのものに出会えて高揚していたテンションが一瞬だけ下がるのを感じた。

キョンシー2体が中央に展示されているのがメインの展示室で、周りの壁には棚が設えられておりそこには小さなミイラや妖怪の頭部など細々としたものがあった。展示室の奥へと進むと隅にスタンプ台があることに気付き、手に取ってみるとなんとそれはキョンシーのスタンプ。この旅行用にノートを1冊持っていたのでノートの中だけでなく、表紙と裏表紙にもキョンシーを押してみた。使う人を選ばない無印良品のノートが、一瞬にして使う人がものすごく限られるクセの強いノートとなった。

さて、これでバスが混雑する前に九份を後にすることができたら九份ミッションはすべてクリアだ。キョンシー展から出て、目の前の階段を下りる。お茶屋探しの時にこの階段の先に見えた車道に出ればバス停があるはずで、行きに下車したバス停に戻るよりずっと近い。階段を降りるとちょうど通り過ぎて行くバスが見えた。バス後方の電光掲示板には「満員 FULL」の文字。まだ17時を過ぎたばかりで辺りは明るく、混雑する時間には程遠いと安心しきっていたので急に焦り出した。これは行きに下車した上の方のバス停に戻った方が乗車できる確率が高いと思い、今まで来た道を全て引き返すことにした。

まずは階段を登り続ける。すると、階段に沿って連なる提灯に薄っすらと灯が灯っていることに気づいた。本当は薄っすらではなくフル点灯されているのだろうけど、まだ全く陽が暮れていないせいだろう。さっきまでとは雰囲気が違って見えた。ということは日没後の暗い中で赤く光る提灯は、今まで見た写真よりもずっと綺麗なんだろうなと思うも混雑して台北まで帰れなくなるケースを心配性な私は避けたかった。ここまで来てなぜ夜景を見ないと思われそうだが、私は心配性選手権があったら少なくとも東アジア代表か北半球代表にはなれそうなくらいに心配性なので仕方がない。階段を上り切ると、何百軒もの店が並ぶ基山街をひたすら戻った。

台北に戻るバス停は、下車したバス停よりも少し坂を登った先にあった。既に20人程が列を成している。すぐに最後尾に並びぶと、何気なく目の前にあった山の斜面の上の方に目をやった。するとそこには、緑が茂る中にバスの車窓から見えたのと同じカラフルなお墓が見えた。バスの中から見ただけで満足していたのに、こんなに間近で見られるとは。西日に燦々と照らされたお墓の薄いピンク色と、周りの木々の緑色とのコントラストがとても印象的だった。

お墓の写真を1枚撮ったところでバスが来てしまった。行きに乗ったバスとは番号も違うし、車体から見るに運行会社も違う。行き先には「台北」と表示されてはいるのだが、ただただ「台北」とアバウトなのが気になった。台北駅まで行ってくれるのか、はたまた台北市内のどこかということなのか。私の前に並んでいた人に、英語で「このバスは台北ステーションに行く?」と聞いたら「Yes」と言われたので乗り込んだ。しかし、20人くらい並んでいたにも関わらず、このバスには7,8人しか乗らなかったので乗車してからも不安が消えなかった。だって、さっき見掛けたバスは「FULL」だったじゃないか。それより後のバスがこんなに空いているのはどう考えてもおかしい。

バスが走りだして20分くらいしたところで、その理由がわかった。行きのバスは殆ど高速道路を走っていたが、このバスは一向に高速道路に入る気配がない。そしてやたら停留所で停まる。さっき見掛けた「FULL」のバスは恐らく行きに乗ったのと同じバスで、台北市内まで早く帰れるのだろう。今乗っているバスの番号でネット検索してみると、どうやらこのバスは高速道路を使う区間がとても短い様だ。だから空いているのだった。それに行きに乗車した北門駅まで行かないらしい。

外を眺めながら、いったいどれだけ時間が掛かるのだろうと思うも行きとは違う景色が見られることを楽しみ始めていた。ローカル感満載な田舎をバスは進み、九份から乗った私たち観光客以外は乗り降りが頻繁だった。遥か遠くに台北101が見えた後は田舎っぽさが消え、道路の車線も車も増え店がひしめき合う街に入った。松山空港の手前まで来るとちょうど夕方のラッシュなのか、渋滞でなかなか進まなくなった。それを良いことに外のお店をじっくり見ていると「禿頭」と書かれた看板が目に入った。まさかそんなことはあるはずが無い。表立って書かれることの無いはずの言葉だ。面白くあってほしいという思いでそう読んでしまっただけだと最初は思ったのだが、確認するもそれは間違いなくハゲアタマだった。カツラ屋なのか、はたまた育毛スカルプ系のお店なのか。慌てて写真に撮り、後からよく見てみると「禿頭檳榔」と書かれておりまたもや意味がわからなかった。なので帰国後、職場でイーさんに写真を見せてこれはウィッグのお店だよねと聞いてみたのだが、「イイエ、ビンロウノオミセデス。」とのこと。檳榔(ビンロウ)というものをそれまで知らなかったので調べたが、緑色の小さなレモンの様な見た目をした実で、噛みタバコに使われるらしい。しかし何ゆえに「禿頭」なのかと訊くと、「タブン、オミセノヒトガ禿頭デス。」とまさかの答え。店主の身体的特徴を店名にしているとは。同士が営む店ということで頭の薄い人に気軽に来店してもらい、集客増を見込んでいるのかもしれない。

このエリアは面白く、他には店名に「金玉」の二文字が入った看板も見付けた。これは慌てて写真を撮ろうとしたが時既に遅し、「玉」の文字は入ったが「金」が写真に入らなかったことを今でも悔やんでいる。この店だけではなく、この一帯はやたらと電飾でギラギラしていて妙な雰囲気があった。それに「金玉」の店を始め中が見えない店が多かったので、ここは消費者金融街であれはサラ金屋だったのかなと勝手に思っていたのだが、時間が経っても「金玉」を看板に掲げたあの店の正体が気になって気になって気になって仕方がなかったので調べてみたら質屋だった。そしてついでなので調べてみたら、中国語での金玉は日本語とは全く違う意味を持ち、「貴重なもの」「華美なもの」という意味で使われ縁起の良い言葉らしい。なので「金玉」と付くのは何も店名だけでなく数多くの言葉があり、「金玉良縁」なんて昭和時代のポルノのタイトルであってもぎょっとしてしまうが、「円満で何一つ欠点の無い良い縁」なんだそうだ。

バスからは他にも、台湾に夜市はたくさんあれど、写真に惹かれて行ってみたいと思うも台北の中心地からは遠く諦めていた饒河街(ラオホージエ)夜市もちらっと見ることもできとても濃い帰路となった。

台北市に近付いて来ると、外に見えるものばかり楽しんでいてはだめだということに気付く。私は一体どこで下車するのか。この夜は、台湾スイーツを代表する豆花(トウファ)のとある人気店に行くことを予定していたので、できるだけ中心地に近いところで下車しその後地下鉄で向かおうとざっくり考えたのだが、調べてみるとなんとこのバスはその豆花の店から徒歩10分くらいのところにある停留所に停まるらしい。禿頭と金玉看板を見せてくれた後に豆花屋の近くまで運んでくれるなんて、サービス満点のバスである。

Google Map上で動く現在地を確認しながら、今だと降車ボタンを押し下車。九份から豆花の店の近くまで行ってくれるバスに偶然乗ってたなんて、こんなこともあるんだと機嫌良く店に向かった。豆花の店は、かわいらしい外観から静かな住宅地の一角にあることをイメージしていたのだが、それは交通量の多い幹線道路沿いにあった。しかし行き交う車の騒々しさとは反対に、見えてきた豆花屋は暗くて違和感がある。念の為、ガイドブックで営業時間を確認すると22時まで営業となっている。そういえば遅くまでやっているから夜に行こうと予定に入れたことを思い出す。店の前まで来ると、それは信じたくない光景で電気はひとつも点いておらず、入り口のドアには張り紙がされていた。「5月末まで休みます。ご迷惑お掛けし申し訳ありません。」と言っているんだろうなと思える漢字が並んでいた。ショックだったが、禿頭と金玉看板で運を使い果たしたのだろう。

もう一度ガイドブックを開き、第二候補として印をつけておいた豆花の店を確認した。
1駅くらい離れた場所なので歩く。しかしこの辺りのはずなんだが、という場所に来るも店が見当たらない。Google Mapで確認すると、既に店を通り過ぎていた。そして戻るも地図上ではまた通りすぎる。豆花の店を通り過ぎた覚えは無いと思いながら、目の前にあった真っ暗な店と店名に目やる。第二候補の店はこれだ。ガイドブックを見ると、まさかの「月・火・水定休」と書かれていた。またしても豆花にあり着けない。というか、週休3日の店なんて初めて見た。休みたがりの店主なのか、はたまたこの店は副業でやっているのか。何れにせよ週3日分の賃料が勿体無い。

他に店を調べるも近くにはもう無く、時刻は夜7時を過ぎていたからか他の地域にある豆花のお店はどこももうすぐ閉店してしまう時間で豆花は諦めることになった。予定を変え、深夜まで営業しているため今日か明日の夜に行こうと考えていた「勝立生活百貨」という、台湾版ドンキホーテの様な店に地下鉄で向かうことにした。そしてその勝立生活百貨の近くで、台湾で食べたい物リストに入っている牛肉麺を食べることにした。

しかし、勝立生活百貨近くの行天宮(シンティエンコン)駅の外に出て、牛肉麺が食べられる店まで行ってみるも高級そうなレストランで、値段もそこそこでするので却下した。周辺をふらふら歩くも、飲食店そのものが少ない地域だった。どうしようかと悩んでいると、少し歩かなければいけないと思っていた勝立生活百貨を通りのすぐ向かいに見付けた。

晩ご飯は後回しにすることにし、勝立生活百貨に入る。あらゆるジャンルの物が所狭しと並んだ雑多な店内。ここでは手荷物重量制限をオーバーしないくらいのとても小さく、且つ台湾らしさのある湯呑みをひとつとノートを買いたいと思っていた。最初に陶器のコーナーへ向かうと、日本語が聞こえ来た。陶器が陳列されている狭い通路には、6人くらいの日本人おばちゃんグループが居る。グループのリーダー格と思しき1人が急須を買いたいらしくあれこれ悩んでいて、他の全員が「心底どうでもいいわ」と思いながら付き合っている様子が瞬時に感じ取れた。通路がおばちゃんたちに塞がれていて陶器類を見ることができないので文具コーナーへ移動する。ノートは何年も前に人様の台湾旅行のブログで知り、いつか訪台したら買ってみたいと思ったものだった。台湾の小学生が使うノートで、国語用、算数用、日記用などがあり、表紙には日本の漢字とはちょっぴり様子の違う繁体字で学校名や氏名を記入する欄に「國民小學」「學生」と書かれているのが面白い。罫線の入ったものもあったが算数用のノートは全くの無地だったので、小学生の姪にあげたら自由帳として使えそうだと思い「数学作業簿」と書かれた算数用を買うことにした。姪はまだ7歳なのだが、自信のペンケースに油性ペンでデカデカと「中ごく」「かんこく」「日本」「おとなりさん」と書いてしまうくらい外国に興味を持った子供なので、このノートをあげたら台湾もお隣りさんなんだよと教えられる良い機会にもなると思った。ノートを選び終えると、先のおばちゃんグループがぞろぞろと移動していくのが見えたので陶器コーナーへ戻る。リーダー格のおばちゃんは、仲間の旅行中の時間を犠牲にしてゆっくりと時間を掛けて選んだ青色の急須を両手に大事そうに抱えていた。一方、私は好みのものが見付からず、数学作業簿だけを買ってまた晩ご飯を探しに街へと出た。

少し歩くと、テイクアウトがメインの小さく簡素な店を見つけた。中には小さなテーブル席が数席。1人で食べている女性客の姿が見えたので入り易そうで、すぐにこの店に決めた。残念ながらメニューには牛肉麺が無かったので、似ているであろう排骨湯麺を指さしで注文した。だが、待つことも無くすぐに出てきた排骨湯麺には、どういうわけか「麺」が入っていない。メニューを見直すと、どうやら私は間違えて排骨湯を注文した様だった。つまりは、骨付き豚肉のスープだった。牛でもなければ麺も無い。とても良い味付けで美味いのだけれど、豚肉が数個入っただけのスープでは足りないのでまたメニューを見た。すると魯肉飯があったので、スープが美味しいということは恐らく魯肉飯もさぞかし美味しいだろうと思い注文することにした。しかし、先客の女性が帰ってしまい、客が私1人だけになったのが気になりもうすぐ閉店なのでは思ったが、Googleによると閉店まであと20分あるらしい。20分もあれば余裕だと魯肉飯を注文しようとしたその時、ワンオペでやっていた店員に動きがあった。客席に座ったのだ。そしてご飯を食べ始めた。店に入った時から片付けていない席があるなと思っていたのだが、それは店員さんの賄いだった様だ。ようやく賄いにありつけた店員に「魯肉飯も下さい!」と言って食事を中断させるメンタルの強さを私は持ち合わせていない。もう閉店までの残り時間は賄いの時間なのだろう。賄いは結構、品数が多かった。魯肉飯もあった。とても美味しそうな魯肉飯だった。私は今あるものを存分に食そうと、骨に付いた肉をすべて舐める様に食べお金を払い店を出た。だがこのままでは夕飯は終われない。近くにあったセブンイレブンに入る。ご飯系のものを買おうと思って入ったのに、ふと目に留まったストロベリーのアイスが気になってしまって、これじゃお腹の足しにならないと思いながらもアイスを食べながら駅に向かった。なんだかおかしな夕食になってしまった。

台北駅に着くと、コンビニでペットボトルの水を買ってからホテルに向かった。この旅行中、コンビニではもう何度も水を買っているし、その度に日本で言うところのローソンのロッピー的な機械で交通系ICカードの残高を確認し、足りなくなりそうならレジでチャージしている。地下鉄の改札機を通過するときにピッとやれば、日本と同じ様に残高が一瞬表示されるのだが、「残高」が「餘額」になっただけのことで一瞬では残高が読み取れないのだ。この時も、そのロッピー的な機械でチェックしたのだが、残高が「-25元」になっていた。まさかのマイナスである。日本では残高が足りなければ改札が閉まって出られないが、台湾にはそのようなシステムは無いということなのか。それとも日本では導入されていない、今度払ってくれれば良いですからと言う心の広いツケ払いシステムが導入されていると考えたら良いのか。

ホテルに帰ると、湯船にゆっくりと浸かった。昨日ほどでは無いが、今日も2万4千歩も歩いていた。普段はそんなことはしないのだが、あまりにも疲れていたので湯船に浸かったまま歯を磨こうと、袋に入ったアメニティーの歯ブラシを手に取ったのだが違和感が。ものすごく平らなのだ。不思議に思いながら袋を開けてみると、歯ブラシの毛が一本も無かった。柄のみなのだ。こう言う場合はフロントに電話をすれば新しいものを持って来てくれるのだろうけど、人を遣うメンタルの強さも私は持ち合わせていない。後でフロントに行くことにして、風呂から上がった後はテレビを点けて荷物の整理をしたり、翌日のための調べものをした。自宅にはテレビを所有していないくせに、海外旅行先ではテレビを見ることを楽しみにしている。特にCMのナレーションから受ける異国感が好きだ。ナレーションだからもちろん外国語なので異国感があるのは当然なのだが、日本のCMとは異なり、女性が商品情報を全く感情の込もっていない淡々としたテンポで伝えるところが好きなのだ。台湾のCMはファブリーズなど、日本製品のものも多く見られた。

片付けが終わったので、パジャマの下に簡易的にブラジャーをしてフロントに赴く。簡易的と言うのは後ろのホックだけを留めて、肩紐は腕に通さないままの意である。フロントで軽く挨拶をし歯ブラシを差し出すと、英語で「こんなの初めて見たわ!」とクリス松村そっくりのフロントマンに言われた。顔も背格好もクリス松村に瓜二つなのだが、実生活の中には無くバラエティー番組にしか存在しないようなテンションの高い話し方までもが似ていた。あまりの激似っぷりに驚くも新しい歯ブラシを貰って帰ろうとする私に、クリス松村は「飛行機はいつ出発なの?」と尋ねて来た。何の事かと思ったが、明日何時にこのホテルを出れば良いかを紙に書いて逆算してくれた。22時半に出れば間に合うし、明日チェックアウトした後もその時まで荷物を預かってくれると言う。親切なクリス松村にお礼を言って部屋に戻った。台湾の人は、こちらから尋ねなくても向こうから親切にしてくれるという場面にまた出会った。

ー続くー

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