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終戦の日、命について考える

私は大人になってから各地に足を運んで歴史を学びなおしました。特に戦争についてです。私が印象に残っているのは、広島平和記念資料館、長崎原爆資料館、知覧特攻平和会館、ひめゆりの塔です。

この中でも特に絶句したのは知覧特攻平和会館で読んだ遺書でした。特攻隊は出撃前日に遺書を遺します。遺書は10代後半〜20代前半の青年ばかりでした。内容は母にあてた内容が多かったと記憶しています。

・母への感謝の気持ち
・悲しまないでください
・お国のために戦ってきます

これを読んで「この人たちはなんのために生まれてきたのか」と思いました。国のトップの命令でなぜ命を落とさなければならないのか。

今の日本は平和になりました。お国のために死ぬなんてことはありえません。現代だったら「お国のために死ぬ」なんて馬鹿げていますよね。しかし、現代でも似たようなことがあります。

それが「過労死」です。会社のために死んでしまう人がいます。現代では「会社のために死ぬ」人がいます。

■ マネジメントで人を殺すことができる

私が新人の時、お世話になっていた先輩が突然亡くなりました。残業が多かったので過労死裁判になりましたが、結果として過労死は認められませんでした。

思うところはありますが裁判の結果が正です。しかし「もし残業のないプロジェクトだったら違った未来があったのではないか?」と今でも思っています。

下手なマネジメントは部下に特攻命令を出すようなものです。そんなマネジメントをしてはならないし、そんなマネジメントしかできないなら管理者をやめるべきです。

しかし、現実的には労基法を無視したマネジメントをする管理者がいます。それを良しとする会社があります。

完璧なマネジメントなんて出来ません。失敗もします。しかし、せめて努力だけはすべきです。たとえ失敗しても「精一杯の努力はしたのか?」と問われて「YES」と自信を持って言えるだけのことはすべきです。

■ 過労で苦しんでいる方々へ

先輩が亡くなってしばらく経ってから、親御さんが会社に先輩の荷物を取りに来ました。泣きながら荷物を片付けていました。とても見ていられる光景ではありませんでした。自分の親にそんなことさせたいですか?

それと同時に怒りも湧きました。その横で会社の人間が「会社として回収するものはないか?」という目で親御さんが片付けている荷物を見張っています。「それは回収しないとだめなんじゃないか?」と空気も読めずに話しているのです。

それも仕事なのは「冷静になった後なら」わかりますが、その場にいたら怒りしか沸きません。もっと他のやり方もあったでしょう。

会社なんてそんなものです。だから会社のために命を落とすなんて馬鹿げていると思っています。そんなに辛いならその場を去るというのは最善の選択だと思います。

組織の命令で命を落とすのは馬鹿げています。命を大切にしましょう。

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