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生活に偶然を取り入れてみたい/スズキナオ『家から5分の旅館に泊まる』(太田出版、2024年)

 


 時々サブカルっぽいものを読みたくなる。サブカルの定義は私の中でも曖昧だが、例えば、ピエール瀧の散歩本や、電気グルーヴの対談形式の本、いとうせいこうとみうらじゅんの『ご歓談』、とかそのあたりが好きだ。それらは、私にとって仕事に関係なく気楽に、時に笑いながら読める本だ。それらを単に私は「サブカル」と読んでいるのかもしれない。読む目的が明確でなく、ただ「楽しい」と思える。私はそうした本を何度も読んでしまう。

 書店で、確か神保町の東京堂書店だったか、スズキナオ著『家から5分の旅館に泊まる』という本を直観的に手を取った。うまく説明できないが、カバーのデザインがサブカルっぽい感じがした。そして脱力した書名と脱力したイラストが描かれている。

 中を見てみると、最初の章が「蔵前のマクドナルドから」というタイトルになっていた。その瞬間、私はこの本を買うことに決めた。ここに出てくる「蔵前のマクドナルド」は私の職場のかなり近所にあり、よく昼ごはんを食べに、私はここに行っているからだ。同僚にも、この本の存在を教えてあげた。ここに出てくるマックの二階に、私もよくいるのだ。自分がいる場所について書いてある本はいい。今日立ち読みした永井荷風の日記なんかもそうだ。

 蔵前が出てくる第1章では「疲れた…」「もう酒が飲めない」というようなことが書かれていて、私は最近読んだphaの中年男性を連想した。中年の危機を描いた作品なのかと思った。でも、最後まで読んでみると意外と著者は酒を飲む。あっちこっちに旅をしては飲む。基本一人旅だが、友達と旅に出ているパターンもある。あのラズウェル細木や、たまたま海辺で知り合った留学生と飲んだりもする。案外楽しそうだ。悲壮感はない。

 この本に出てくる、JR西日本がやっている、ランダムで行き先が指定されて、その町まで往復5000円で行けるという切符が、とても気になった。昔『水曜どうでしょう』を見ていて、サイコロを振って目的地と、乗り物を決めて旅をするという企画があり、それをよく楽しく見ていた。その感覚に少しだけ似ていた。なぜ私はこうした偶然性に魅力を感じるのだろうか。

 思うに、私はもう自分に飽きているからだ。自分の頭の中で起きていることにも、そこから出てくる発想にも。だからそこにランダム性が欲しくなる。私は今日、Kに髪を切ってもらった。プロに切ってもらうことの上手さ。ある種の予定調和に飽きたということもある。行きつけの美容院が家から遠すぎて、さすがに行くのがしんどくなってしまったということもあるが。上手いということはもうどうでもいいなとも思う。ただ、その人らしい歪さが愛しい。

 とにかく、Kは素人なので、うまくいかないこともある。というかうまくいくはずがない。とにかくバリカンを持ってガシガシ刈ってもらう。私は、もう髪を気にする自分もいやなのだ。決してヤケになっているわけではないが、そういうショボくて小さい自我を超えていきたい。そうしたものを気にしない境地に達したい。だから、私はKに髪を切ってもらう。彼女は何をやってもうまいので、案外いい感じにはなる。でもその、うまくいかないかもしれない、どうなるかわからない、そのわからなさ、コントロールのできない感じがいい。もう出来合いの価値観や生き方にうんざりしている。

 話は逸れたが、スズキナオさんの文章にはそういう気だるさをどこかに感じないこともない。彼も予定調和な人生にうんざりしているのかもしれない。JR西日本の切符も面白そうだった。私は関西にも西日本にも住んだことがないので、その多くは行ったこともない土地だ。東京の千川、蔵前、熱海、それくらいだ。だけど、その全く知らない地名が並ぶのもまた楽しめた。

 「寝過ごした友人がたどり着いた野洲駅へ泊りに行く」という章がよかった。京都で暮らす友人が終電を寝過ごして行った町に行ってみようということで、野洲という町に泊りに行く。そういうこか日常の延長線上にあるのだが、それでも決して日常となぜか交わらないような場所に行くのが、この本の魅力かもしれない。飲んで酔っ払って寝過ごして行ってしまった終点は、想像するにもう一瞬でも早くそこから立ち去りたい場所であり、なんの用もない場所だろう。でもその町にも当たり前だが誰かが生活している。そこにはそこの日常がある。

 書名にもなっている「家から5分の旅館に泊まる」という章も、野洲の章と少し似ている。文字通り、家から5分のところにある旅館、普通は決して泊まることがない場所にある旅館に敢えて泊まってみること、その馬鹿馬鹿しくもある試みに、少し生活が異化される。この本の他の章にもあるように、どこか古びていて、決して最新の感じではない場所がいい。そして著者が、雨が降っているなか、歩いて5分の自宅に帰る。帰るという行為から離れようとしているけれど、帰れることにどこか、安心してもいる。

 この本を読んでいると、どこか懐かしいような、のんびりした気持ちになる。日常から少しだけずれた場所に一人で行くことの面白さ、そういうものを楽しめる視線が大事だと思う。以前、『大ピンチ図鑑』という大ヒット絵本の著者の方が言っていたのだが、世界を楽しむというのには、それなりに工夫と、頭を使わないといけない。むしろ、そういう視点こそが創造的なのだ。それを肩肘張らずにやっているのが、この本だと感じる。そしてそのことを別段偉そうに主張するわけでもない。

 私も、生活に何か偶然性を取り込む工夫をしたい。通勤途中にあるいつも降りない駅で降りてみるのでもいいし、行ったことのある店の隣に行ったことのない店があったなら、行ったことのない方を選んだり、そういうちょっとしたことでいい。本当に疲れているときにはできないかもしれないが、コンディションのいい日はそういう実験をしたい。少しでも人生を広げたい。それを自然体でできたならなおいい。本書がそういう気分にさせてくれた。温泉にもいきたい。


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