夏の終わりの国際こども図書館
台風の影響で週末はずっと雨だと諦めていたが、朝起きてみると雨が降っていなかった。前から子供を連れて行ってみたかった、上野の国際こども図書館に行ってみることにした。ここは元々国会図書館の一部だった建物で、何度か改築されて、今は児童書/絵本の専門図書館となっている。この街を訪れるのもずいぶん久しぶりだ。
国際子ども図書館には、これまでにも何度か来たことがあるが、とても気持ちのよい洋風建築の建物で、建築そのものは重厚だが内部はとても綺麗で、食堂があり、そこでカツカレーを食べたりクリームソーダ飲んだりできる。夏休みの市民プールみたいな感じで、素晴らしい施設なのだが、いつも比較的空いていて、利用しやすい。場所も東京藝大と上野公園の近くで、緑に囲まれたとても良いところだ。まだ行ったことがない人はぜひ行ってみてほしい。絵本の歴史の展示などもあり、大人でも楽しめる。
途中、千駄木から谷中まで歩く。神田白山線という「神田伯山」みたいな名前の道を東に向かい、谷中霊園の手前を道なりに南下すると上野桜木町に着く。千駄木は何度か歩いたことがあったが、谷中方面に行くのは初めてでとても新鮮だった。
東に向かうと少し坂を上る感じで、千駄木が一番低く、そこから上がっていく。谷中霊園は少し高い場所にある。日暮里方面を見ると、桜並木だろうか、真っ直ぐの道の奥にタワマンが見える。この道がいいなあ言いながら、そこに曲がらずに上野方面に向かう。上野桜木町には高級住宅街があると聞いた。上野は完全に下町のイメージだが、そこにも高級住宅街はある。東京の街の複雑さを感じる。少し道をずれると、少し坂を上ると景色が全く違うものになる。
この辺りは、これまでも地図で見たことがあったが、尋常じゃなくお寺が多い。見たところ禅宗と日蓮宗系のお寺が多いようだった。しかもどのお寺も立派で、見応えがある。途中通り沿いに谷中小学校が見えたが、門が寺の門のようだった。白山や千駄木あたりよりもよりディープで、観光客が来るのもわかる気がした。
しかもその日本っぽさが上っ面ではなく、生活と地続きの、きちんとした街だから魅力がある。こういう場所に住んだらきっと、この場所がアイデンティティになるだろう。自分が住む街というのは、意外に大切だ。だけど人は必ずしも自分が望む場所に住むわけではない。人生の色々な要素に流されて、たまたまその場所に住むという方が実感に合っている。だからこそ、住んでいる場所への愛着、思いというのは強くなる。愛憎といってもいい。それはどこに住んでもそうだ。
道なりに南下していくと東京藝大のあたりはだいぶ緑が多くなってくる。都心に住む最近では、緑があるだけでなく、緑が野生的に(つまりボサボサに)繁茂している様子に惹かれる。人間の手が入りすぎていない。支配されていない印象を与える緑は都会になればなるほど貴重だ。
私たちは今古い東京を歩いている。もちろん何度にも及ぶ再開発によって更新され、その古さは消えている面もあるが、一皮剥けば、このあたりは昔ながらの東京だ。だからそうした部分を目に焼き付けようと意識して歩く。寺があり、緑があり、地形がある。それらは昔から変わらない景色を私たちに与えてくれる。私たちの世代がタワマンを建てたり、何かかつてあったものをそっくり新しいものに代えようとしても、変えられないものがある。私たちが大切にすべきはむしろそちらだろう。私たちが新しくできるものなどむしろ限られていて、しかも浅瀬を泳いでいるようなものだ。そうではなく、もう少し都市の根源的な位相を眺めるための散歩がしたい。そういう生き方がしたい。
こども図書館は空いている。上野駅から見て上野公園よりもさらに遠く、噴水やスタバを通り抜けていった方だし、行きにくい場所にあるからかもしれない。だからこの辺りを歩くとホッとする。おそらく藝大の関係者であろう人々や、地元の人が多そうな雰囲気がある。館内に入って、児童書を見たり、さまざまな言語に翻訳されたエリック・カールや谷川俊太郎や長新太や、そうした名作絵本を眺めたりして、食堂に向かう。
まだランチセットメニューはやっていない時間なので、思い切って単品でカツカレーを食べることにする。飲み物はもちろんクリームソーダだ。夏休みの最後の週末に、私たちはここを訪れた。夏のうちに来れたらいいなと思っていたから、それが果たせてホッとした。こども図書館だけあって、オムツを替えるスペースや、子供を遊ばせるマットが敷いてあるコーナー、食堂にも子供用の椅子が多く備えられている。国立だからか、面積も広く歩きやすい。窓から外を見ると少し雨が降っているようだった。
帰りをどうしようか迷う。バスや徒歩で来るには楽しいが、電車だと意外と帰りづらい。結局、上野公園を通ってJRの上野駅まで行き、山手線に乗って帰ることにする。途中、噴水前で台湾のお祭りみたいなものがやっているが、湿気がすごくて汗をかき、立ち止まるどころではない。
やっと上野公園の入り口あたりまで辿り着き、文化会館の一階に走り込む。冷房がついていて涼しいので、ロビーには多く人がいる。小ホールでは昼間からチェロリサイタルが開催されているようで、その客も多い。文化会館には、昔から何度も音楽会に来た。大ホールが多かったが、小ホールも大好きだ。小ホールは主にピアノのリサイタルなどが行われることが多いが、モダンな作りになっていて、リラックスして音楽が聴ける。
私はこのホールが好きだ。このようにリラックスして音楽が楽しめるコンサートホールってそういえば、他にどこがあるだろう。客席の傾斜の感じや、舞台の袖にある彫刻のような飾りが気分を高揚させるせいかもしれない。そういうホール全体の形や周辺の装飾が意外に重要なのかもしれない。
上野駅に来るのは久しぶりだった。早稲田に住んでいた頃は、ほとんどメトロしか使っていなかったからかもしれない。JRの駅にももちろん来たことがあるが、今回のように印象に残ったことはない。むしろ上野の駅と言えば古い駅だという印象しかなく、今回モダンに作り直されていておどろいた。とても綺麗な駅になっていた。
上野駅のように、ある程度需要がある駅は一定期間があれば再度綺麗に作り直される。しかし、すべての駅がそのような扱いをされるわけではなく、古く朽ち果ていく場所もたくさんある。上野駅のモダンな廊下を見て、音楽を演奏する動物たちを描いた絵を眺めながらそのようなことを考えた。古い東京と新しい東京が幻夢のように交錯している。私たちは吉増剛造の写真のように重なり合った景色を眺める。何がいいのかわからなくなる。判断しなくていい。ただ眺めていればいい、と蝉の声が言っているように聴こえた。