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野木町の縄文(1)

栃木県の野木町郷土館に行ってみたところ、縄文土器の常設展示が予想以上に充実していました。
野木町は栃木県のほぼ南端、群馬県・埼玉県・茨城県との県境の近くにあります。3年ほど前に土さんのnote記事 はるか東にやってきた火焔型土器 ー 野木町郷土館 [JOMOSEUM] でも取り上げられていました。実際に訪問したところ、特に松原北遺跡の中期縄文土器が大変面白かったので、2回にわたりレポートしてみたいと思います。

野木町郷土館

野木町郷土館は野木町役場の敷地内にあります。普段は入口が施錠されていますので、隣接する公民館の窓口でお願いして開けてもらいます。ちなみに見出しの素敵なポスターは野木歴史文化伝承会、野木中学校文芸部、野木第二中学校美術・文化部の皆さんの合作だそうです。入口の扉にも「縄文土器を観に行こう!」と書いてあって、かなり縄文土器を推していることが分かります。

入るとまず縄文晩期の出土品が展示されています。

羽毛田遺跡から出土した晩期の土器(安行Ⅰ式土器と異形台付土器など)
羽毛田Ⅰ遺跡の土版と土錘

土版は完形でなかなか良いものです。

新田裏遺跡のミミズク土偶と土偶

ミミズク土偶は破片でも人気ですね。

羽毛田Ⅰ遺跡の耳飾り

耳飾りもありました。羽毛田Ⅰ遺跡から十数kmの距離にある栃木市の藤岡神社遺跡からは1000個以上の耳飾りが出土していて、全国でも有数の耳飾りの出土地です[1]。写真の耳飾りもそこから流通してきたものなのかも知れません。

石棒・石斧などの石製品(矢畑遺跡ほか)
黒浜式土器(野渡貝塚)

縄文前期の黒浜式土器もこの近辺で出土したそうですが、現在は京都大学が所蔵していて残念ながら写真のみです。

中期縄文土器(松原北遺跡)

ここから松原北遺跡の土器です。20個近い土器が棚にずらりと並んでいて、中期縄文土器マニアとしてはテンションが上がります。

火炎系土器

これが火炎系土器です。完形ではありませんが元々はかなり径が大きいものだったように思います。

中期縄文土器(松原北遺跡)

もう一つ展示ケースがあって、こちらには加曽利E式、中峠式、勝坂式、阿玉台式の土器が並んでいます。松原北遺跡の土器については次回もっと詳細にご紹介したいと思います。

「浅間塚古墳出土埴輪の数奇な運命」

古墳時代のコーナーに「浅間塚古墳出土埴輪の数奇な運命」というポスターがありました。浅間塚古墳は明治末期に切り崩され、3点の埴輪が出土したそうです。それらは東京国立博物館に寄贈され、そのうち武人頭部の形象埴輪はさらにイタリアに寄贈されました(左上)。円筒埴輪の一つは東京国立博物館に残り(左下)、野木町郷土館には残りの一つが展示されています(右写真)。ポスターには「埴輪の出土例が少ない野木町域にとって、浅間塚古墳から出土した3点の埴輪は極めて貴重な考古学上の資料ですが、それぞれの埴輪はそれぞれの運命をたどり、現在は東京国立博物館とイタリアの東洋美術館に、そして、残る1点がこの野木町郷土館に展示されています。」とあります。
最後の文から何だか残念そうな様子が伝わってきます。こうした地方の資料館あるあるで、黒浜式土器もそうですが、まだ資料館が整備されていない時代に発掘された出土品は国立博物館や大学に持って行かれて地元には写真しか残らない。イタリアは無理としてもたまには出土品の里帰りなどできないものなのでしょうか。

壁の上のほうには…
縄文から現代までの時間スケールが

建物を出ようとしたら壁の上のほうに縄文時代から現代までの時間スケールが貼ってあることに気づきました。壁の5分の4くらいが縄文時代から古墳時代までで、それ以降はぎゅうぎゅうに詰まっている感じです。資料館などの古い順の通史展示を見ていて、奈良平安まで来ると「もうこのあたりは最近のだな」と感じてしまうのですが、そういう感覚は時間スケールからするとまんざら外れていないのかも知れないと思いました。

野木町立図書館

郷土館からの帰りに、車で5分くらいのところにある野木町立図書館に立ち寄りました。松原北遺跡の土器について調べてみようと思ったのです。司書の方に尋ねたところ、松原北遺跡の発掘調査報告書[2]を探してくださいました。次回は報告書の内容を参考にしつつ松原北遺跡の土器を見てゆきたいと思います。

野木町郷土館
所在地:栃木県下都賀郡野木町丸林571
休館日:月曜・祝日・年末年始
閲覧時間:9:00~16:00
料金:無料

参考文献

[1] 吉田泰幸「縄文時代における土製栓状耳飾の研究」 名古屋大学博物館報告(2003).
[2] 野木町教育委員会/編「松原北遺跡 友沼西部土地区画整理事業に伴う埋蔵文化財発掘調査」野木町教育委員会 (2001).

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