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安曇野市穂高郷土資料館の広耳把手付土器(ひろみみとってつきどき)

長野県安曇野市は、北アルプス連峰を西側に望む松本盆地のやや北寄りに位置します。安曇野市穂高郷土資料館は、穂高地区の市街地から穂高温泉郷に向けて少し登ったところにあります。

図1 安曇野市穂高郷土資料館
の裏手にある鐘の鳴る丘集会所

元は旧穂高町の郷土資料館だったようですが、平成の大合併で近隣5町村が合併して安曇野市になったおかげで、旧明科町などの遺跡からの出土品もまとめて見られます。

図2 安曇野市穂高郷土資料館

安曇野市穂高郷土資料館には長野県宝「信州の特色ある縄文土器」が3点展示されています。平成30年に一括して長野県宝に指定された長野県内の縄文土器158点のうち三つです。

図3 安曇野市の長野県宝「信州の特色ある縄文土器」
左:両耳把手付土器 中:広耳把手付土器
右:蛇体把手付ワイングラス形土器

図3左は東小倉遺跡(旧三郷村)の「両耳把手付土器」、右はほうろく屋敷遺跡(旧明科町)の「蛇体把手付ワイングラス形土器」、そして中央が他谷遺跡(旧穂高町 牧)の「広耳把手付土器」です。

図4  広耳把手付土器(正面)
図5 左:右側面 中:裏面 右:左側面

発掘調査報告書では次のように解説されています。

円筒状壺形器形の左右両側の胴体部分に口縁直下から下端に至り広耳(ひだ状)が付いている。広耳部分にはそれぞれに6個の不定形の丸孔が穿かれ、胴体部分表・背面には隆帯文と刺突文が施文されている。また、胴体部分隆帯に沿ってまた、広耳の外縁部と丸孔の周囲の刺突文は連結した形で描かれている。広耳部分上端(口縁部より1cm下)に鍔状隆帯が口縁に沿ってめぐりその上下に、刺突文がめぐる。胴体下部の広耳の付け根部分には上下を区分する隆帯がめぐり、これより下部には縦位の隆帯により8分割され、さらにそれぞれの区画内は不規則で粗雑な沈線で描かれている。(この部分の施文が唯一この時期を特徴つけている)口縁部下の鍔状隆帯と広耳部分上端の接点には、左右ともに直径7~ 8 mmの欠損がある。やや中空の欠損状態から見ると角状の突起が付くものと思われる。なお、器表面と背面の隆帯及び刺突文の文様には、若干の違いがある。また、器上面から見て口縁の内輪はやや楕円形で中間の内輪(くびれ部分)とは正比例でなく若干捻りが見られる。それに合わせたように外部の広耳の造りにも左右ともに捻りが加えられている。

穂高町教育委員会「穂高町他谷遺跡」[1] 68ページ 
図6 実測図(引用:文献[1] 47ページ)

厳冬期の発掘のため地面が霜柱状に凍結してしまい、やむをえず重機を使って表土を除去している最中に、運良く無事に発見できたそうです。文献[1]では、『特異な器形、煮炊きに供し得ない、火を受けていない等、個人所有でなく村の共有物としての意味合いの強い非日常的な土器と考えられる。また、用途を貯蔵に求めるとすれば祭祀用の何かを入れるものなのか、呪術的な祀りへの供献を想像させられる器である。』と述べられています。

『広耳付壺形の器形は、本遺跡出土の他の土器との共通点あるいは類推できるものがなく特別なものと考える』[1]とのことですが、最近見た近隣の縄文土器の中から、これとちょっと似ていると感じたものを並べてみます。

図7 左:他谷遺跡(安曇野市穂高郷土資料館)
右:岡谷市 花上寺遺跡(岡谷美術考古館)

図7左は同じ他谷遺跡から出土した両耳付土器です。文献[1]でも広耳土器と有孔鍔付土器の関連について言及がありますが、この土器にも無文の口縁の下の方に鍔があり、刺突文が施されています。図7右の土器はずんぐりしていて器形がかなり異なりますが、胴部上半に橋状把手の下から巻き上がる隆帯の渦巻というモチーフが上下二段に並んでいて、広耳土器の文様の構成と類似性があります。また、隆帯の両脇と直上という違いはありますが、どちらも刺突文が使われています。広耳土器の刺突文は、先にへら工具で浅く沈線を描いた後に、沈線に沿って刺突されていて、図7右の刺突文の施文方法も同様です。この土器の口縁も無文で鍔付です。

図8 左:御代田町(浅間縄文ミュージアム) 右:御代田町 宮平遺跡(同)

図8左は、口縁から鍔までの幅が狭い点、把手が鍔から胴部下半の区分までの板状となっていて、複数の丸孔が穿たれている点、胴体が把手の部分で少しくびれている点が共通しています。図8右の加曽利E式の一般的な両耳付土器と比べ、広耳土器にかなり近い器形と思います。

図7・図8の土器を並べてみて、どれも器肌の色合いが他の土器よりも白っぽいと感じました。広耳土器は少し赤味がかっていますが、こういう煮炊きではなくお供えに使うような土器の色には、何か決まりがあるのかも知れません。

図9 ほうろく遺跡の北陸系土器(安曇野市穂高郷土資料館)

広耳土器のもう一つの特徴として、把手を貫通する多数の丸孔があります。それを考えていたら図9の安曇野の土器が思い浮かびました。各把手の側部に環状突起の貫通孔が6個ずつあり、偶然かも知れませんが広耳土器の丸孔と同じ数です。図9の土器には「北陸から直接到来した土器?」という説明があって、見るからに資料館の他の土器とは異質なたたずまいです。当時としては、近隣でも評判の変な土器だったと思われ、この地域の土器作りの人たちにもインパクトを与えたのではないかと想像しました。

図10 蛇体把手付ワイングラス形土器

ほうろく屋敷遺跡の蛇体把手付ワイングラス形土器は、「グラス形」と名付けられているものの、一般には「台付き鉢」に分類されると思います。そこでこの近辺の台付き鉢を色々並べて、比較してみたいと思います。

図11 左:塩尻市 剣ノ宮遺跡(塩尻市立平出博物館)
右:松本市(松本市立考古博物館)

図11はやや古い時期の土器で、左は勝坂式、右は櫛形文系に相当すると思います。

図12 左:朝日村 熊久保遺跡(朝日村歴史民俗資料館)
右:朝日村 山鳥場遺跡(同)

図12左のほうが時期的にはグラス形土器に近いと思います。腕骨文や綾杉文に新潟からの影響が表れています。右は一見ただの壺に見えますが、底に器台につながる痕跡が残っています。時期はやや下って、大柄の渦巻文や交互刺突文などに唐草文系らしさが出ています。下伊那系の特徴も見られるとのことです。

図13 左右とも他谷遺跡(安曇野市穂高郷土資料館)

図13はまた時期をさかのぼって図12左と同じくらいの時期だと思います。文様は梨久保B式の系統を引くものです。

図14 左右とも新林遺跡(安曇野市穂高郷土資料館)

図14左はコイル状の突起などに焼町式の特徴が残り、やや古い時期の土器だと思います。右は図13と同程度の時期です。

図15 左右ともほうろく屋敷遺跡(安曇野市穂高郷土資料館)

図15はグラス形土器と同じほうろく屋敷遺跡の出土品です。さらに図15右はグラス形土器と一緒にJ20号住居址から出土した、同じ時期の土器です。図12左の土器と同じく、新潟を経由した東北の大木式土器の特徴を持っています。

図11~図15の台付き鉢の器面は、どれも隆帯や深い沈線で起伏の大きな文様が描かれています。資料館の他の土器も、彫りが深い濃い顔の土器が多数派のようです。一方、グラス形土器は、把手以外は縄文の地文に細い沈線で渦巻などを描いたシンプルな器面です。しかし、グラス形と似た感じの浅い沈線文様の土器破片がほうろく屋敷遺跡から出土しており、あっさり顔の土器も同じ時期に並行していたことが分かります。

図16 ほうろく遺跡から出土した土器破片(引用:文献[2] 17ページ)

グラス形土器の蛇体把手を後ろから見ると図15右の土器の把手と少し似ています。このタイプの把手はこの時期に広く使われたようで、ほうろく屋敷遺跡の別の唐草文系土器にも同じ把手が見られます。蛇体把手はこれにとぐろを巻いたヘビ状の装飾を付け加えたと考えられます。

図17 左:グラス形土器の蛇体把手
中:図15右の土器の把手
右:ほうろく屋敷遺跡の別の唐草文系土器の把手

これらの把手は新潟の大木系土器によく見られる✕字状把手から派生したと思われます。両端が渦巻になった粘土紐を背中合わせに二本合わせた構造の把手です。図18左の土器の下半分は図12左や図15右の土器と雰囲気が似ています。

図18 新潟県の大木系土器と✕字状把手
左:栃倉Ⅱ式 津南町 沖ノ原遺跡(津南町歴史民俗資料館)
右:大木8b式 長岡市 岩野原遺跡(馬高縄文館)

東小倉遺跡の両耳把手付土器の把手も✕字状把手です。両耳把手付土器には大木系の特徴である剣先渦巻文も見られます。ちなみに、この土器の色が黒いのは、焼失住居址からの出土品で、おそらく住居廃絶の際の儀式で表面が焦げたためです[4]。また、他谷遺跡からは✕字状把手の破片がいくつも見つかっています。

図19 東小倉遺跡の両耳把手付土器(左)と✕字状把手(右上)
他谷遺跡の✕字状把手破片(右下)

ほうろく屋敷遺跡からは、✕字状把手が進化した見事な渦巻が印象的な、把手付鉢も展示されていました。図18右の土器の親戚みたいに見えます。

図20 ほうろく屋敷遺跡の把手付鉢(安曇野市穂高郷土資料館)

この記事では、主に長野県宝の三つの土器を取り上げましたが、安曇野市穂高郷土資料館は展示してある土器の数がともかく多く、時間を忘れて堪能しました。私はこういう、ありったけの土器を見せて頂ける、収蔵展示に近いタイプの資料館が大好きです。

図21 他谷遺跡の土器
図22 新林遺跡の土器
図23 ほうろく屋敷遺跡の土器

他谷遺跡、新林遺跡、ほうろく屋敷遺跡の多数の土器をまとめて見ることができて、それぞれの遺跡の個性を楽しめました。
安曇野市穂高郷土資料館の皆様に深く感謝いたします。

最後までお読み頂き、どうもありがとうございました。

参考文献
[1] 穂高町教育委員会「穂高町他谷遺跡」穂高町教育委員会(2001)
[2] 明科町教育委員会「明科町の埋蔵文化財3:ほうろく屋敷遺跡」明科町教育委員会 (1991)
[3] 明科町教育委員会「明科町の埋蔵文化財11:ほうろく屋敷遺跡」明科町教育委員会 (2001)
[4] 三郷村教育委員会「三郷村の埋蔵文化財6:東小倉遺跡」三郷村教育委員会 (2005)

安曇野市穂高郷土資料館
所在地:長野県安曇野市穂高有明7327番地72
休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)・祝日の翌日・冬期休館(12月28日から2月末日)
閲覧時間:AM 8:30~PM 5:00
料金:一般100 円、団体80 円、中学生以下と安曇野市内在住の70歳以上の方は無料、障害者手帳をお持ちの方と介助者1名は無料

公式動画:安曇野市 穂高郷土資料館◆安曇野オンラインギャラリートーク2024◆

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