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栗山英樹、一世一代の詰将棋 / WBC2023準決勝 日本×メキシコ

 大谷翔平がヘルメットを吹っ飛ばし、ダイアモンドを駆けていく。自然に脱げたのではなくてかなぐり捨てられたヘルメットは、彼が正真正銘のメジャーリーガーであることと、その特別さを改めて物語っていた。

 信じ、託し、つなげる。そしてそれを受け取るということは、野球においてはつないでくれたランナーをホームベースまで返すということで、それを最後の最後、村上宗隆が完璧にやってのけた。野球は、チームスポーツでありながらも常に孤独が隣り合わせだ。マウンドの上はもちろん、バッターボックスでも孤独。結局は吉田正尚がやってみせたように、ホームランそのものは個の力によるものである。大谷翔平の打撃も投球も、村上宗隆の最後のツーベースも、すべて。では、何が野球をチームスポーツたらしめているのか?この試合は野球がチームスポーツたる真髄が見られた試合であり、日本野球の進化というものをまさに見せつけた試合であった。野球は三振とホームラン、それを体現したのは確かに大谷翔平なのだけれど、その先にある景色とはいったい。栗山監督の思惑ズバリなこの試合を振り返っていきたい。


「流れ」と役割 山本由伸の好投

 日本の先発は佐々木朗希。最速165キロを誇る剛腕が、この日もストレートのほとんどが160キロを超えるという異次元の投球を見せた。彼のすごみはそのストレートの平均球速である。大谷翔平も160キロ超えのストレートを投じるが、基本的にはピンチでのみそれらを投じ、通常時は150キロ台中盤のストレートでカウントを整えていく(イタリア戦では負けたら終わりということもあって佐々木朗希のような平均球速だったが、抑え投手のような100%の投球を続けたため4回途中で限界が来た)。しかし佐々木朗希は常に160キロを投じる。それが当たり前なのである。メジャーの速球派でも数少ないタイプの投手で、最強投手・ジェイコブ・デグロムを彷彿とさせるような平均球速である。

 その佐々木朗希から、メキシコ打線は4回、ウリアスの3ランホームランで先制点をあげた。佐々木朗希も打たれた瞬間「あっ」となるような、フォークが浮いてきたところを捉えられてしまった。佐々木朗希はフォークボールをカウント球としても使用するので、あのフォークを失投と片づけてしまうのは早計であろう。「カウントを取りに行ったフォークを捉えられた」とする方がいいのかもしれない。これがメジャーのレベル、ということか。

 このホームランでメキシコは流れをつかんだ。ただでさえ左打者が多い日本打線は、メキシコ先発のサンドバルを打ちあぐねていた。左打者からすれば外に逃げていくスライダーがコースに決まり、右打者から見て外へ沈むチェンジアップも有効。エンゼルスの左のエースは十分な価値を発揮して日本打線を苦しめていた。

 このホームランによる失点が4回で、日本がその後得点するのは7回裏。実は4回から7回まで試合は動かなかった。日本はチャンスを作っていくものの、あと一歩というところでの残塁・無得点が続いた。レフトのアロサレーナが次々フライを捌く姿はラッキーボーイ的なものも感じさせられ、非常に「嫌な流れ」になりつつあった。

 そんな中、日本チームの命をつないだのは山本由伸の投球だった。今日の山本由伸の成績は、終わってみれば4イニング目途中で自責点2というものだった。しかし、山本由伸は「取られてはいけない時」に決して点をやらなかった。それが5・6・7回の、日本が点を取れなかった後のイニングであった。

 今年から改造した、クイックモーションのようなフォームがリズムを生んだ。メジャーリーガーが苦手とする縦の変化の制球が良く、ストレートは常時150キロ超えを記録しゾーンギリギリをかすめ、甘い球を投げない。点を取られた8回まで、フォアボールこそ与えたものの安打を許さず、所謂「火消し役」を長い時間をかけてやり続けたのである。通常野球において「火消し役」は中継ぎ投手のワンポイント起用でこその活躍なのだが、これぞ先発投手である山本由伸が中継ぎをやる意味。彼がマウンドにいることで、メキシコがイケイケムードになり切れない

 野球における「流れ」についてはこういった締まった試合を見るたびに考えさせられるが、実は最も「流れ」が顕在化する場面というのは、単純な形(守備で好捕した打者が次の回先頭で回ってきてヒットやホームランを打つ、とか)ではなく、より複雑な形で顕れると感じさせられる試合だった。この試合も、リクエストで判定が覆り「甲斐キャノン」が変則成立した直後の甲斐自身はあっけなく三振に倒れてしまった。「たっちゃん」ことラーズ・ヌートバーも倒れ、「リクエストで判定が覆った流れを生かしきれないのか」と思いきや近藤健介がセカンドの頭を超える安打を放った。近藤の「個の力」が命をつないだ。大谷翔平が四球で出塁、そして吉田正尚の一発——。この試合で、野球というスポーツが持つオカルト要素「流れ」が顕れたのはこの場面だっただろう。近藤がすんでのところでそれを自分たちの手中にとどめたといえる場面だった。

 しかし、すべてを流れとするのは暴論である。山本由伸はこの裏に2点を失う(1点は湯浅が浴びたタイムリーヒットの自責点)が、その1点をもしあと1イニング早く取られていたとしたら?たとえここで同じように流れが顕れたとて、3-5となり点差は大きい。そもそも0-3と0-5では絶望感が違う。3点差まではセーブが付くことが物語るように、満塁ホームランでひっくり返る点差と、満塁ホームランでも1点まだあるという点差は、どうやってもプレッシャーが違う。0-3の状態でマウンドへ上がった山本由伸にこの日課せられた使命というのは、味方が得点するまでは点をやらないというものだった。それも、日本球界最高の投手である彼自身が、できるだけ長いイニングを投げること。獅子奮迅、それに応える投球を彼は続けていた。

 確かに裏のメキシコは「点を取られた後に取り返す・即勝ち越し」という勝利のセオリーの一つを踏襲したのだが、山本由伸は慣れないリリーフ登板で4イニング目に突入していた。先発時よりペース配分を二の次に「行けるところまで行く」ピッチングだったのは明らかで、「行けるところ」にたどり着いてしまったのだ。メジャーリーガーがそこを逃すわけがなく、1点取られたところで即湯浅へ切り替えた采配が見事だった。

 リリーフした、山本よりグンと高さがある右腕・湯浅は・メジャー屈指の長距離砲であるテレスに一発を許さない・自責点にならない失点1については仕方がないという場面だったように思える。湯浅はテレスを上下で揺さぶり一発どころではなく三振で切ってとり、その次のバレデスに安打を許すも単打で、吉田正尚の好返球もあり失点をわずか1点にしのいだ。彼もまた最低限、仕事を果たしたのであった。山本由伸とあわせて2失点。点差は再び2点、8回という最終盤で非常に苦しい展開…なのだが。

詰将棋のような采配、白眉の8回

 その裏の攻撃、先頭の岡本が死球で出塁する。栗山監督は即、代走・中野を送った。「まずこの回1点とること」に注力する采配だ。場合によっては延長戦になり得る試合展開で、右の大砲である岡本和真を下げることのリスクよりも、ここで1点を取るための確実な策をとった。この場面で「とにかく1点を取ること」=「1アウトでランナーが3塁にいる」状態を作ることであり、栗山監督はそのためにこの後も手を打っていく。

 山田は今日すでに1安打放っていることもあってか、ここではあっさりヒッティングを選択。ダプルプレーもリスキーだが、山田に送らせて「ワンアウト2塁で源田」ではない選択肢を取った。この先、9番の甲斐に代えて昨年パリーグ2冠王のパワーヒッター、山川を代打で控えさせている。高い確率で外野フライを打つことができる選手を後ろに控えている以上、できる限り、アウトカウントを余らせた状態で山川を迎えたい。それならこんなに早くアウト一つくれてやることもない——山田は期待に応え、三遊間をしぶとく破るヒットを放った。これで、ノーアウト・ランナー1塁・2塁。セオリーでは送りバント。栗山監督も当然その想定で次に山川を準備している。しかし点差は2点だ。仮に源田が送り、ワンアウト・ランナー2塁・3塁の場面を作り、山川がしっかりヒットを放ったとしてもまだ1点差ある。ヌートバーに対して初物の左投手が投入される可能性もあり、ツーアウトでの勝負は極めて難しくなる。勝負をここで一気に決めるならば、源田にヒッティングをさせ、2点目を取りに行く(つまり、アウトカウントをくれてやることもなく、源田に安打でつながせ、ノーアウト・満塁を作り山川が犠牲フライで1点とってもなおもアウトカウントが余る状態でヌートバー・近藤、その先の大谷へつなぎ、東京ラウンドのように上位打線で追加点を奪いに行きビッグイニングを作ること)選択肢も取れたのだが、栗山監督は源田にスリーバントさせてまで、山川が犠牲フライを打って1点を取れる場面を作った。

 そして山川。二日前のインスタグラムでは米国を満喫・宝石店で大騒ぎ・お酒を飲みまくりの様子を公開していたが、シーズン中もこんな感じなのだろう。本人としてはもっと行けたと思いつつも、犠牲フライが欲しい場面でしっかりと犠牲フライを放った。完璧なお仕事だ。

 栗山監督の思い通り、1点入って4-5。やはり点差は1点あり、ヌートバーが四球で出塁するも近藤が倒れ追加点はならず、栗山監督が意図した仕事は全員果たし、「1点取りに行った采配できっちり1点を取った」8回だった。その裏を大勢ー大城のまさかの「巨人バッテリー」(贔屓としてはうれしい限り)がゼロで抑え、「9回裏・1点ビハインド」という、野球好きならフィクション・ノンフィクション問わずあまりにも既視感のあるシチュエーションに試合は突入していった。

大谷翔平という圧倒的な「個の力」、そして野球が何故チームスポーツなのか

 私は上記の8回の采配に首を傾げていた。確かに確実に1点は取れるだろう。源田も痛む右小指をおしてバントを成功させ、本塁打王である山川が確実に犠牲フライを打った。みんなしっかり仕事をして、いわばあのイニング、誰一人失敗をしていない。けれど1点しか取れていない。取れる点を逃してしまったのではないか?近藤が倒れたあの時で、試合の決着がついてしまうのでは?

 しかし、冒頭の大谷翔平の姿に目を醒まされた。ヘルメットをかなぐり捨てて2塁ベースへ疾走する大谷翔平。栗山監督は、「信じて」いたのだった。1点差で大谷翔平に関わらせれば、どうやっても勝つことができるのではないかと。そしてかつて「高校野球に於けるカウント1-3からのバッティング」をテーマに卒業論文を執筆したほど、野球におけるシチュエーションの大切さについて考え抜いてきた監督がそんな感情論(「翔平…」)だけにとりつかれているわけではなく、9回裏1点差というシチュエーションが守備側に与えるプレッシャーに絶大な信頼をおいていたのではないか。

 大谷翔平が打ったのは初球のボール球だった。高めの速球を狙っていたのか、とてつもない集中力だ。大谷翔平のシーズン中打率は昨年で.270前後と、決してアベレージヒッターの部類ではない。しかしWBC中はとてつもない集中力を発揮しており、シーズン中見られる左投手の大きなカーブに空振り三振するようないわば「定番パターン」での三振がほとんど見られないのである。打率は4割を超え、イタリア戦のセーフティバントしかり、毎回その場面における最適解を探しながら打席に立っている。ほんとうに、野球がうまい選手なのだ。野球そのもののような選手。そしてこの場面ではある意味ホームランよりも価値あるがあり、ヒットよりなお良いツーベースという結果をあっさり残してしまう。

 そして3ランを打った吉田正尚が四球で歩き、ここまで絶望的な不調だった村上宗隆を迎えた。ただ、彼にとっては打ちごろのボールである150キロ前後のストレート主体の投球に対し初球からバットを振っていき、その次のスイングでしっかりととらえ、センター後方へ完璧な打球を飛ばしてみせた。

 こういう時、たいてい「信じた」ことを尊び、「チームワーク」が声高に唱えられる。しかしそれでは、信じるということはどういうことなのか。思えば栗山監督の8回の「選択」からすべて始まっていたのだ。「この8回は確実に1点を取り、9回につなげる場面である」という割り切り。源田がスリーバントを試みたあの瞬間から最後までの道しるべを想定しながらタクトを振っていたとするならばそれはもう詰将棋である。源田以降の一人一人に必要な役割を託すことができる信頼をおいていたからこその決断。歴代最強と呼ばれる打線だからこそ成せる術。「さあ大谷だ!」ではなく、その稀代のスーパースターでさえも一人の舞台装置として生かしていくこと。一人一人の「個の力」の結晶として勝利が生まれる。それが論理的にはチームワークといえるものなのだ。

 メキシコの報道で「この試合、日本がリードしていたのは試合が終わった瞬間だけだった」と言われていて、まさしく野球、まさしくスポーツだと感じた。「最後試合が終わった時に1点でも多くとっていればいい」とは大谷翔平の言葉だ。明日はアメリカ戦。このWBCがここまでの盛り上がりを見せているのも、彼らアメリカチームがフルメンバーで戦えるよう懸命な努力を重ねてきたからだ。野球の祖国への挑戦なんてものではない。一つのチームとしての結晶を見せつけるとき。14年ぶりの歓喜はすぐそこまで迫ってきている。

※トップ画像は侍ジャパン公式Twitterより拝借。

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