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「物語」へのピリオドと、その先の7年間へ - TWICE『Celebrate』

 『Feel Special』から地続きであった物語に、一つのピリオドが打たれた感覚だ。

 TWICEの日本最新曲『Celebrate』が公開された。TWICEの活動を語るうえで欠かせないのは日本活動の充実である。K-POPアイドルにとって、ある種宿命として日本活動というものがある。彼らは本国でのヒット曲を、怪しげな日本語に書き換えられ、おそらくルビをふられた状態で必死に歌いそれらを日本アルバムとして販売し、韓国市場の売り上げに上乗せするために働かされている(韓国市場はまだ、どうやっても大きいマーケットでは無いのだ)。これはあのBTSでさえ通った道どころか、現在進行形で行っている活動だ。その楽曲たちは、はたいてい本国ヒット曲のJapanese Ver.であり、実際TWICEも、韓国タイトル曲のJapanese Ver.集である『#TWICE』シリーズが1-4まで出ており、ここから『TT』の大ヒットが生まれ、日本ブレイクの足掛かりとなった。

 このようにK-POPアイドルにとって日本活動は欠かせないのだが、それにしてもTWICEの日本活動への力の入れようはっきり言って異様である。日本で出すシングルは毎回日本オリジナル楽曲であるし、日本アルバムは今回の『Celebrate』で4枚目を数える。特筆すべきはその中身がすべて日本オリジナル楽曲であるということ。日本オリジナルアルバムの中にJapanese Ver.は一曲もないのだ。日本人メンバーが3人いるとはいえ、である。楽曲のジャンルもJ-POPだ。いや、当初は「寄せている」という感じだったのだが2021年リリース『Kura Kura』に至っては三浦大知と共同制作を行うUTAに作曲を託しており、本国カムバではまず取り入れないようなスタイルに挑戦している。その音楽性を多用にし、磨き上げる上で日本活動は重要な役割を果たし、相互作用を生むことさえ期待される。韓国カムバを果たした数週間後に日本シングルやアルバムが出て、そのオンラインイベントが開かれる。本国リード曲が『SCIENTIST』のようなゴキゲンなファンクチューンだったかと思えば、『Perfect World』の歌詞はかなりハードなものだったりする。その両輪は7回12奪三振を奪ってもなおベンチに下がらずiPadを眺め、同じ試合でホームランを打つ大谷翔平を見ているようだ。TWICEの日本活動は「リアル二刀流」と呼んでいい。

 そして『Celebrate』。リード曲だが作詞はなんと「TWICE」。メンバー全員が作詞に参加している。これこそが日本活動の利点である。現状どうやっても、本国リード曲でこのような思い切った采配は振れないだろう。しかし日本活動なら——できてしまうのだ。

 楽曲の主題は、歩いてきた道への讃歌といったところだ。では誰に向けての讃歌か。ONCEに向けられている?冗談じゃない。それは、傲慢オタクだ。私たちONCEは、この楽曲をあくまで「TWICEによる、TWICEへの讃歌だ」と認めることで初めて、再契約という一つのピリオドによって区切られた、次のシーズンに進むことができるのである。

Damn, I got it, I'm iconic.
ああ、わかってる 私が象徴なの
TWICE『ICON』

 TWICE自身を歌う歌というと、近作『Fomula of Love』収録の『ICON』が思い起こされる。この曲は作詞こそ他者に任せているものの、完全にその主題はボースティング。自分たちの栄華を歌にしている、HIPHOP楽曲である。それを象徴するかのように、チェヨンのソロラップパートは16小節にも及ぶ。一人でここまで長いラップパートを一気に務めるのは、TWICEでは類を見ないことである。自分たちが得てきた名声を背景とした楽曲が散見されるようになってきたのが近年の特徴でもある。

 ただ、『ICON』と同じ文脈で『Celebrate』を語るのは詭弁であろう。築き上げた栄華そのものを歌にすることはある種の外部への誇示である一方で、自分たちの歩みを讃えたりそこにある希望を歌うことは、自らをケアすることであり、これらは似て非なるものである。

 後者を語るうえでは、やはり『Feel Special』に言及せざるを得ない。「ここまで傷つけられても私が前に進む理由は何なのか、それは隣にいるあなたである」という主題は、サナの不運な炎上、グループにとって初めてのことであったジヒョのロマンスとそれを取り巻く雑音、そしてミナの活動休止と、初の東京ドーム公演を叶えた直後、立て続けて降りかかった困難に対し、どのように向き合ってきたのかを歌っていた。そしてそれは多くのリスナーにTWICEという物語を想像させた。その物語性を下地として、この楽曲は世界各国で「特別扱い」を受けている印象がある。特にアメリカでは2021年の大統領選の際、「アンチトランプ」の象徴としてこの曲がミームになったりした。


 トランプ政権の4年間、レイシズムにより抑圧された人々の思いとこの楽曲が重なり合った結果であるが、これはリスナー側による恣意的なブームメントに過ぎない。仮にトランプ陣営が「我々は抑圧されてきた」と言ってこの曲をテーマソングにしていたら?拡散次第では同じようにミームになる。TWICEが知らぬ間にヘイトに加担させられる羽目に、ということもあり得ない話ではないのだ。ここに傲慢オタクの怖さがある。TWICEはあくまで「となりにいるあなた(つまるところメンバー)」のことを歌ったわけであるが、このようにポップカルチャーは誰かにとって都合がいいように書き換えられていく。それは名誉である一方で、安易に拡散できる今の時代、もはやどう使われるかわからない危険性を孕んでいる。かくいう筆者も『Feel Special』のリリース時はその物語性に依拠した記事を書いた。その暴力性を自覚せずに、である。

 しかし、どうやってもTWICEと「物語」を引き離して語ることはできない。9人の絆、どんな時にも助け合ってきた、ジョンヨンがいないFANCYのステージ、彼女のソロパートで不在の箇所を皆が指差す、そして彼女が帰還した時に巻き起こった大歓声…常に人目にさらされるアイドルという職業。いい話、悪い話、憶測、事実。様々巻き起こる中で、「ほんとう」はどこにあるのか。そんな世界を7年間駆け抜け、次の7年間へサインした彼女たちがこのタイミングで「自分たちの言葉で語ること」には大きな意味がある。BubbleやVLIVEなど、できる限り包み隠さず自分たちの思いを話してきた。実はあまりファンに媚びない。ファンサはするけど信念は変えない。ツウィが前髪を切りたいといえばツウィの思うようにすべきだよと言うモモのことを思い出す。メンバーの心に、自分たち以外の他者を一切介入させない。それがたとえONCEの声であってもだ。

 そうした7年間を、自分たちの手で歌詞を書き上げた『Celebrate』を通して俯瞰する。自分たちが歩いてきた道、そしてメンバーたちの関係性に対する讃歌。これはある種ピリオドでもあり、ピリオドはすなわち真新しい文節を刻むための区切りに過ぎず、はじまりの歌でもある。

 TWICEはきっと、「これはONCEとの歌だよ」と言ってくれるのだろう。そう受け取ろうとすればそう受け取ることができるし、むしろその方がONCEとしては真っ直ぐな捉え方なのかもしれない。しかし私たちはあえて「いやいやTWICEの歌だよ〜」と返すのである。するとTWICEは「いやいやウリONCE〜」と返してくれる。そうやって互いに照れながらボールを投げ合うのである。そうやって、たとえ偶像=アイドルであったとしても生身の人間としてリスペクトすることで、私たちは本当の彼女たちの魅力というものに触れ、これからまた7年間、震わされていくことができるのである。



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