『四月の永い夢』
日本人に愛され続けてきた、四月、桜の舞い散る季節。その季節に閉じ込められた一人の女性の、静かな再生の物語——『四月の永い夢』について、簡単にまとめるならこんなところだろうか。
実は世の中の何もかもを、こうやってあっさりまとめることができるのかもしれない。できるだけ要約し、簡潔に、わかりやすく話すことが評価される——というか、それが普通、日常生活、ことにビジネスの場面においては求められる話法である。
人々はなぜ、映画を見るのだろう。小説を読むのだろう。虚構の世界に浸り、非現実を味わいたいから?登場人物に共感し、感情を揺さぶられたいから?様々あるけれど、この『四月の永い夢』の素晴らしさになぞらえるならば、人生のあるワンカット、140字以内でまとまってしまいそうな出来事の過程をあえてクローズアップし、丁寧に拾い集めるように描写していく。そして浮かび上がる、様々な情景、言外の感情、表情、鳴り出す音楽。どうやったって一人では生きていけないという、人間の温もりを示唆する優しい言葉。人生を駆けていくと振り返ることのないような、小さな小さな日々に宿る輝き。それらを味わうために映画を見る。そしてそういった光景は、自分の人生にも確かに広がっていたことを思い出す。
大好きな『書を持ち僕は旅に出る』の再生、そして自らのステップを止めてしまった初海が、ラジオの向こう側に居る、志熊の声に振り向かされ、笑みがこぼれる。止まっていた歩みが動き出す瞬間の美しさ。初海はまたきっと歩んでいけるだろうという確信。これは「オチ」などではなくて、伏線と謳われないながらも、人生のすべてが布石であるという壮大なメッセージ。
...というのがレコードでいうA面の内容だろうか。この作品は「過ごした日々を慈しむこと」の美しさを描いている(=初海の、死んだ彼氏からの手紙が届いてからの日々)一方で、もう一つのテーマは過去との決別だ。
健太郎の母の言葉。作品の中に共存する、獲得と喪失。初海は涙を流すものの、彼が気持ちを伝える最後の手段であった手紙は焼けていくのだ。初海の中で、彼はある意味成仏していく。確かな決別とともに。そして、季節は動き出す。
この映画の英題"Summer Bloom"があまりにも良い。四季はとどまらず、巡っていくものなのだ。夏の芽吹き。私たちは何かを失いながら前に進むしかないが、そうやって歩みを進めているのである。
※このnoteは加筆を日々加えていく予定でおります。大好きな映画について言葉にするのは、非常に難しいことであります。
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