記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

『すずめの戸締まり』

 まず、新海誠が言っていた「物語に没入させるためのものづくり」は確かに成功していた。TOHOシネマズ日比谷に11/4より導入されたIMAXレーザーの効果が大きいことは否めないが、それを踏まえても、久々に集中して映画を観られたと思う。まさに、全身全霊。観終わった後立ち上がれなかったのはいつぶりか。新海誠はやはり特別な作家なのだ。その彼が、ここまでヒットを飛ばしているという事実がまずは嬉しい。

畏れるということ

 それにしても、簡単に感動をさせてくれない設定だと思った。傍観者として映画を観ている我々が、現実でも他者に起こった事象についてある程度記号化して情報を処理している、傍観者であることを思い起こされ胸を突かれる映画。それはやっぱり、11年経った東日本大震災についても例外ではないのだろう。新海誠は、各種メディアが叫ぶ「忘れない」のその先に存在する具体の部分を映画という形で表現していた。

 何を忘れてはいけないのか?それは「行ってきます」に代表される、そこに暮らした人たちの営みであるということを。扉を閉めるときに必要なのは、かつてその土地に暮らした人々の声である。それを想像することで、彼らの力を借りて扉を閉めるわけだが、この設定はまるで「そこに暮らした人々の思いが祟りとなって暴れていてそれを鎮める行為」にも見えてしまい、そのためか単純な感動を誘わない。
※そういえば『鋼の錬金術師』のホーエンハイムがやっていたこともこれに近いなと思った。

 しかし観終わってから考え直すと、あの行為はごく普通のことだ。神を正しく畏れるというのは敬意をもって接することでありその土地の人々の日常を思い、「お返しする」ということは、命や日々が不可逆であることに対する誠実な向き合い方だったと思う。とはいえ死生観についての議論は平行線になる。新海誠が民俗・伝承に基づいたストーリーライティングをする作家であることを踏まえた考察に過ぎない。

脱村上春樹的価値観・挿入歌MV・ボーイミーツガール

 特に前作『天気の子』と比べて、シンプルかつ皆が受け入れやすいプロットだった。ボーイミーツガールのテイはとっているものの、この物語は実質震災孤児の成長物語であり、自分の過去との決着がメインプロットなのだ。新海誠としては珍しく、恋愛はサブプロットにある。と思わせたいのか?と思うほど、鈴芽の草太に対する思いの動機付けが薄い。「命を助けてくれたイケメンの人」を助けるための旅。ただ、この辺りは本当にとやかくいう必要のない部分であるし、前作の帆高が上京した理由がほぼ描かれていないとか、その辺りの余白となっている部分の説明がないことで「感情移入できない」と書く観客の多さよ。それは感情移入を履き違えているし、余白を楽しみ、主題を捉えて物事を語らないと、物語を正しく咀嚼することも、語り合うことも難しい。

 村上春樹的「消えた彼女」も描かれないし(※海辺のカフカや短編からの設定上の影響はあるようだが)ボーイミーツガールもサブプロット。さらにRADWIMPSの音楽も挿入歌はほぼ無しと、今までのヒット要素を極力控えめにして、なんというかシュッとした新海映画。個人的嗜好を拝して語るならば、さすが、としか言いようのない出来であった。

***

あとがき雑記
・思い出をもとに魔法が発動したり、親だと思ってたら過去の自分だったりと「ハリーポッターとアズカバンの囚人」を思い出してニンマリ
・芹沢くんが「懐メロ聴いてる俺イけてるっしょ」的プレイリストを流しててダサカワだった。
・なんとしてもタバコを吸わせる新海誠。長澤まさみ→小栗旬→神木隆之介。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?