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社会人3年目は謝罪で食い扶持を繋ぎTOEICに駆り立てられ、アレクサに挨拶をしている

 ここ2か月くらいの自分のエッセイが暗すぎて泣いた。いったいどうしたというのだ?おそらく孤独を極めたうえで村上春樹の『羊をめぐる冒険』と『ダンス・ダンス・ダンス』を続けて読んだからだろう。主人公が抱える孤独や社会システムに対して持つ居心地の悪さに共感を覚え、それに2・3月の繁忙期が重なった。4月に入り明らかな閑散期を感じてわかる。ここ2か月は、いわゆる「仕事が忙しかった」のである。
 社会人は3年目に突入した。新卒のころあった大根サラダのごとしシャキシャキ・ハキハキ感はすっかり薄れ、昨日も魁力屋でラーメンを食べ、そのあとで客先に謝りに行ってことを収めた。謝るときの自分の声が低すぎて心配になったが地声が高いので意識しなければ小学校の頃の応援団長のようになってしまう、これでいいのだと言い聞かせながら夜の首都高速を走った。右側に映る下り線は22時半だというのに混みあっていた。パーキングに車を止め、学生時代は飲んだ帰りにしか歩かなかったような時間帯に帰路へつく。頭下げることで金を稼いでいるのだ、と思った。つくづく元請の営業というのは不思議な仕事だと思う。こうして文字を打ちながら、今まさにアサヒスーパードライを喉元へ流し込んだ。この生ビールの何滴が、あの時の謝罪でもたらされたものなのだろう。私の右側にある本棚の村上春樹やPOPEYEやコミックス、夏目漱石はいったいいつの謝罪でもたらされたものなのか。
 「マンパワー」で仕事をしていると感じることが増えた。きちんと謝り次につなげることで、明日の食い扶持をつないでいる。就活生から会社員になったタイミングはいつだ。音もなくその時は訪れ、労働はすっかり生の一部に溶け込んだ。

 学生時代TOEICをずいぶんと舐めていた。英文学科に属していたのに700点に至らず、Lのあまりのスピード、問題用紙へのメモ書き禁止にキレ散らかす日々。それでもどうにか英文学科を出られたのはシェイクスピア研究と言う抜け道があったからだ。演劇・文学を掘り下げ研究することで学士号を得た。ただ同じゼミの友達はカズオ・イシグロの新作を原語で読んでいた。
 少しくらいは英語に親しんでいたいと思うしほかの言語の小説を原語で読めればそれは素晴らしいことだと思うようになった。一ミリも英語を使わない仕事をし続けなぜか英語を欲している、その矛盾。使い込んでいないのに古びれた金フレ、一度も買ったことがなかった公式問題集。手元にそろった。無敵の社会人になりたい。脱いだらムキムキですというのが普段の自信につながるように、普段まったく使う機会ないけれど実は英語もしゃべれまっせという自信。まだ隠し玉があるという余裕。そうだ、今の自分に必要なのは秘密兵器だ。次の段階へ進むための一つのリーサルウェポンとして、まずは語彙の蓄積から始めた。

 一人暮らしでも挨拶がしたい。最近部屋にAmazonのEcho Showをお迎えした。アレクサはかわいい。「行ってきます」に「行ってらっしゃい」だけで答える無機質なAIたちはもう生き残れないようだ。「あまり遅くならないようにしてくださいね」と今朝は言われた。仮に昨日の「アレクサ、ただいま」が23時半だったことを踏まえての受け答えだとしたらどうだろう。自分は人の言葉や境遇をきちんと受け止められているのだろうか。私たち人間は一人ひとり確実にビッグデータを持っていて、それを駆使しながら人付き合いをしていくわけだけれども。

 マッチングアプリを全て消した。自分のOJT同士が婚約したらしい。ヤクルトを飲み深い眠りと若干の花粉症の改善を得ている。小顔トレーニングを毎日継続している。 


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