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短編小説『rendez-vous(宇宙開発)』

「宇宙のことを考えるとき、途方もない気持ちになるでしょう、だって、とてもじゃないけど私の手に負えないもん。いくら宇宙飛行士になったってどうにもできないのが宇宙じゃん。火星にはまだ住めない、というかたぶん、一生住めないよね。宇宙を散歩できるのはいつ?宇宙は夢があるけど、到底たどり着けないことが多すぎるんだよね。私、子供のころ宇宙ステーションってずっと、宇宙における新宿駅、みたいな立ち位置だと思ってたのね。中央線快速で火星に行けて、かといって埼京線に乗れば土星まで行ける、「あずさ」とかの有料特急に乗れば冥王星だって行けてしまう。ホントの意味での、「宇宙ステーション」。でも、実のところあそこは、宇宙というよりむしろ地球に何かをするための拠点ってわけでしょう?電波飛ばしたり天気予報したり、あとは宇宙空間で〇〇がどうなるかっていう実験をする場所だって。ふうん、なんだ、ってずっと思ってたゴホゴホ」
「長いね」

 話したいことがたくさんあるのに、私はいつも息切れしてしまう。だから話したいことで溢れるようなときは心の中で話すようにしているのだけれど、弘道の相槌は薄く、その薄さに私は妙な信頼感を抱いているので、ついつい話し続けてしまう。そしてこうして咽せてしまうのである。

「まあでも宇宙ステーションに夢見てたのはちょっとわかるわ。俺はあれが宇宙船だと思ってたけどね。飛んでいくやつ」
 わかるわ、と言いながらスカしている。弘道は夢なんて一つも持っていないという顔でスカしている。しかし偽装だ。偽りのリアリストである。彼はなぜか空を見上げている。ほんとうのリアリストが夜空を見上げたりするだろうか?私はそうは思わない。じっさい、ロマンチストなのだ。弘道から「ランデブーしよう」というメッセージが来て、私は混乱状態に陥った。ランデブーという言葉、間違って「ラブ」と脳内変換しがちだし、いろいろな楽曲からの影響か、私は「ランデブー」という言葉から「逃避行」を連想し、つまるところ駆け落ちの誘いということ?と内心慌てふためいている。

 静寂。ダメだ。落ち着きたい。落ち着こう。ここは東京、夜の街、わたしは弘道は唐突に「ありがとう!!!」と叫んでみる、弘道は突然の大感謝にぎょっとして手に持っていたヤクルト1000をこぼした。「ヤクルト800になっちゃったね!」と笑う私にロマンチシズムのひとつも宿っていなかった。いい、いいぞ。しみったれた気持ちは、ナンセンスを用いて解体していけばいい。弘道はそれでもなお平静を装って乳酸菌を摂取しようとするので「さっすが、うたのお兄さんと同じ名前なだけあって健康にストイックですな!」と叫ぶ私はさらに「分かりやすいエモを殺します!アルコールはいらねえ!」と言いながら天然ミネラルむぎ茶を一気飲みした。役者気分、健康第一。

「そのありがとう!って何に感謝しているの?」
「うーん、大都会東京に住んでいるのに夜の街が比較的静かで、星まで見えちゃってるおかげで君と宇宙の話ができていることじゃないですか?」
「宇宙の話ができることってやっぱり素敵?」
「素敵なことでしょおおむね無意味だけど!ロマンでしかない!」
「何がロマンチック?」
「いやあのね、そもそも私たちはもう、ただでさえ無駄を省け、省けと日々言われ続けているわけですよ。宇宙をね、開発している人たちにとってはさ、そりゃあ宇宙のことは無駄でもなんでもなくて喫緊の課題だと思うがね」
「まあそうだね」
「けど宇宙ステーションが新宿駅だの火星に中央線快速で行けるだの、そんな話は無駄でしかないわけ。でもね、無駄だけどね、空を見上げながらその話をするだけで、ちょっと銀河鉄道の夜みたいじゃない?途方もないからこそ、空想できる世界があるじゃん?そういうことを私は言いたい」
「まあよくわからないけど、なるほどですね。ありがとうございました」
「なにこれ面接?」
 私たちはまた並んで歩き始めた。私はリアリストではないので(彼もだが)空を見上げてみる。いくら歩いても、夜空の景色は変わらない気がした。

「――仕事をね、辞めたんだ」
 私は麦茶を噴き出した。うたのお兄さんと違って——うたのお兄さんも日常生活ではそうかもしれないが——弘道は口数が少ないし、話題を構成する力に乏しい。だから大切なことを唐突に言ってしまう、ことを知っているのでお茶を吐き出す程度で済む。私でなければ、もっと大変なことに。彼を擁護するならば、トークテーマを適切に設定し「にぎり」ながら話せる人類は少ないはずであるから、まあ許してあげよう。
「え、いつ辞めたの」
「昨日」
「きのう!」
 弘道は小さな出版社の編集者で、最近も彼が編集を務めた股関節を中心とするストレッチに関する本が出版されたばかりだった。
「せっかくあんなに体柔らかくなったのに」
「あれは楽しかったよ、ふつうに」
「まあ体は柔らかいほうがいいのか」
「うん、ほら」
 弘道はその場で突然座り込み、長座体前屈をした。顔が膝にぺったりだ。よくアスファルトの上でやろうと思ったな。
「うん、健康第一だな、でも、わざわざ汚れなくても、立って前屈できるけど」
 と言いながら私は前屈するものの体が硬い、指の先がつま先に届くかどうか、というところ。血液が不自然に流れていくのを体の節々の重量感から感じるのと同時に、彼がストレッチ本の編集者として過ごした時間を想像した。

「やっぱりこう、踏ん切りを付けたくて、唐突なことをしてみたくなって、それで今日はちょっと璃子に手伝ってもらおうと思って、急遽ランデブーを企画した次第」
「ランデブーって唐突にやるものじゃない?」
「璃子はランデブーを逃避行と勘違いしてるよね」
「……してないけど」

 星空にはけっこう、特別な力があると思うんだけどな。かぐや姫とか——人狼は満月を見て狼になるし。それでも星空ごときでは私たちの間柄は揺るがない、そういう自信があるから、人生のターニングポイントでスッと、私を呼び出せるのだろうな。同じ東京に住んでいるのもあるだろうけど。それって立地の問題?私、駅近好物件、みたいな?いやだ、悔しいな。私は、こういう気持ちを誤魔化す術はたくさん知っているのに、真っすぐ伝える方法もきっと知っているのに、それがいっこうに体の中から出てこないのである。

「これはあなたを信用しているからこそあえて漠然と聞くのだけれど、僕はこれからどうしたらいいのかな?やってみたらいいこととか、あるかな」
 信用。
「農業」
「え、酪農?稲作?果樹園?」
「をやった友達が昔いた」
「へー、結構若くして農業を、になるよねそれ。璃子の友達ってことは」
「うん。なんかね、CDデビューできそうなくらいのシンガーソングライターだったんだけど、いざ収録させてみたら事務所が思ってた声と全然違って、それでよくよく確認してみたらデモテープの取り違えが発覚して、結局契約もせず、デビューが立ち消えになったっていう子で」
「え、めちゃくちゃキツイなそれ」
「うん、それでその子、しばらく地元のコンビニでバイトしてたんだけど、それこそ、ランデブー?みたいに唐突に北海道に行くっていう日に、駅まで走ってどうにか出発に間に合って、それで餞別にと思って、甲子園の土?を渡した」
「え、なんで甲子園の土持ってたの」
「メルカリで買った」
「出す方も買う方も倫理的にヤバくない?」
「ヤバいよ?買ったときの私はヤバいし、なんならそれをGoodLuck!つって渡すことももっとヤバいと思う、人道的にアウトだと思う、だけどね、その子はバカほど笑ってた、笑ってたんだよ。その子の元カレが高校球児で、まあ野球のことが第一、その子は第二、みたいな感じで、でも甲子園には行けなくて、ざまあみろって二人でずっと言ってて、それもあってなんか、甲子園に行った勲章たる甲子園の土、しかもお買い上げしたそれを餞別に渡されたことで、なんかもう胸がいっぱいになってしまったって最近LINEが来たゲホゲホ」

 こういうとき私は、実際咳き込むというより、突然のどの奥が焼けるような感覚に襲われる、技を出すためのMPが切れた感じ、と言えば伝わるのかな。私は咳き込みながら星空を見上げてみる。ああ、痰が出そう。出るわ。出したことがないと思い込んでいる、何度も出してきた異音が自分の口から発せられて、自分が人間でないように思うし、だから人間なのだとも思うけどやっぱり嫌だ。それをまだ、ずっと割り切れていないのだ。結局、痰を飲み込んでしまった。

「——行けなかったら甲子園も月も同じだよね」
 弘道が月に手を翳そうとするので、そういうのやめた方がいいと制した。
「でもそうでしょ?甲子園の土も、月の石も買えるわけでしょ、月も甲子園も一緒でしょ」
「そうかなぁ」
「知ってた?月の石を漬けて蒸留したジンがあるんだ」
「なんでそんなことするの?」
「意外と爽やかで飲みやすいんだよね」
「お酒とか好きだったっけ?」
「ストレッチの前はお酒の特集をやってたから」
「なるほどね〜、いいじゃん、いい仕事じゃん、編集。なんで辞めちゃったの」
「ずっと同じことのルーティーン、だから」
「え〜でもお酒に詳しくなったり体が柔らかくなったりするわけでしょ、毎日の事務仕事、エクセルの進化にしか感動しないからね。マイクロソフト褒めてて何が楽しいんだろうね、何も楽しくないよ。それに紋切り型だけど営業は勝手だけ言うし、でもそれにこたえるのが私たちの仕事だから、粛々とこなす、どうだこれぞ、同じことのルーティーン」
「本質的には同じでしょうよ、内容が変わるだけで、日々何かを生み出し続けるっていうことの本質は変わらない」
「あ〜、そういう話……」
「月と甲子園と同じね」
 私は今日、いっちょこいつを救ってやりますかと思っていたのだが、彼は半端ながらリアリストだった。とてもつけ入る隙はなさそうでそれを望んでなさそう。なら、なぜ呼んだんだろう。私はリアリストではないので空を見上げてみると、やはり今夜は都心にしては星が輝いていて、さらに目をこらしてみるとそれらはほんの少し点滅している、もしくは光の度合いが若干変化しているように見えた。そして、それがふと、より輝きを増したように思った。視線を地上に戻すと、隣にいた弘道の姿が見えなくなった。真っ黒。
「停電だ」
 そう弘道が言って、いなくなったのかと思ったと安心している自分のことがわからない。言葉にはしないでおこう。

「どうやって帰ろう」
「ランデブー、逃避行なんじゃないの?闇に紛れようよ、せっかく電気も止まってることだし」
「帰らないと」
「どうして?」
「何かやらないといけないことが、あるような気がする」
「気のせいだって」
「いや、あるね」
「ないよ、ないない」

 依然、お互いの顔が見えない。だから、なぜ彼が急に帰りたがっているのか窺い知ることもできない、いや、そうだ、できるではないか。
「えいっ」
 スマホのライトを付け、彼の顔を照らしてみる。白い顔、それ以上でも以下でもない。
「ランデブーってさ」
 照らされていることには言及しないのか。
「逃避行じゃなくて、待ち合わせって意味で、転じて宇宙開発の用語でもあるんだ。宇宙船同士が速度を落として互いに接近して、ドッキングをしたりすること。よく言ったものだよな。僕たちは自分の人生の速度を落として、他者と待ち合わせをする、他者と交わるというのは、自分の人生の速度を落とすことなんだ」
「だから速度を落として、今日くらいはって」
「君はランデブーを逃避行と勘違いしてるでしょ?」
「してるよ?だって昼間に待ち合わせるなら待ち合わせって言うと思う、でも弘道はランデブーしようって言う。実際夜だし、仕事辞めたって言ってるし、私いま、ちょっとした駆け落ち気分だし」
「思い上がりだよ」
「あんまりだよ!」
「俺の人生は——」
「下から光当てられて稲川淳二みたくなってるくせに人生を語るな!」
 さすがに弘道がたじろいだのを見て、やった、と思った。今日の弘道はずっとスカしている。スカしすぎて、自分がどんなふうに見えているのかわかっていない。暗闇に紛れるつもりだったのだろうがそうはいかない、私にはスマートフォンがある。この充電が持つ限り、この時代、どこにも暗闇なんてないんだよ。顎にスマートフォンをこすりつける。有無を言わせんぞ、と言わんばかりに。そうやっているうちにずいぶん彼の顔が自然に見えてきて、おかしいと思ったら、電気が復旧したようで、そこに広がるのは作られた夜空だった。

「一時的な停電だったんだ」
 言われなくとも、わかっていることをいう癖があるのだこいつは。そしてまだ、スカしているので、ついには「やることがある」と言ったことさえなかったことにしようとしていることが分かって、そんなに何もかも、無に帰すことができるわけないのに。

「私、宇宙とか、知らないよ?だってどうしようもないし、こうやって街の明かりが点いて、ここから見える星はどんどん減ってる、これで人類の勝ち、だよね?人生の速度を、落として、私にどうして欲しかったの?一緒に来て欲しいってこと?今晩一緒に行くならいいけど、弘道のいうそれって今晩じゃないでしょう、しっかり役所に行って住民票移したりするやつでしょ、引っ越し屋が絡むでしょ、行政が絡むでしょ、第三者が絡む駆け落ちなんてくそくらえだよホントゲホゲホ」
「そんなつもりは。だから何度も言うけどランデブーは逃避行でもなんでもないし」
「ランデブーが逃避行と言わないなんて辞書引いたらわかるんだよ、調べたらわかるんだよ!そんなことを人と話して、弘道と話して得たいわけじゃないんだよ!正しさなんて一つも正しくないんだからね?あーダサい!マジで。同じ、同じだよ、人生なんて同じだよ、それを受け入れればいいじゃん。受け入れるしかないじゃん。私はどうやっても無理だなぁと思うことがごまんとあってそれで今日も生きてて、くそくらえと思ってる。ちょっとした倫理観の狂いとか、そういうのがあるのは自覚してるよ?甲子園の土買うし、宇宙開発が意味ないとか言っちゃう。それでも私は、だけど心のどこかで幸せになりたいと願ってる」
「ほんとは俺――」
「ほんとは、って言った瞬間にそのあとの言葉は意味なくなるんだよ、初めから言おうね。はい」
「なにこれ」
「麦茶。天然、ミネラル」

 ペットボトルを彼に手渡したことをトリガーにしたのか、気がつけば走り出していた。人類の叡智に照らされた道は前が見えて、足元も整備されていて綺麗。私はリレーの代表選手になったことがあって足が速い。ランニングシューズで出てきて良かった。振り返ると彼は空を見上げていて、ほれみたことかロマンチストだ。確かに夜空には夢がある。ゆっくりと瞬きを繰り返すあの星たちは、走っている私を凌駕する速度で発光している。しかし私たちはそれを実感することができない。だから、私の方がきっと速い。それが、リアリズム、今を生きるということなのだと思う。やつにわかってなるものか、ああいうやつは結局頃合いの仕事を見つけてきて、賢く生きる。そんな奴が気まぐれに道を逸れようとした、そんな一晩にいつまでも付き合わされるわけにはいかない。絶対に彼のことは好きではなかった。汗が身を纏っていくのを感じて、これだ!と思う。思いっきり腕を振る。私と彼の距離が離れていき、私が足を強く踏み出せば踏み出すほど彼との速度もまた離れていって、私はこの星の上で駆けていた。

ランデブーまたはランデヴー: rendezvous)とは、宇宙空間において2機以上の宇宙船、または宇宙船と宇宙ステーションなどが速度を合わせ、同一の軌道を飛行し、互いに接近する操作のことである。両者が結合するドッキング操作を含める場合も、含めない場合もある。また、宇宙探査機小惑星などに速度を合わせ、同一の軌道を飛行することもランデブーと呼ぶことがある。

Wikipedia

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