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愚か者たちの与太話

「なあ、ほかの男と一緒になったら、怒る?」
「一緒になるっていうのは、結婚したら、っていうこと?」
「既にある意味では一緒になりまくってるしな、いろんな男と」
「それはなんも気にせんけど、結婚はなあ」
「どう思う?」
「怒りはせんけど……結構悲しい」
 どこの民宿も空いていなくて、そもそもどこにも入る気がなくて、二人ともなんとなく車中泊をやってみたくて。もう4度目となるマミとの二人旅。驚くほど静かな日本海は嘘だ。そう言いながら車を停めて、穏やかな波の音を最初こそ意識したけれど、旅館やゲストハウス、僕の家やマミの家という、今まで二人で夜を明かした場所となんら変わらない音がしていた。結局人と二人でいることはお互いの呼吸を聞くことなのである。
 ベッドとソファーでそれぞれ寝ること。敷布団は30センチ離して敷くこと。同じ部屋で寝ても交わらないようにすること。僕たちの関係は常に不文律で成り立っており、だからこそ長らく、友人関係を続けてこられた。そうやって続けてきたけれど、その夜はどうやっても僕たちの間を隔てるものはオートマチック車のシフトレバーとサイドブレーキしかなく、少し眠くなった勢いで傾いた二つの頭部が重なり合い、僕は愚かにも彼女の眼を見つめてしまい、キスをしてしまった。彼女があっさりとそれに答えたからなおのこと驚く。舌は今まで何度もそうしてきたかのように絡められ、僕たちの間では初めて、心音や毒にも薬にもならぬ会話以外の音が響き渡った。そのあとで、彼女はいつか訪れるであろうその日のことを示唆したのだった。

 結構悲しいのである。心のどこかでマミと僕は挙式していた。ドレスは着ないまでも、ひょっとすると披露宴は鳥貴族で行われていたかもしれないけれど、それでも心のどこかで婚姻届に判をついていた。

「そう言われると……いざという時、困るなあ」
「式に呼べなくなる?」
「うん」
「そもそも呼べんでしょ。僕らみたいな関係って、婚姻にあたって非常に厄介な存在よね」
「新郎新婦にとって排除しておきたい要素第1位」
「この関係、何のためなんだ」
「……んーまあでも、最後はみんな死ぬから」
「スケールがでかすぎるし雑だな」
 マミはフロントガラスのどこか一点に視線を移した。
「キスしたあとに雲を掴むみたいな話するからずっと友達なんでしょ」
「それじゃあキスをしたあとは普通何を話すもんなんよ」
「そりゃあ、そのままセックス」
「せんなぁ~」
 こういう会話を普段はソーシャルディスタンス顔負けの2m以上離れた距離で行っているのだけれど今は目と鼻の先に彼女の顔が存在する。茶化しても唇は重なりあっていく。仕方のないこと。
「これはセックス?」
「私たちの中の旧石器時代が産声を上げてて、それを抑えるためにこうやって会話をしてる」
「そしたらセックスじゃないね」
 唇を離す。
「めっちゃ嫌いな言葉があるんよ」
「なに」
「友達以上恋人未満」
「うわ出た、しょーもねーーー」
「マジで語彙力が中学国語」
「語彙力っていうか洞察力な。友達の上位に恋人がある視点なのよこれ。そもそもこういう関係そんな美しいものでもないし、婚姻における不安要素だし」
「愚か者たち でしかないわけですよいわゆる友達以上恋人未満っていうのは」
「愚か者たち なんか、売れない邦画のタイトルみたい」
「無意味に人が死んでいきそう」
 実際僕は「友達以上恋人未満」と言いながらセックスする人々が大嫌いだった。どこかの交差点で弾き語りのミュージシャンが『次はセックスフレンドについての曲です』とセックスの部分を伏せて発音していた時鳥肌が立った。勘弁してほしい。その曲結婚式で歌えるの?僕の好きなGLAYの『HOWEVER』は結婚式で良く歌われているけれどあの曲は『略奪愛・アブない女』っていうドラマのテーマソングなんだけどそこんとこどう?


「キスしたことは咎めないんだね」
「だって私もノリノリでエッロいキスをしてしまいましたからな」
「エッロいって自分で言うか~?」
「互いの性経験がよくわかる体験で面白いですね、親友とのベロチューというものは」
「ベロチューってところが大切だな」
「フレンチキスは親子でもするけどベロチューは親子ではしないからね」
「行ってきます……はふっ、ちゅっちゅっとか嫌すぎる」
「単館系の邦画みたいな親子」
「親子にR15指定ついたらどうなるんだろ」
「これ何の話?」
「わかる?必死に恥ずかしさ誤魔化そうとしてるの」
「同じく」
「眠気も……冷めたしさ、もうちょっと車走らせてよ」
「ああ、それを待ってた」
 僕はすぐにエンジンをかけてシフトレバーをドライブに入れる。ウインカーを出して、彼女にシートベルトをするように促した。これは交通安全のためだけではない。

 こうして二人で過ごしていると、一生この時間が続くのではないかといつも思うけれど、寿命と同じように、この関係の終わりは刻一刻と迫っているのだ。婚姻。社会の、真っ当な契約によってもたらされた関係によって、何一つ担保する書類のない僕らの関係は一瞬で消し飛ぶ。それでもこの不確かな関係を何のために続けるのかという問いは、なぜ生き続けようとするのかという問いの答えと着地点が近いだろう。

 生きることはいつか訪れる死に向かうことですと学校で教えてくれなかった。ちょっと冷静になればわかることなのに、人生は何かを得ていくことだと思い込まされた。賢いふりをしていた先生方は全員アホだった。ポジティブを売ることで金になるってどうなってるんですか?
 どれほど積み上げたものも最終的には炎に焼かれると知っているのにそうでないふりをして今日も日々を積み上げている。

「なんでキスは許したん?」
「やっぱ、気持ちいいし……」
「うそ、猿やん」
「お前もな」
「ぐぬ……」
 刹那的な関係を求めすぎた結果が「愚か者たち」なのである。未来のことなんて考えたくない、そう言いながら毎日、打算的に飯を食う。
「まだ結婚しないよ、相手もいないし」
「じゃあなんであんなこと言うた?」
「いざ、という時は切羽詰まるでしょ、こういうのは。なんもないときに意思表示しておくべきなんだよ」
「で、僕の意思表示はどう受け取られたの?」
「正直者で、いいと思います」
 マミはそれ以上このことには言及せず、窓を開けて「海!」と言った。

 カーナビの目的地は設定しなかった。車は法令速度を守って、過不足なく進んでいく。助手席側には彼女と、広大な海とが広がっているのだけれど、海は夜の黒を反射するから、それも彼女の顔もはっきり見えることはなくて、もう彼女とキスをすることはないだろうと思った。明日には新幹線で東京に帰る。いつ現れるかわからない対向車に備えて、僕はライトスイッチに手をかけ、少しだけアクセルから足を離した。

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