わたしが凄い訳じゃない

 「チャーハン、めっちゃうまいっすね!!」
 「こないだの飲み会、料理マジ最高だったわ!!」
 「え、普通に味噌ラーメン、やばいうまいんだけど!!」

 まだ振り幅があるので毎回毎回自分の中の100点満点を出しているとは絶対に言えないのですが、それでも料理をする回数が多いので、比較的人よりかは料理のことを褒められることが多いと思います。

 以前はそうやって褒められると、「いやいや、大した事ないですよ。」とか、「そんなに難しいことはしてませんよ。」とか、謙遜みたいな言い方で反応しておりましたが、2年前くらいに店でハンバーグを推してた頃にふと思ったんです。

 「その辺のハンバーグ屋よりも美味しいからびっくりしました。」なんて嬉しい言葉も頂戴をして、「いえいえ、なんとも有り難いお言葉です。」とか言ってたけれども。

 そもそもこのハンバーグという概念を生み出した人が凄いだけじゃね??

 だって、やり方はいくらでもどこにでも書いてあるし、やりようもあるし、ぶっちゃけ誰でも練習すれば出来るし、食材も普通にスーパーに売ってるものしか使ってないし。だから、本当に凄いのは作っているわたしじゃなくて、ハンバーグという概念を作った人なんじゃね??って事に気付いた。

 それからふと思うと、そもそもですよ、野菜やお肉、きのこや出汁といった、すべての食材がそもそも美味しいのですよね。そういった事に気付いてから、料理を褒められた時の言い方が変わった。

 「このチャーハン美味しいですね!!」
 →そうなんですよ、そもそもお米と卵だけでも美味しいのに、お肉の油やらネギの香りなんかが入ったらそりゃ美味しいんですよ。

 「このシチュー、美味しいですね!!」
 →ホワイトソースっていう概念がもう美味しいんですよ。ここに野菜とかきのことか入ってごらんなさいよ。

 「このミートソース、美味しいですね!!」
 →挽肉って美味しいんですよ。焼き方を工夫すればもう色んな食感が出るし、そもそもトマトが美味しいし、そこにスパイスのプラスアルファが入るともうすんごい素晴らしいお味になるのですよ。


 そう、世の中のありとあらゆる食材が全て素晴らしい。わたしはそういった美味しくて素晴らしい食材の力を借りて、美味しい何かを作らせてもらってるだけ。


 これ、音楽に関しても同じこと言えるんじゃないかと。

 ギターという発明をした人が凄い。わたしはこの偉大な発明に乗っかっているだけなのかも知れない。というかそもそも音楽って凄いから、音楽のパワーにおんぶ抱っこをしてもらっているだけな気もする。何千年と続く音楽の素晴らしさに、2023年になった今もこうして助けられて、楽しませてもらっているだけな気がする。自分が自分であるための何かに協力して頂いているだけな気がする。


 もっと言うと、わたしは世界に生かせてもらっているというか。

 沖縄や広島、その他各地の戦争に関する記念館や資料館の近くに行ったら出来るだけ足を運ぶようにしてるんだけれども、自分の知らない歴史を知る度に、いろんな人達が犠牲になって、身体を張って、命を懸けてくれた先の未来に今の自分がいるんだという事実に、もの凄く目が眩む。

 今、この世界、日本を生きれているだけで凄い事なんだけれども、わたしはそれを全う出来ているだろうかしら。

 最近そんな事をよく思います。


おわり



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