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【前編】妓夫太郎!!梅!!!私がお前らの幸せについて考えたるからな〜〜!!!!!刮目せよ!!!!息巻くオタクの誇大妄想!!!

突然ですが質問です。
みんな~~~!!!!!!!!!!幸せか~~!!!!!????
みんなの幸せってなに~~~~!!!!!????

私はね、たらふく食っていっぱい寝ること!!!!!!よろしく!!!!!!!
終わりの宗教勧誘のような出だしだが、これから述べるのはちゃ~んとアニメキャラの考察という名の怪文書である。安心して欲しい。(?)
また、今回はオタクのハリーポッターか?というくらい大長編なので私のことをポッターだと思って何卒寛容な心で読んで欲しい。ちなみに秘密の部屋までしか読んでいない。

~プロローグ~オタク、妓夫太郎と堕姫に出会う

先日、鬼滅の刃~遊郭編~を観る機会があった。ボコボコにされまくる炭治郎、映画序盤から倒れとる宇随天元、焼け落ちる吉原…絶望、そしてその後の激しいバトルシーンが美しい画面と音響で表現されており、圧巻であった。数々の魅力的なキャラクターたちの中で、私が最も感銘を受けた人物は、何を隠そう遊郭編のラスボス:上弦の陸・妓夫太郎と堕姫である。正直映画の後に彼らの出る回のみアニメをおさらいしたほどだ。アマゾンプライムありがとうな。

妓夫太郎と梅に執着しだすオタク

兄妹二人で一つの鬼という特異な在り方、彼らの関係性、そして妓夫太郎の激しい劣等感…特筆すべき点はたくさんあるが、総合するとあの兄妹の人間臭い部分に私はかなり心を動かされたのだ。
一見、現代でいうと半グレとかにいる最悪のヤンキーみたいな兄妹なのだが、なんというか人間を下に見ている割に精神性がかなり人間に近いように感じる。彼らは冷酷だが兄妹の絆は固く、特に妓夫太郎は妹を守ろうとする意識が非常に強い。禰豆子をかばおうとする炭治郎の姿を嘲りながらも愛着のようなものを示し、「妹のためにも鬼になれ」「鬼になれば仲間だから助けてやる」と誘っている。
勧誘しながらボコボコにしているのでツンデレにしてもツンが凄まじいが、彼は鬼でありながら、禰豆子を思う炭治郎に共感しているようなのだ。
それは炭治郎も同じであり、作中では「一歩間違えていれば俺たちもああなっていたのでは」と妓夫太郎・堕姫兄妹に想いを馳せている。
炭治郎と禰豆子に対して、妓夫太郎と堕姫はいわば闇堕ちルートとして対比して描かれているのはきっと意図的であろう。
鬼滅の刃に登場する鬼たちは、人間時代に悲惨な生い立ちであった者が多いが、妓夫太郎と堕姫もその例にもれず激重の過去を持つ。過酷な環境の中で運命に翻弄され、鬼となり、そして命潰えたあの兄妹たちにとって、
幸せとはなんだったのだろう。
生前の環境から、彼ら二人が彷徨い歩いた軌跡を丁寧にひもといていきたい。
たまに書きながら泣いているので情緒の方もよろしく頼む。

ぎ、妓夫太郎~~!!!!!!!!

まず抑えておくべきなのは彼らの出自であろう。
吉原の最下層と言われる羅生門河岸で生まれた彼ら。
吉原は遊女の脱走を防ぐために堀が張り巡らされているのだが、羅生門河岸はメインストリートから左側の堀に面した裏通りである。そこは史実においても患った遊女や年老いた遊女が切見世に並んでいたそうで、住人は皆貧しかった。
子供は商売の邪魔と疎まれるそんな場所に妓夫太郎は生まれた。鬼の時の姿もそうであるように、妓夫太郎の姿は先天性梅毒の特徴を有している。つぶれて凹凸のある鞍鼻、サーベル状変形と言われる細長い手足、ハッチンソン歯と言われるギザギザの歯に、全身の疱瘡。
先天性梅毒の胎児は死産や産まれても障害児となることが多いようだが、妓夫太郎は疎まれる中で産まれ、いじめ抜かれ、名前すら与えられぬ中でも生き永らえた。彼の生きた凄惨な環境を思えば「生き永らえてしまった」という方が適切かもしれない。
虫やらネズミなどを食って永らえ、産みの母に何度も殺されかけ、遊び道具は客が忘れていった鎌。風呂とかも入らない。
ねえそんなことある????もうちょっとなんかあるだろうがよ!!!
妓夫太郎、私んちで風呂入るか?おにぎりも味噌汁もあるけど?

踏んだり蹴ったりどころではないハードモードな人生

子供というだけで邪険にされるのに、さらに容貌の美しさが全てである吉原に特異な見た目で生まれたことも妓夫太郎には災いした。闘う際に彼が何度も口にする「みっともねえ」という言葉は
きっと彼自身が何度もぶつけられてきた言葉なのだろう。
炭治郎をなじる際に発する悪口も「虫ケラボンクラ、のろまのふぬけ。なんで生まれてきたんだお前は!!!!」とかなり激しい。生前の妓夫太郎もこうして大人になじられていたであろうことは想像に難くない。
虐待を受けてきた子どもたちは愛着形成に大きな難を抱えることが多い。
人間は社会性の動物であり、コミュニケーションの取り方を一番身近な存在から学ぶ。
ぶん殴られて殺されかけて罵倒されるというコミュニケーションの中で育ってきた子どもは当然その行動をモデリングして外界と接触し、歪んだ人間関係を作ってしまう。家で母ちゃんに叱られて殴られるジャイアンがのび太を殴るのと同じだ。
その考えは「自分が不幸なぶんは他人から取り立てねばならない」という妓夫太郎の信条によく表れている。

歪みまくっている愛着と劣等感

愛着障害は「育てなおし」ができるというのが定説だが、彼ら兄妹にその機会は訪れなかった。存在を否定され続けてきた妓夫太郎は見た目にも自分の存在にも大きなコンプレックスを抱えている。
被虐待児は人間関係を「上か下か」という二極でとらえやすい。妓夫太郎は相手が自分より劣っているか優れているかで即座に判断する傾向があることにお気付きだろうか。
超絶イケメン宇随天元に対しては顔、肉体、人間を庇いだてする男気、など全てに対して大変に嫉妬しており、嫁が三人いると知るや否やガンギレなのだが、満身創痍死にかけです!!!という炭治郎のことはいたぶり、会話すら楽しんでいる様子がうかがえる。暴力を浴びせながら嘲り、それでいてあがく炭治郎に「お前の傷は愛着がわく」と好感を抱いているようだ。炭治郎に鬼になるよう勧誘する様子は自分より弱い者に対して気が大きくなった状態で接し、また求めているように見える。
その歪んだコミュニケーションの様相は強者であれば弱者を好きに踏みにじることができる世界で生きてきた証左であるといえよう。人を拒み、憎み、どこかで求めているアンビバレントな心の様相を呈しているように見受けられる。
クソほど性格が悪い妓夫太郎だが、それは彼が生きてきた環境が多分に影響している。人間は元来の気質をそれぞれ持っているものだが、人格の形成は、その気質に加えて幼いころからの環境および学習の結果でもある。
ほ~んと吾峠先生は天才だな。

梅の誕生と二人で人生を巻き返そうとする兄妹

そんな妓夫太郎の人生の転機の一つとなったのが妹・梅の誕生だった。周りと違う髪と瞳を持ち、美しく生まれた梅。
母親の病からとった名前をつけられ、何度も殺されかけるなどこちらも
散々なのだが、妓夫太郎は幼い妹を庇う。年端もいかぬが大人がたじろぐほど美しい顔立ちの梅は、妓夫太郎の誇りだったと回想にある。妓夫太郎は梅を守り、梅は妓夫太郎を慕う。あの劣悪な環境の中、梅を育てたのは母ではなくほぼ妓夫太郎だと考えるのが自然であろう。
そして成長した妓夫太郎は梅の髪を切ろうとした母親にガンギレして暴れ、以降親子の力関係は逆転する。自身の強さに気付いた妓夫太郎は鎌を振り回し、梅が客を取るようになると、客から金を取り立てる役割を担うようになった。もともと名前を持たぬ彼は、客から金を取り立てる「妓夫太郎」という仕事がそのまま自分の名前になったというわけだ。現代にたとえれば人のことを「経理~」って呼んでいるような感じだろう。あんな狂暴な経理がいてたまるか。
なまじっか強かっただけに妓夫太郎は無双しまくり、四方八方に敵を作っていったのだが、今まで死にかけながらなんとか生きてきたことを思えば、彼ら兄妹にとって状況はかなり好転していた。文字通り自分の力で這い上がり、「人生どんどん良くなっていくぞ」と意気込んでいたのだ。
だからこそ、妓夫太郎が幼い梅に
「奪われた分は他人から取り立てなければならない」と教えたのは自然なことだっただろう。
妓夫太郎より頭は弱く、力も弱い梅は妓夫太郎に庇護されていなければ生きていけない。もともと染まりやすく素直な梅が兄の教えを自分のものとして取り入れるのは自然なことなのだ。彼女が見た目にこだわり、
「美しい人間以外は食べない」と決めているのも兄や花街で生まれ育った
環境によるものと思われる。大好きな兄は自分の美しさを誇りに思い、
「顔を大事にしろ」と言う。自分の顔の美しさに大人がたじろぐ。彼女が兄と生き抜くために「美しさ」は重要なファクターだったのだ。
そりゃ顔命になる。
そして、弱いが美しく、それでいて自分を求める梅の存在は妓夫太郎にとっての自己肯定そのものであり、支えでもあった。あの兄妹の絆の強さはここにあると考えられる。

シスコンブラコン極まれり。共依存の兄妹

梅(堕姫)と妓夫太郎の距離感の近さに違和感を覚えた人はいないだろうか。
彼らは互いがいなければ生きていけない、いわば共依存の関係であると私は考えている。
ただ、ここで考慮しなければならないのは、その共依存が生まれたのは彼らが「生き延びるため」であったということだ。現代社会、通常の人間関係において共依存は不健康かつ不適応なものとみなされるが、それは現代だからにほかならない。
あの兄妹が過酷な環境に適応し生きていくためには互いの強い結びつきが必要だったのだ。異常な事態・環境で生きていくための適応であったといえるだろう。

兄妹を助けた人間などいなかった

そして皆様ご存じの通り、客と梅が揉めちらかしたことが不運の引き金となり、兄妹はえらいことになる。死にかけの梅を抱えて「禍福は糾える縄の如しじゃねえのかよ」と慟哭する妓夫太郎の痛ましさは見るにたえない。まるで死んでいるような毎日から抜け出せそうだと思ったときにこれなのだからその絶望は計り知れないだろう。
「禍福は糾える縄の如し」と兄妹に教えたのはきまぐれに彼らを憐れんだ誰かだったのか、それともどこぞで妓夫太郎が小耳にはさんだ言葉だったのか…それは想像するしかないが、あの言葉は、心のどこかで日々を凌ぐために彼が自身に言い聞かせていた言葉だったのかもしれない。
そして童磨との出会いにより、兄妹は鬼となる。手を差し伸べる人間はだれもいなかった。唯一彼らを救ったのが鬼である童磨のみだったことはなんとも皮肉である。
ちなみにここまでA4の紙4枚ぶんくらいなのだが、まだ妓夫太郎も梅も鬼になってない。
恐ろしいか?この俺が…
後編もあるけど大丈夫そ?????
後編も読んでね!!!!!???????


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