最上氏以外の城跡も豊富に紹介――保角里志『山形の城を歩く』(書肆犀、2020年)評
「山形の城」ときき、思い浮かぶのはどこの城跡だろうか。多くの人にとってそれは、山形城跡(霞城公園)や鶴ヶ岡城跡(鶴岡公園)、新庄城跡(最上公園)、米沢城跡(松が岬公園)あたりではないかと思われる。現在も当時の痕跡がはっきり残るこれらは、江戸期はじめに築城された近世の城である。
しかし、山形の城のほとんどはそれ以前の戦国期に造られたもの。中世城郭史が専門の著者(東根市在住)によると、現在明らかなところでその総数は1500ほど、かつての旧村ごとにあったそうだ。里山地名には「たて(楯・館)」や「じょう(城)」のつくものが多いが、大半は中世の城跡という。
本書は、著者が行ってきた県内城館調査の最新成果をまとめたもので、50か所以上の城跡とその魅力を紹介する「城歩き」ガイドである。季刊誌『やまがた街角』(2019年3月で休刊)での9年間31回にわたる連載に新稿が加わり、連載の読者もそうでない人もともに楽しめる内容となっている。
類書も多いこの分野、本書のユニークさはどこにあるか。それは、中心は戦国のいくさの舞台となった城――最上義光が滅ぼした天童古城(舞鶴山公園)や慶長出羽合戦(1600年)の舞台となった長谷堂城(同城跡公園)など――でありつつ、それ以外の城跡をも豊富に紹介している点かと思われる。
例えば、古代蝦夷の防御性集落・鉢巻式山城とも言われてきた河島山遺跡(村山市)や奈良期の城柵・大室塞(おおむろのさい)候補地という兵沢遺跡(尾花沢市)、戦国の村が略奪・虐殺からの避難所とした里楯(大石田町)、近世後半に造られ未完に終わった松山城跡(松山歴史公園)などで、「城=戦国武将」なる思い込みをも相対化してくれる。
それぞれの城跡について、その調査研究、地域の保存運動などのエピソードが豊富な点もおもしろい。実際に現地を歩いて縄張図を描き、文献史料との総合を図りながら議論を深めていく、歴史学という実践の魅力もまた刻印されている。この冬が終わったら、本書を手に未知なる地域へと踏み出してみよう。(了)
※『山形新聞』2020年12月09日 掲載
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