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「小さな物語」を使いこなす――鈴木淳史『占いの力』(洋泉社新書y、2004年)評

テレビ番組や雑誌など各種メディアにごく当たり前に登場する「占い」。私たちが日常の中で何気なく接している「占い」の社会的な意味や機能を易しく解き明かし、それらとの上手なつき合いかたを考察したのが、本書である。クラシック批評、2ちゃんねる批評に続く三部作の完結篇だ。ちなみにこの著者、寒河江市の出身である。

「占い」を語ろうとすると、私たちはつい「信じるか/信じないか」という紋切り型の思考に陥ってしまいがちだ。曖昧さを許さないこの二者択一を著者は慎重に避け、そうした思考が取りこぼしてしまう領域にこそ「占い」の役割があると見る。これはどういうことか。

私たちは偶然に翻弄されつつ根源的な不安の中を生きるしかないか弱き存在だ。予期せぬ病気に突然かかってしまったり、ヤマが全部はずれて試験に不合格だったりと、情報化がどんなに進もうとも、私たちは偶然性のリスクから逃れられない。近代社会は近代科学という「大きな物語」により偶然を飼いならし、統制しようと試みてきたわけだが、それでも不安の全てを解消するのは不可能。とりわけ近代科学という解釈装置は、私たちの日常の瑣末な諸問題にとってはあまりにも役立たずだ。そうした曖昧で卑小な領域を補完し、私たちの日常に解釈や指針を与えてくれるのが「占い」という「小さな物語」なのである。従って問われるべきは、その真偽ではなく、その豊かさや貧しさである。本書が執拗に記述するのは、まさにそうした「占い」という物語を私たちが使いこなすための条件、コミュニケーション・ツールとしての「占い」の力なのだ。

「占い」の下らなさや無意味さを笑うのはたやすい。だが、その卑小さとは、それを必要としてしまう私たち自身のありようそのものだ。そうしたちっぽけさを、著者は、そうであればこそ人は美しく愛すべきもの、と全面的に肯定する。同感だ。そこにある寛容さこそ、ますます多様化し猥雑になっていく世界で、私たちがともに幸福に生きていくための条件なのだから。(了)

※『山形新聞』2003年10月10日 掲載

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