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遊びながら働き、働きながら遊ぶこと

これまで関係各方面に対し免罪符のように口にしてきた「博論の提出までは(できません)」の台詞。それは本通信でもひんぱんに繰り返されてきたが、筆者自身の力量不足ゆえ、12月に予定していたその提出を大幅に延期することにした。これまでご迷惑をおかけしてきたみなさまには本当に申し訳なく思っており、引き続き研究中心の生活というわけにもいかないため、これからしばらくは研究と労働、仕事、活動の両立を模索していかねばならない。

もちろん筆者は大学や研究機関などアカデミズムの世界に所属のあるプロの研究者ではなく、あくまで在野のそれにすぎない。誰かから対価やポストをいただいてやっている研究ではないため、傍目からみれば趣味や道楽と変わらない。一方で、1日は24時間しかなく1年は365日しかないわけだから、この有限の時間のなか、他のさまざまな社会的な営み――労働・仕事・活動――をいかに効率化し、研究のための時間を捻出するかが課題となる。

さまざまなタスクを効率よくこなしていくための秘訣とは何か。それは、本来別のものとして分節されているそれらを可能な限り重ねていくことである。例えばそれは、対価=賃金を求めて従事している仕事(work)のなかに活動(action)の要素を込めたり、逆に活動を仕事化したりといったもので、具体的な例でいうと、非常勤先の授業で研究関連の話題を扱ったり、あるいはそこで生じたやりとりを企画や執筆のヒントにしたりすることである。

これらは、それ自体が効率性の創出をめざすゲームのようでもあり、複雑なタスクどうしのくみあわせの妙やその美しさ――そんなものは筆者当人にしか意味をもたないものであろうが――を楽しむという側面が確かにある。加えて、こういうやりかたで働いていると、遊ぶことと働くこととが次第に重なっていき、同一性を帯びていくようになる。そうなると、遊びながら働き、働きながら遊ぶ、シームレスな日常が姿を現わすことになる。

もちろんそれらは、現代の資本主義が人びとの生活の襞に巧妙に入り込んで遂行している搾取の現代的表現にすぎない、という見方もありうる。しかし、事実そうなのだとしても、私たちからさまざまなものを奪い取ろうと手をのばす資本の思惑を脱臼させ、剰余価値を可能な限り〈私たち〉の側に寄せることができるような〈働きかた=遊びかた〉を模索することは可能だろう。それは、よりみち文庫でめざし広めていきたいありようとも通じている。(了)

『よりみち通信』15号(2020年11月)所収

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