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フリースペースと「学力低下」?

学校現場への完全週休二日制や新学習指導要領の導入からもうすぐ一年、巷ではいよいよ「学力低下」への不安や批判の声が大きくなってきているように感じる。だからであろうか、フリースペースSORAに対しても次のような批判をいただいた。すなわち、「学齢期の子どもたちを学校にも戻さず好きなままに過ごさせているなど、学力低下は必死だ。子どもたちの怠けや逃げを放任するフリースペースは、学力を低下させる!」というものだ。

二つのレヴェルで返答したいと思う。第一に、そもそも最近その「低下」が騒がれるようになった「学力」というものに、果たしてどれほどの意味や需要があるのかという問題。それらにまったく需要がないとは思わないが、しかしその意味は一部の層(ホワイトカラー上層)のみに限られると思う。極論だが、私はひそかに最近の「学力低下論争」なるものは、教育業界(とりわけ受験業界)の有効需要喚起のためのキャンペーンなのではないかと疑ってさえいる。なぜか。

「学力低下」といったときに一般的にイメージされる「学力」とは、「受験学力」と言い換え可能である。確かに受験学力の低下は、学歴が社会化や就社の必要条件であったような時代には、大問題である。しかしながら、社会化や仕事にいたる道筋が(いまだ不十分とはいえ)これだけ多様化した現在では、「受験学力」と代替可能な能力や技術さえ身につけることができれば、自立は可能だ。要は、耐用年数を過ぎた「学力」に大した意味はないということだ。

だが、こうした一般論以上に、フリースペースを運営している立場からより積極的に主張しておきたいことがある。既に述べたように、「学力低下」の背景にあるのは、受験学力を基準とする労働力配分システム(その一側面が「学歴社会」と呼ばれる)の耐用年数切れである。このシステムは、「頑張って勉強すれば将来報われる」しくみとして了解されたため、子どもたちを「学力」獲得に向けて動機づけることが従来はできていたわけだ。

ところが現在では、頑張って受験勉強してもその苦労はさほど報われない。とすれば、いったい誰がすき好んで役に立つかどうかすら分からないもののために労力や時間を投資して頑張ろうというのか。頑張る理由が見つからないのだ。つまり、「学力低下」ではなく、「動機付けシステム」の機能不全こそが問題なのだ。不登校やひきこもりの増加は、その延長線上にある。とすれば、「やる気」や動機づけをいかにして回復させてやれるか、が我々の課題なのだ。

(学びや学力を根底で支えているような)生そのものへの動機付けの部分を手当てすること。ここまで遡ってようやく、フリースペースの意味というものが明らかとなる。何度も繰り返しになるが、ホッとできる雰囲気のなか、お互いを認め合える仲間たちと、それぞれのペースでの試行錯誤を通じて、動機付けや自尊感情を身につけていけるような居場所。それがフリースペースだ。「学力」獲得を支えるような、動機付けそのものの回復。私たちが依っているのは、このような長期的視座なのである。

(『SORA模様』2003年1月 第21号 所収)

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