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各地の霊山 独自に読み解く――岩鼻通明『絵図と映像にみる山岳信仰』(海青社、2019年)評

2年前に、30年以上に及ぶ山岳信仰研究の集大成として『出羽三山』(岩波新書)を刊行し、昨年度末に山形大学を定年退職した著者。出羽三山に関しては、単著で四冊の業績のある著者だが、その調査研究の対象やテーマは出羽三山にとどまらない。

どんな研究もそうだが、業績として結晶化された作品の背後には膨大な試行錯誤(失敗作や遺棄物、未発の断片など)が存在する。多くの場合、それらは陽の目を見ることなく埋もれ、散逸していく。だがそれではあまりに勿体ない。第一に、そこには再開/再利用可能な資源が豊富に眠っている。第二に、研究者の営みの価値は主峰の高さだけでなくその裾野の広さや山容の美しさにも存する。この二点が存分に示されているのが本書だ。

本書は、長きにわたって著者がとりくんできた山岳信仰研究の歩みと達成を、そのときどきに関与してきた調査研究プロジェクトの紹介とも絡めながら辿り直していく、岩鼻地理学のライフヒストリーである。著者が現地調査を行ってきた各地の山岳信仰――鳥取の大山、長野の戸隠山、富山の立山、岐阜・福井・石川県境にまたがる白山など(県内では出羽三山のほか、慈恩寺、山寺)――が扱われ、相互に比較されながら論じられていく。

本書がユニークなのはタイトルにもあるその方法論で、絵図や映像を史料に、その読み解きを通じて、かつて人びとがそれぞれの霊山をどのように表象し信仰していたか、その世界観を明らかにしていく点にある。テキスト中心の史料読解に偏りすぎてきた従来の人文科学に新領域を開拓したことは学会的にも大きなインパクトだろうが、その意義は学問的なところにとどまらないようにも思う。

本書でも触れられているが、各地の歴史や文化をどう評価し継承していくかということに、近年は「観光」の意味論が深く関わるようになっている。絵図や映像というビジュアル・メディアへの着目は、そうした文脈とも響きあうものだろう。その意味で本書は、著者がこの問題にとりくむ次世代に贈り託す「未完のプロジェクト」にもなっている。(了)

※『山形新聞』2019年10月02日 掲載

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