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本と共同体で時代に対峙――北沢栄『神保町と大正デモクラシー』(ザ・メッセージ社、2021年)評

日本を代表する本の街として有名な神田神保町。日本どころか、世界的にも稀有な古書店街――現在、140軒ほどが店舗を構えているといわれる――で、筆者などは割とよく古書店めぐりを目的に上京する。似たような人びとは全国各地に数多存在するだろう。

本書は、そんな街を舞台に、大正期の若者たちの交流と交歓とを描いた群像小説だ。著者は本紙「思考の現場から」でおなじみのジャーナリスト。偶然見つかった曽祖父・谷村真介(神保町の書店の二代目、昭和11年に38歳で逝去)の大正期の日記を、語り手である令和の曾孫・輝太郎(28歳)が小説仕立てで紹介する、という体裁で物語は進む。

とはいえ、主人公である真介が何か劇的な事件に遭遇したり、そこで成長を遂げたり、といったプロットがあるわけではない。淡々と描かれていくのは、関東大震災と昭和維新とで大きく変わっていく以前、いまからちょうど100年ほど前の神保町の風景である。

そこにあったのは、アジアでいち早く近代化を果たした日本に学ぼうと各地からたくさんの留学生が滞在し、生活していた街(①)であるとともに、近代日本の著名な作家たちが散策し、創作に励んだ街(②)であり、そしてまた、大正デモクラシーの空気のなかで生起した労働運動や女性運動、普選運動の舞台となった街(③)であった。

本作では、神保町のこうした諸側面が、①留学生の周恩来、②作家の芥川龍之介、③社会活動家の賀川豊彦との、主人公・真介の交流というかたちで描かれていく。どれもきっかけは、真介が店番をする書店に彼らが訪れやりとりするところにうまれる。書店がひとつの市民的公共圏であったわけだ。

一読して感じるのは、100年前と現在との意外なまでの〈近さ〉である。おそらく著者が、創作の舞台としてこの時代のこの街を選んだ理由もそこにあるだろう。物語のなかで人びとは、本とそれを媒介にしたコミュニティによって変わりゆく時代と対峙する。現在の私たちはどうだろうか。そんなことを考えさせられる小説である。(了)

※『山形新聞』2021年03月28日 掲載

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