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『ブラタモリ』考――「東北の春」に向けて(19)

タレントのタモリが日本各地の地方都市をブラブラまちあるきするNHKの人気番組『ブラタモリ』。これまで100回を越す放送回の中で、一度も山形県がとりあげられずにきていたが、先日、9月29日の放送でとうとう山形県内に初上陸するにいたった。

筆者自身、県内のあちこちで「まちあるき」を企画して楽しんでいるということもある。いったいどの街が舞台としてとりあげられるのだろうとドキドキしながらオンエアを視聴した。

果たして、「ブラタモリ」がやってきたのは酒田市。まちあるきのテーマは「山形・酒田はなぜ日本の中心?」というもので、新井田川から山居倉庫、本間家旧本邸をたどり、日和山公園を経て、最後は飛島をめぐっていた。

最上川舟運と北前船海運とが交差する酒田湊は、近世期以後、最上川上流の村山地方にひろがっていた幕府領の米が集積する交通と交易の要衝として機能した。その倉庫の雰囲気をいまなお体感できるのが山居倉庫であり、そうした取引をもとに権勢を誇っていたのが豪商・本間家である。一方、北前船の船主たちが目印にしたのが日和山灯台で、飛島はその風待ちの場所であったというストーリーだ。

かつて県内随一の繁栄をみせた湊町の来歴をコンパクトに紹介した、わかりやすい「まちあるき」だったと思う。だが、筆者にはやや不満が残る内容だった。

番組の見所のひとつに、現地案内人の存在がある。たいていはその街の郷土史家や博物館員、大学教員などがガイドを引き受け、その人びとの個性もまたその街をキャラづける要素になっているのだが、結局この酒田篇では他所から専門家を招いての解説となっていた。

なぜ自分たちの街のことを同じ街の専門家が案内できなかったのか。筆者はそこについ酒田の文教政策の弱さを見てしまいたくなる。これは穿ちすぎな解釈だろうか。決してそうは言えないだろう。そうした論難の根拠とは何か。

『ブラタモリ』でとりあげられるということは、地域観光や移住促進のマーケティング的には非常においしい機会であるということは容易に想像がつくであろう。全国の人びとが注視している番組である。そんな貴重な番組のなかで、街のおもしろポイントを地元の専門家が出てきて案内しているということになれば、この街にはそうした専門家を育てる文化環境、教育資源がありますよ、という宣伝になったであろう。そしてそうした宣伝を全国規模でやってもらえるチャンスでもあったはずだ。あの場面で地元の大学やミュージアムの名前が表示されれば、それを目当てに観光客や進学者が来ることだってありうる(少なくとも筆者は、他の街の回ではそういう目でオンエアを見ている)。

であればこそ、先の「酒田篇」が残念極まりない回ということになるわけだ。非常に貴重な広告枠を「よその専門家」に明け渡してしまったわけだから。

さらに言うなら、そもそもなぜ『ブラタモリ』では、「よその専門家」が酒田の街をガイドすることになってしまったのだろう。それは酒田に「地元の専門家」がいなかったからなのか、あるいは「いる」けれども存在感が薄く他所の人に気づいてもらえなかったからなのか。どちらにしても、それは酒田の文化・教育政策――「地元の専門家」を育てたり、彼(女)たちが活躍できる職をつくりだしたり、といったとりくみ――の失敗のゆえにこそ生じている事態なのだということだ。

私たちは、人びとの移動が常態化した時代、人びとがその住まいかたを自己決定するのが当たり前となった世界を生きている。そうした世界にあっては、他の場所にはない固有の文化・歴史を宿した場こそが外部の人びとを引き寄せる引力をもつ。この引力は、地域観光や移住促進などのセクションにとって不可欠なものである。ということは、その場所の歴史・文化について詳しい専門家/知が経済的な価値をうみだすようになったということ。人文知がカネになる時代になったのだということだ。

文教政策の手を抜き続けてきたツケがいままさに回ってこようとしている、そんな場景が垣間見える酒田の街の『ブラタモリ』であった。だがそれは、酒田だけの話ではないかもしれない。

(『みちのく春秋』2018年冬号 所収)

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