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これからの図書館を考える

先日、図書館専門誌『ライブラリーリソースガイド(LRG)』の最新号「特集:図書館からLibraryへ」の刊行にちなんだあるオンライン講評会に、コメントを求められて参加してきた。特集企画を責任編集した福島幸宏さん(東京大学大学院情報学環特任准教授)と指定コメンテーター二人がそれぞれ報告を行った後、フロアの参加者も交えたクロストークを行い、議論を深めていくというものだった。ZOOMの会議室には50人ほどが集まった。

集まった人びとの多くが図書館関係者、議論の中身も制度としての図書館をめぐる専門的な話題だったので、内心びくびくしながらのコメントになってしまった。そもそも何ゆえに自分のような門外漢がコメントを求められたのかというと、『LRG』特集の問題提起が、これからの図書館をデジタルリソースと地域資料に優先的に注力すべきというものだったため。地域の側からこの議論がどう見えるか、これを示すのが自分に求められた役割であった。

ここでは、市民活動にたずさわる立場からおもしろかった論点を紹介したい。『LRG』特集では、これからの図書館においては――今般のコロナ禍も相まって――デジタル化が進んでいくにつれ、これまでのような「紙の本を集め、貸し出す」というありようは急速に意味を失っていくという。誰でもそれらに簡単にアクセスできるようになるからだ。となると、アクセス困難な地域資料をこそ、地域の図書館は収集・集約しアーカイブ化していく必要がある。

放置すれば散逸し容易に失われてしまう、人びとの生活や活動の記憶。それらを記録として残していくのが地域資料であり、その場所に生きる人びとのアイデンティティのよすがである。とはいえ、地域資料の集約・運営を図書館や司書に担ってもらおうというのは、筆者にはやや重すぎる責務であるように思われた。ではどうするか。すでにそういったことに地域でとりくむ市民活動の領域が存在する。そことの連携・協働をこそ模索すべきだろう。

以上は、図書館ってそもそも何のためのもの?という議論だが、抽象化していえば、市民社会の再編のなかでその位置づけをどうするかが改めて問われているということなのだろうと思われる。市民社会にとって図書館の意味とは何か。そしてそれは、同じく社会教育施設として位置づけられてきたミュージアムについても同様であろう。「足りない」「使えない」と嘆くだけの場所から抜け出すためにこそ、かような根源の思考が求められているのだと思う。(了)

『よりみち通信』13号(2020年9月)所収

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