見出し画像

ぷらほ流・社会学ワークショップのすすめ

■進学希望のメンバー数名の求めで、高校受験社会についての講座を6月より毎週金曜に定期的に開くことになった。わたしは現役の予備校講師でもあるので、「そちらと同じ講義形式の授業を再現するか」などと最初は考えていたのだが、受験生ではないが「社会のしくみ」に興味があるので参加したいという人たちも現われたため、「社会学ワークショップ」=参加者の関心に応じた参加型の学びの場として進めることにした。これまで「憲法」「人権」などを題材に扱った。

■参加者の中には「勉強ぎらい」を公言する人もいた。人びとの「わからない・つまらない・きらい」の背後には、大抵、「(社会のしくみなどという)自分の人生とおよそ関係ないことを何でわざわざ覚えなきゃならないの?」という思いがある。なるほどもっともだ。しかし、わたしたちは誰もが「社会」のなかで生きており、その存在や行為は、さまざまな経路で「社会」と密につながっている。関係ないどころか、あなたの人生にそれは深く関わっている。無知は損である。

■そんなことを言ったって、つまらないものはつまらないよ。そんな声が聞こえてきそうだ。大丈夫、その責任の大半はあなたにはない。「つまらなさ・わかりにくさ」には原因がある。それは、「何か」を伝えようとする側が、伝えたい相手に対し、その人のもつ知識や価値観などの前提とは無関連に、その「何か」をわたそうとするためである。自分と無関係で何の得にならないものなど誰も欲しくはないわけで、当然そんなものは受け取ってもらえるはずがないのだ。

■ではどうすればよいか。先述の通り、「社会のしくみ」と無関連な者などいない。とすれば、伝えたい相手の興味や知識の前提にあわせて、伝えたい「何か」に関する「語り口」、すなわち提示のしかたを変えることだ。自分と関連する「何か」に興味をもたない人などいないし、自分の得や快につながることに動機をもたない人などいない。要は、伝える側と伝えられる側との前提の落差をいかに埋めるか、その接続技術=コミュニケーション技術こそが問われているのである。

■くどいようだが、わたしたちの誰もが「社会」の内側で生きている以上、「社会のしくみ」について無知であることは、不利益に直結する。無知であることは、支払う必要のないお金を払ったり、受ける必要のない差別を受けたり、負う必要のない労苦を負わされたりといったことにつながりやすい。「不登校」体験は、「学校ぎらい」とともに、「学びぎらい」をも併発させがちである。前者はともかく、後者は決定的にまずい。敷居を下げる工夫が必要だ。

※『ぷらっとほーむ通信』051号(2007年07月号) 所収

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?